2011/11/12

反天皇制運動 モンスター22号(通巻328号)


2011年11月8日発行

【貝原浩のあの時この時】皇太子の〈ザーメン〉問題(天野恵一)
【状況批評】20年目の日本軍性奴隷制(中原道子)
【反天ジャーナル】弾圧を正しく恐れるということ(井上森)
     今よみがえる「グリーナム」の女たち(シネ女)
たそがれの・・・・・(ななこ)
【ネットワーク】神奈川・君が代不起立個人情報保護裁判のことなど(野上宏)
【紹介】加藤克子著『父たちの“戦場”に暮らす人びと』(梶川涼子)
【太田昌国の夢は夜ひらく】⑳「官許」―TPP問題と原発問題で立ち塞が るこの社会の壁(太田昌国)
【野次馬日誌】10月6日~11月3日
【集会の真相】10・15『怒れる者たち』の世界同時行動(村山森哉)
学校に自由と人権を! 10・22集会(渡辺厚子)
【反天日誌/集会情報/神田川】


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”モンスター”22号(2011年11月) 扉(表紙)

  少し古い話になるが、この6月に「マイ・バックページ」という映画を見た。平井玄が「泣いた」とか、今が「旬」の男優、妻夫木聡と松山ケンイチが共演しているとか、の話題もあるのだが、何といっても「あの時代」がテーマになっていることがポイント。「朝霞基地自衛官殺害事件」。この事件の主謀者・菊井某がすごく変なやつだった、とか、当時の「カリスマ」滝田某の指名手配と逃避行、彼の救援会メンバーの苦闘とか、話題・議論の的になる問題は多々あるのだが、私が印象深かったのは、この映画に出てくる山本義隆。私の記憶では、69年6月15日(映画では少し違う設定)、野音も含む日比谷公園全域が「労働者・市民・学生(なんかなつかしいなあ)」で一杯になっていたとき、「指名手配」中の東大全共闘「代表」(彼の本意ではなかったと思うが)・山本義隆が登場する。朝日新聞社の社旗をつけた車に乗って……。影武者も何人か用意されていた、という。映画に出てきた彼は、その風貌は私のイメージとは異なっていたが、そんなに「カッコイイ」わけでもなく、さりとて不様でもなく、まあ「妥当」な描かれ方だった(と思う)。
  70年代半ば以降運動の前面には出てこなくなった彼の、時折聞こえてくる消息は、決して悪いものではなかった。彼が「科学」の歴史に関心を持ち、研究していることを、私は、彼が人々に伝えたいメッセージを今も抱き続けていることを示していることなのだと思う。そして「福島原発事故」を巡る諸問題に対する明晰な分析と主張を展開してくれた、この夏の反原発本。「政治・社会」問題として押さえるだけではなく、「人間と技術、科学」に関する哲学的ともいえる考察─問題提起がなされていて、今の私の心に「最も響く」一冊を届けてくれたのである。(敬称略)
(11月4日/高橋寿臣)

”モンスター”22号(2011年11月)主張

反弾圧、そして自由を!

あわただしい日々が続いているが、気がつけばもう11月だ。11月ともなれば、反天連的には、そろそろ年末恒例の12・23集会を呼びかけなければならない時期である。もちろん、私たちは今年も集会準備を開始している。今年のテーマとしては当然、3・11以降の事態がこの社会に浮上させたさまざまな問題と天皇制との関わりとを問う内容になるだろう。だが、いまの時点では、残念ながらきちんと集会のご案内をすることができない。会場が最終的に決まっていないからである。

以前このニュースでも書いた(2011年3月号)ように、私たちが公共施設を使って集会を持つことは、いまや至難の業だ。理由ははっきりしている。右翼である。

前書いたことの繰り返しになるのでこれ以上の展開は避けるが、いまもめているS区民会館は、ネットなどを通じた不特定多数の人びとへのよびかけを、会館使用規則をタテにして禁止し、利用にあたっては会館施設管理者の指示に従うことなどを要求している。それが「規則です」との一点張りで。

こうした行為は、右翼に確信を与えるに違いない。「やれば必ず勝てる」と。集会・表現の自由などすでにただのお題目である。「公共」ということは、ただ、社会の「一般市民」に対して「ご迷惑をおかけしない」ことでしかなく、多様な意見、少数派の意思表示を保証することではまったくないのだ。右翼だって多数派ではないはずだが、右翼に襲撃されるような存在もまとめて、自分たちの目の届かないところに排除したいというのが本音だろう。こうした風潮を少しでも変えていくこと、それはやはり社会的な運動を措いてほかにない。

というのは、このような事態は、私たちだけが被っているわけではけっしてあり得ないからである。この間のさまざまなデモにおける、参加者の相次ぐ不当逮捕も、このような社会の空気が広く浸透しているからこそ可能になっているはずである。多くのデモや街頭行動が、つねに警察による過剰な統制のもとにおかれているが、そういう社会の息苦しさに対して、明確に拒否の意志を示していくさまざまな運動が、すでに多様に展開されているのだ。というよりも、原発推進に象徴される戦後社会秩序にそのまま「回帰」するのか、それとも別のありかたへの端緒をつかむのかということをめぐる闘争が、このような現場においても不可避的にせめぎ合っているというべきだろう。

しかし、権力は卑劣である。10月25日、私たちは、私たちの友人である「学校事務労働組合神奈川」(がくろう神奈川)の4人の組合員を、令状逮捕で奪い去られてしまった。組合員の「人事評価」をめぐる2年半前の団体交渉(双方合意の上で設定された)が、「強要未遂」とされたのである。逮捕の翌日には早々と勾留請求・決定がなされたが、今月2日の勾留理由開示公判当日に、4人全員が釈放された。

がくろう神奈川は、労働組合の原点に立ち、原則的な活動を持続してきた少数派組合であり、また、地域共闘や「日の丸・君が代」問題、反戦・平和、反天皇制、日雇労働者支援、反グローバリズムなどの課題にも積極的に関わってきた部分である。あからさまな、しかしまったく杜撰な冤罪(弁護士の言)であった今回の弾圧が、組合運動にたいするそれであると同時に、こうした運動への弾圧であることも明白だ。当面は、不起訴を勝ち取っていくとともに、今回の弾圧の意味を、われわれもまた、被弾圧当該とともに考えていかなければならないだろう。

こうした一連の事態こそが、まさしく「デモと広場の自由」の問題である。そしてそれは、3・11以降の社会的な流動化において激化しているはずである。1日深夜、玄海原発は運転再開されてしまったが、原発再稼働阻止を掲げた経産省前の行動は、9・11経産省「人間の鎖」包囲行動以来、正門脇に張られたテントを拠点として持続されている。1か月以上続いている24時間態勢の座り込みは、さらにもう1つのテントを増設し、「テント広場」をつくりだした。10月末に「福島の女たち」の座り込みが行われ、それを引き継ぐかたちで、11月5日まで「全国の女たち」の座り込みも行われている。11日には、反天連も参加している「福島原発事故緊急会議」も実行委員会に関わっている「11・11─12・11再稼働反対!全国アクション」によって、「たそがれの経産省キャンドル包囲『人間の鎖』アクション」(午後6時~7時半/経産省本館正門前集合)が呼びかけられている。

私たちもまた、これらのうねりに加わりながら、自らの自由をこの手に取り戻していきたい。
(北野誉)

”モンスター”22号(2011年11月)今月の暴言

今月の暴言──10

「強い絆で結ばれた日独の友好関係は、150年にわたる長い交流の歴史の中で、先人たちが続けてきたたゆまぬ交流の努力の結果だと思います。日独交流150周年は、感謝の念を持ってこうした努力を振り返るとともに、両国関係を更に未来につなぐ機会です」(ナルヒト/「ドイツフェスティバル 絆をつなごう  ドイツと日本」10.23)。
枢軸国時代の「つよい絆」を、こいつはよもや忘れてはいまいか。日本政府によってこの5年間が克服されない限り、少なくとも旧大日本帝国の、アジアの人々を地獄の底へ突き落とした近代史を克服する努力を続けない限り、残り145年で、この5年を帳消しになどできないのだ。天皇家に連なるどの先人たちが、どのような「たゆまぬ交流の努力」をしてきたのか、聞きたくもないが、問いただすべきだろう。とはいえ、その方法すら閉ざされているのが現実だ。醜悪な歴史もひっくるめて美化するこんな公式挨拶がまかり通るご時世、反天デモが難しくなるわけだ。とほほ
(梟)

2011/11/01

天皇の被災地「巡幸」――何やっテンノー!?

反天連パンフ


発行●反天皇制運動連絡会
2011年10月31日発行 400円

目次

まえがき(北野誉)

「慈愛」と「棄民」の天皇制国家(天野恵一) 

「戦後巡幸」と「国民」の天皇(伊藤晃) 

天皇はなぜいなくならないのか?(彦坂諦)

【反天連声明】


まえがき
 2011年7月10日、私たち反天皇制運動連絡会(反天連)は、東京・江戸川橋のピープルズ・プラン研究所で、「天皇の被災地『巡幸』 何やっテンノー!?」と題した小集会を行なった。震災後マスメディアを通して「国民に向けたおことば」を直接発し、次いで東京の避難所を手始めに、被災地の「巡幸」をおこなった天皇とその一族。彼らの動きを、敗戦時のヒロヒト天皇の「玉音放送」と「戦後巡幸」とに重ねあわせ、政治的な意味を読み解いていくという趣旨の集まりだった。このパンフは、当日の講師三人の発言をまとめたものである。
 詳しくは、直接パンフをお読みいただくとして、ひとつだけ、この集会をめぐるエピソードについてふれておくことにしたい。私たちも参加する8.15などの反靖国デモや、12・23(天皇誕生日)の反天連の集会などに、街宣右翼や在特会といった連中が押しかけて、妨害行動に出るのはいつものことだが、今回、こうしたいわゆる「記念日」以外の日としてははじめて、私たちは妨害の情宣に見舞われた。やってきたのは在特会の友好団体として立ち上がったらしい「日本侵略を許さない国民の会」と、街宣右翼(八台の街宣車が回っていた)である。少なからぬ参加者の協力も得て、幸い大きな混乱はなかった。
 「天皇制というのは、コミンテルンのスパイである美濃部達吉の用語」などという、頭が痛くなるような歴史認識を披瀝していた右翼連中だが、彼らは、われわれが天皇のみならず「被災者を冒涜している」ともがなりたてていた。被災地を「巡幸」する天皇と、それを歓迎する(とされる)被災者の姿。それはむしろ、右翼的な部分をこえた「国民的合意」として賛美されるものとなっている。震災と原発事故を克服し、「がんばろう日本」というわけだ。それが、多くの被害者の声を国家の側が封じ込めていく暴力としていかに機能していくかが、明らかにされていかなければならない。(北野誉)