2016/01/12

安倍戦争国家と天皇制を問う 2.11反「紀元節」行動に参加を!



安倍戦争国家と天皇制を問う 2.11反「紀元節」行動 集会とデモ

▼講師   須永守(近現代史研究)
「戦争国家と天皇の『慰霊』」

日時 2016年2月11日(木)
13時15分開場 *集会後デモ


場所 神宮前穏田区民会館1F
地下鉄明治神宮前駅/JR原宿駅下車

▼敗戦70年目の2015年は、日本国家が、アメリカ主導の戦争にいつでも、どこでも参加しうる戦争体制に、公然と踏み込んだ年となった。自衛隊が具体的な戦闘行動に参加し、殺し殺される関係へと入っていく危機は、かつてなく高まっている。さらに安倍は、2016年の参院選での「勝利」をバネに、改憲攻撃をさらに強めようとしている。憲法を無視し、現実的にそれを破壊しながら、他方で憲法それ自体をも変えていこうというのだ。
▼この1月26日には、明仁天皇夫婦が、フィリピンを「公式訪問」する予定だ。マニラで歓迎式典やアキノ大統領との会見、晩餐会に出席し、日本政府が1973年にラグナ州に建てた「比島戦没者の碑」を訪れるという。日本の侵略戦争の結果、アジア太平洋戦争を通じてフィリピンではきわめて大量の死者が生み出された。圧倒的多数の民間人を含む、フィリピンの死者は111万人にのぼる。日本人死者も、地域別では最多の約51万8000人だ。兵士の多くが餓死であるという。
▼戦争・戦後責任を一貫して果たさ戦後国家の象徴こそ天皇制である。決して責任者を名指ししない国家による死者の「慰霊・追悼」においては、死者は国家がひきおこした戦争の被害者であるというより、なによりもまず、いまの「平和」をもたらした「尊い犠牲」となる。こうして国家責任が問われることはなくなる。そして新たな戦争の死者も、「平和」のための死、国家のための死の賛美という点では、同様の位置づけをされることになるだろう。天皇を中心としてなされる、国家による「慰霊・追悼」を決して許さない。
▼安倍政権による「戦後」総括と戦争政策、改憲攻撃と対決し、その中における天皇制の役割を批判しぬく反天皇制運動をつくっていこう。2016年の反天皇制運動の展開の第一波として準備される、2・11反「紀元節」行動の集会とデモへ参加を ! 


 安倍戦争国家と天皇制を問う 2・11反「紀元節」行動実行委員会      http://211k.blogspot.jp/

振替●00110-3-4429[ゴメンだ ! 共同行動]



【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村
反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター
連帯社/労働運動活動者評議会

カーニバル34号[主張]


     今年も、安倍政権とアキヒト天皇制を問う!


 昨年末の12月28日、日韓両政府はソウルで開催された外相会談において、日本軍「慰安婦」問題の「最終的かつ不可逆的な解決」で合意した。
 被害当事者や日本軍「慰安婦」問題に取り組んできた人びとの粘り強い運動が、日韓両政府を追い込んでいたことは明らかである。しかし、当事者や支援者が鋭く指摘するように、それは、米国の圧力のもとで日韓政府がおこなった、被害者不在の政治的妥協に他ならなかった。安倍政権は、このことをもってすでに「慰安婦問題」は解決、解消したかのようにふるまっている。そのうえで「軍の関与」や「日本政府は責任を痛感している」が、それは法的責任を認めたものではない、とか、ソウルの日本大使館前の「少女像」(平和の碑)の撤去が、元「慰安婦」を支援する財団への10億円支出の前提条件だとか、居直った言説を繰り返している。日本はここまで譲歩したのであり、今後「慰安婦」問題を蒸し返すことは許さないという、逆転した居丈高な姿勢である。
 反天連でもこのことを論議したが、「慰安婦」問題そのものをなきものにしようとしてきた安倍政権が、口先だけであっても「軍の関与」「責任を痛感」と言わざるを得なかったのは「靖国参拝の断念」や「安倍談話」に続く、ある種の「蹉跌」をも意味しているのではないか、それをどう考えるべきかという話になった。
 安倍個人の政治的資質が、大東亜戦争=解放戦争史観、「自主憲法制定」など、伝統的保守、右翼天皇主義的なそれであることは明らかだ。昨年10月に発足した第三次安倍改造内閣は、安倍を含む20人の閣僚のうち、公明党の閣僚を除く全員が、「日本会議国会議員懇談会」「神道政治連盟国会議員懇談会」「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の三つの議員連盟のいずれかに所属してきた「靖国」派の政治家で占められている(安倍ほか八人はそのすべてに所属)。しかし、そうした右翼政治が貫徹できているとは決していえない。もちろんそこには、右翼主義を全面化することへのアメリカの強い警戒と批判が作用している。しかし、80年代以降の日本の政治過程が、安倍政権に与えている歴史的規定性というものを考える必要がある
 中野晃一は、この30年ほどの政治状況の右傾化を、「新自由主義」と「国家主義」が、矛盾しつつも補完しあって成立する「新右派連合」の推移から読み解いている(『右傾化する日本政治』岩波新書)。とくに2000年以降、「新右派連合」が政治過程で勝利を収めるなかで、それ自体の変容を生み出した。歴史修正主義的な国家主義が力を持ち、行政府への権力集中が進んだ。「政治の自由化」から「反自由の政治」への転換である。
 似たような議論は、すでに渡辺治などによってもなされていた(『〈大国〉への執念』大月書店)。そこでは安倍政権は「グローバル競争大国派と復古的大国への郷愁の狭間で股割き状態に陥っている」矛盾する二つの顔を持ちながら、戦後保守支配層の成し遂げられなかった要求を果たす政権として期待され、登場したものであることが指摘されている。
 これらの分析は、私たちが目の前にしている安倍政権の暴走ぶりを、たんに安倍個人の政治的な資質としてのみ理解すべきではないことを教えている。同時に、折に触れて突出する安倍の国家主義的・復古主義的な姿勢は、全体としての政治・言論状況を「右」に牽引し続けていることは軽視できない。こうした議論を参考にしつつ私たちが考えるべきことは、もちろんそうした安倍政権と象徴天皇制との関係である。
 国家の機関である天皇制も当然、こうした政治過程に規定され動いている。私たちがこの間直面してきたのは、暴走する安倍「壊憲」政権に対して、「護憲・リベラル」なアキヒト天皇制を対置し、後者を賛美し期待すらする言説の広がりであった。だが、仮に天皇個人が安倍個人を嫌っていたとしても、時の政権と天皇制とは、そもそも対立するようなものとしてはありえない。憲法上の地位と歴史的にもつその権威をもって、ときの政権に正統性を与え権威づける役割が天皇の政治上の地位である。
 天皇夫婦はこの1月26日から五日間の日程でフィリピンを訪問する。海外で最大の日本人の死者を出し、現地住民100万人以上を殺害したこの地で「慰霊」するというが、いうまでもなくフィリピンは、対中国戦略上重要な国でもある。そのフィリピンへのこの時期の「親善訪問」が持つ政治的な意味はあまりにも明らかだろう。
 そういった意味において、日本共産党が今回の国会開会式に出席し、礼までしてみせたことは問題である。本号の「動物談義」でこのテーマで話しているのでこれ以上はふれないが、天皇制が現実の政治に果たしている役割をきわめて狭く解釈することで過小評価するばかりか、護憲を言いつつ国事行為にない天皇儀礼の容認=憲法上の逸脱行為さえも現実に容認した愚行だ。現在の運動状況において、小さくない影響力を持つ共産党だからこそ、その行為は、運動における天皇制論議をいっそう解体させてしまうことにしかならない。
 昨年に引き続き私たちは、安倍戦争国家と象徴天皇制とを問う行動を続けていきたい。今年もさまざまなご協力を、よろしくお願いします。

(北野誉)

反天皇制運動カーニバル 34号[通巻377号]


反天連機関紙 反天皇制運動カーニバル34号 [通巻377号]
2016年1月12日発行

     

主張 ◉今年も、安倍政権とアキヒト天皇制を問う!
 
動物(あにまる) 談義◉ 〝共産党ころんだ!?〟の巻

 
状況批評 ◉ 天皇のフィリピン訪問は、大東亜共栄圏の夢を再現するか ─伊藤晃

 
反天ジャーナル

 
書評 ◉ 関千枝子『ヒロシマの少年少女たち─原爆、靖国、朝鮮半島出身者』─弁護士・Y

 
太田昌国のふたたび夢は夜ひらく〈69〉 ◉ 朝鮮の「水爆実験」と「慰安婦」問題での日韓政府間合意─太田昌国

 
皇室情報の〈35〉 ◉ 安倍政権と安倍「談話」再論─神道主義右翼還元主義批判の落し穴─天野恵一

 
野次馬日誌

 
集会の「真相」◉反天連12・23集会/12・23大分集会/12・27辺野古に行くな!第四機動隊抗議アクション

 
反天日誌
集会情報
神田川

 


定期購読をお願いします(送料共年間4000円)
●郵便振替00140-4-131988落合ボックス事務局
●mail:hantenアットten-no.net(アットは@に変換してください)

2016/01/07

2016 2・11反「紀元節」行動への参加・賛同の呼びかけ


 敗戦70年目の2015年は、日本国家が、アメリカ主導の戦争にいつでも、どこでも参加しうる戦争体制に、公然と踏み込んだ年となった。強行的に成立させられてしまった安保関連法案は、2016年3月29日に施行される。自衛隊が具体的な戦闘行動に参加し、殺し殺される関係へと入っていく危機は、かつてなく高まっている。さらに安倍は、「憲法改正をはじめ、占領時代につくられたさまざまな仕組みを変えていくことが(自民党)立党の原点だ」と述べ、2016年の参院選での「勝利」をバネに、改憲攻撃をさらに強めようとしている。憲法を無視し、現実的にそれを破壊しながら、他方で憲法それ自体をも変えていこうというのだ。

 戦後日本の「国体」といえる安保体制と象徴天皇制こそ、「占領」下で日米が合作してつくりだしたものにほかならない。しかし、安倍にとってはそれは否定されるべきものではない。いわゆる「戦後的価値」、平和主義や基本的人権を国家に「優先」させる思想こそ、安倍自民党が否定しようとしているものである。それらは、「私が責任者」と豪語する安倍の、国家主義的・強権的な政治手法と根本的に対立する。2015年秋に、国会前で叫ばれていたのは、こうした強権政治への否認であったはずである。

 他方、この1月26日には、明仁天皇夫婦が、フィリピンを「公式訪問」する予定だ。マニラで歓迎式典やアキノ大統領との会見、晩餐会に出席し、日本政府が1973年にラグナ州に建てた「比島戦没者の碑」を訪れるという。日本の侵略戦争の結果、アジア太平洋戦争を通じてフィリピンではきわめて大量の死者が生み出された。圧倒的多数の民間人を含む、フィリピンの死者は111万人にのぼる。日本人死者も、地域別では最多の約51万8千人だ。兵士の多くが餓死であるという。

 昨年四月、天皇は「激戦地」パラオを訪問し、死者の「慰霊・追悼」をおこなった。それは、「戦争という悲劇の死者に思いをはせ、戦争の悲惨さを心に刻む天皇」といった文脈で描き出された。だが、この多数の死者を生み出した戦争、その戦争をひきおこした近代天皇制国家の責任は、決して問われることはなかった。

 今回のフィリピン訪問においても、同じような語りが繰り返されるに違いない。占領下の天皇制は、戦後の象徴天皇制に衣替えし、戦争責任を回避しえた。戦争・戦後責任を一貫して果たさ戦後国家の象徴こそ天皇制である。決して責任者を名指ししない国家による死者の「慰霊・追悼」においては、死者は国家がひきおこした戦争の被害者であるというより、なによりもまず、いまの「平和」をもたらした「尊い犠牲」となる。それは国民こぞって追悼しなければならない。こうして国家責任が問われることはなくなる。そして新たな戦争の死者も、「平和」のための死、国家のための死の賛美という点では、同様の位置づけをされることになるだろう。天皇を中心としてなされる、国家による「慰霊・追悼」を決して許さない。

 この間、安倍の強権政治と比較して、天皇の「護憲・平和主義」が肯定的に言及されることが多い。しかし、天皇の役割とは、つねに、現実が生み出す社会的な亀裂を、観念的に糊塗し「修復」する機能を、国家の装置として果すことである。安倍政権による「戦後」総括と戦争政策、改憲攻撃と対決し、その中における天皇制の役割を批判しぬく反天皇制運動をつくっていこう。2016年の反天皇制運動の展開の第一波として準備される、2・11反「紀元節」行動への、多くの方の参加・賛同を訴える。

 http://211k.blogspot.jp/