2012/06/13

反天皇制運動 モンスター29号(通巻335号)

 

反天連機関紙 反天皇制運動モンスター 29号 [通巻335号]
2012年6月13日発行

主張◉ 自分たちの、みんなの力を信じて
 
動物(あにまる)談義◉ “アキヒト革命”の巻

状況批評 「在特会的なもの」と靖国批判- 北野誉

反天ジャーナル◉

紹介◉ 「原発ファシズム・天皇制」- 鰐沢桃子
太田昌国の夢は夜ひらく〈27〉◉ オウム真理教事件報道と権力の変幻自在さ- 太田昌国

皇室情報の解読◉ 〈戦争責任〉をふまえて〈原発責任〉を問う―「再稼働」反対行動へ- 天野恵一

野次馬日誌◉
 
今月の暴言
 
集会の真相◉
 
反天日誌

集会情報◉

神田川◉
 
 
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2012/06/01

モンスター28号[集会報告]


4・28─4・29連続行動

1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約が発効されて60年目、沖縄が「本土復帰」してから40年という年にあたる今年の反「昭和の日」行動は、4月28、29日の連続行動として行われた。まず28日には、沖縄から新垣誠さん(写真家、沖縄NGOセンター代表理事)、太田昌国さん(編集者、民族問題研究家)をお迎えして、反安保実行委員会との共催で「60年目の『沖縄デー』に植民地支配と日米安保を問う」と題して行われた。写真家でもある新垣さんは、たくさんの写真をスクリーンに映しながら、昨年末からの名護市辺野古の環境影響評価書(アセスメント)を沖縄県庁提出をめぐる地元の方たちのほのぼのとした、でも粘り腰の運動についての報告、ツイッターやフェイスブックで駆けつけた若い世代に芽生えている新しい動きに注目していると話された。

太田さんは「戦後日本国家と継続する植民地主義」というテーマで、世界と日本の植民地支配の歴史、東西冷戦構造について語り、特に日本が敗戦後から現在まで向き合わないですませてきた事実を話された。それでも、1990年前後からヨーロッパで始まった過去の検証、2001年に行われたダーバン世界会議では、欧米諸国と奴隷・植民地主義の犠牲となった国々が話し合うなど、少しずつではあるが侵略・植民地主義・人種差別の克服に関して、「ここまで来た」と前向きに考えることも必要だと話された。80名参加。

翌29日は、「植民地支配と日米安保を問う」というテーマで、さまざまな運動団体で活躍されている13名のみなさんに8分間スピーチをしていただいた。一見バラバラのテーマのように見えるが、その底流に流れているのは敗戦後の日本が抱えている矛盾、サンフランシスコ講和条約、日米安保、そして天皇制の問題が立体的にみえてくるのでは、という企画だった。発言者は、国富建治さん(反安保実行委員会、28日の集会報告)、佐野通夫さん(『高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会)、木元茂夫さん(すべての基地にNO!を!ファイト神奈川)、中森圭子さん(盗聴法に反対する市民連絡会)、宮崎俊郎さん(反住基ネット連絡会)井上森さん(立川自衛隊監視テント村)、アツミマサズミさん(東京にオリンピックはいらないネット)、上原成信さん(沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック)、藤田五郎さん(山谷福祉会館活動委)、田中聡史さん(板橋特別支援学校「君が代」不起立者)、丹羽雅代さん(女たちの戦争と平和資料館)、梶川凉子さん(反改憲運動通信)、天野恵一さん(福島原発事故緊急会議)。

集会後のデモは、2・11のデモに関して抗議文を警察に対して出したりしたが、その効果があってか、警察の右翼に対する警備が「強化」されていて、デモ自体は久しぶりに静かなデモだった。だが、右翼による集会会場への攻撃や解散地点での襲撃、また公安による写真、ビデオ撮影など、私たちの表現の自由を守る闘いは今後も続きそうだ。集会・デモ参加者100名。
(中村ななこ/反「昭和の日」行動実行委員会)

モンスター28号[集会報告]


「反逆の女たちに出逢いなおす」第3回

4月18日、駒込・どぅたっちで、女性と天皇制研究会の連続講座「反逆の女たちに出逢いなおす」の第3回が行われたので、参加してきた。

そもそも「大逆事件」100年を記念し、天皇制国家と抗った女たちの足跡をたどるこの企画。僕はとても楽しみにしている。楽しみなのは、毎回、講座のあと同じ会場で行われる、おいしい沖縄料理と泡盛飲み放題の交流会でしょ、と人にも言われまた事実その通りでもあるのだが、それも含めた企画の全体がとても魅力的なのだ。1回目は近藤和子さんによる管野すが、2回目は山川菊枝の記録映画と鈴木裕子さんのコメント。そして今回取り上げられたのは金子文子。このあと、長谷川テル、伊藤野枝、宮本百合子……と続くらしい。

それで、今回の報告者は渡辺厚子さん。学校現場の「日の丸・君が代」処分への闘いでおなじみだが、80年代には韓国政治犯救援の活動にも関わっていたと聞いている。そうしたことを思えば、渡辺さんが金子文子について報告するのは、とてもぴったりだ。

実際、渡辺さんは昨年10月に、金子文子についての著作もある山田昭次さんらとともに韓国に行き、聞慶に開館予定の朴烈義士記念館や金子文子の墓、芙江里に残るゆかりの地を訪れている。今回のお話と一緒に紹介されたそのときのスライドは、金子文子も見ていたであろう当時の朝鮮の風景を、僕たちにも想像させるものだった。

「私生児」としての出生、そのことによる被差別体験と朝鮮での体験、17歳で東京に出て自立しながらの勉学、朴烈ら朝鮮青年たちとの出逢い、皇太子(昭和天皇)への「爆弾事件」容疑での逮捕、死刑判決〜天皇恩赦で減刑、獄中での「縊死」……。わずか23歳で世を去った彼女の生は、酷薄であり鮮烈である。渡辺さんのお話は、おもにその金子文子の生涯をトレースするかたちで進められた。そして、今回はもうお一人、山田昭次さんもコメンテーターとして参加された。山田さんは、金子文子の思想的な意味を家父長制および家父長制社会に対する抵抗であると明確に整理された。そのことによって、彼女の個人的な生は社会的な闘いとストレートにつながる。

渡辺さんのお話は、時間の制約で、準備されていた文子の思想の意味、権力や平等、天皇・国家、朝鮮観については、十分お話を聞けなかった。残念だが、詳細なレジメも配られていたので、自分自身でこのことは考えていきたい。
(北野誉)

モンスター28号[今月の暴言]


風岡典之宮内庁次長は7日の記者会見で、ミチコ皇后は「身位(身分や地位)を考慮され、陛下とご一緒の方式はご遠慮すべきだとのお気持ち」と伝えた。大きく報道された「天皇の埋葬は火葬で合葬を検討」に続く記事で、要するに「身分違いなので合葬は遠慮しますわ」という皇后の話。宮内庁は対応として、天皇の墓(「墳丘」)の脇に皇后用の小規模な墓をつくって合葬に近づけるとか。いやはや……。

前近代的な家父長制価値観で動く皇室のトップにある天皇夫婦は、「国民に寄り添い」「平等と平和を願い」、と新しい天皇像を模索し続ける演出もしてきたが、しかし結局最後はこれだ。身分制に生きる者は自らをも差別し、人にも当たり前に強要する。現在的な日本人的感覚を演出するならば、二人仲良く墓に入る、くらいはやりそうなものを、差別構造だけは崩せないのだなあ。いずれにしろ大規模な墓はつくられる。身分制度と税金の無駄遣い。迷惑な話である。
(木菟)

モンスター28号[主張]


沖縄と原発、私たちの〈当事者性〉

私たち反天連のGWは、4・28〜4・29「植民地支配と日米安保を問う」(反安保実行委員会+反「昭和の日」実行委員会主催)連続行動からスタートした。28日の「沖縄デー」には写真家で沖縄NGOセンター代表の新垣誠さんと民族問題研究者の太田昌国さんの講演集会。29日は13の運動グループから発言してもらった。限られた時間の中で、どうなることかとハラハラしたが、各自八分という短い時間ゆえにギュッと「旨味」が凝縮され、今後の運動の活力となるような栄養価(?)の高いスピーチであった。連続行動で発言していただいた皆様、本当にありがとうございました(詳細は報告参照)。

近年の運動報告が、その内容より弾圧と暴力に関することに終始してしまう現状が続いていた。が今回、会場外からの大音量の雑音を気にせず、集中して発言者のことばに耳を傾けることができた。デモも、在特会や街宣右翼の罵声の中を進むことなく、彼らの姿を見ることなしに行うことができた。この間の暴力のエスカレートに対して、私たちはそのつど抗議声明を出し、警備当局に公開質問状を提出してきた。このことが一定の功を奏したと言えるだろう。しかし一方で、警察権力の匙加減ひとつでどうにでもなることが露呈したともいえる。今回、これ以上社会問題化することを恐れた警察の判断があったことは間違いないだろう。

かたや、いつも通りの光景もあった。私たちのデモは「非暴力」の立場で、「思想・良心の自由」の表現という当然の権利としてなされている。にも関わらず、デモの間中、参加者に向けられる警察によるビデオ撮影にはいったいどんな法的根拠があるというのだろうか。私たちはこれからも、不当なことに対し声を上げ続けることをやめない。そして、ひとつひとつの事柄に根気強く、粘り強く抵抗する姿勢を示すしかないだろう。それは実にしんどいことだが、しなやかに続けていきたいなと思うのだ。新垣さんの報告では沖縄での運動シーンを撮った写真がたくさん紹介された。その闘いは大変きついものだろうが、誤解を恐れずにいえば、沖縄県庁に座り込む人々の姿には、人の心を和ませるものがあった。私たちのデモが出発して行動参加者が誰もいなくなった会場の敷地内に、右翼街宣車が6台乗り入れて騒いだということを、後日知る。

5月5日に日本における原発がすべて止まった。福島原発事故以降、全国で反原発、脱原発のデモが催され、多くの人々が「原発いらない!」の声を挙げ、意志表示をした。原発推進派は懸命に再稼働を試みたが、さすがにこの声を無視することは出来なかった。マスコミの報道の仕方も微妙に変化を見せている。また、経団連内部からは不協和音が聞かれ、同友会は「縮原発」を表明している。状況は変わりつつある。原発なしで夏を過ごすことが出来ることが証明されることを避けたい推進派に、私たちは「原発いらない!」と言い続けよう。

同時に、国策として進められてきた原発によって、生活の糧をそこから得るしかなかった人々のことも、問題にしなければならないであろう。現地の方のそうした訴えに、あるいは子どもを被ばく労働で亡くされた母親の無念の声を聴く時、自分が彼女、彼らたちの立場そのものに立つことが出来ないと私は思わざるを得ない。3・11の震災以降、この〈当事者性〉についてたびたび思いをめぐらす。季刊『運動〈経験〉』25号の刊行のことばで天野恵一は記す。「当事者としての距離に自覚的ではない自己欺瞞は自分に許してはいけない。(中略)『連帯』と『共有』は、自分が〈当事者〉であり続けているテーマの方から、自分のこだわりをバネに生みだされていかなければと考えている」。

原発は地域差別や被ばく労働など差別構造抜きにはなりたたない。豊かさには一定の犠牲も必要だとの前提で成り立つ社会に私たちは「NO!」と言う。日本においてはこの差別構造の中心に天皇制がある。天皇制を問うことは、差別構造を再生産してきた戦後日本国家そのものを問うことと考える。そこに、「原発」も「沖縄の基地」もあるのだ。その意味において私たちは自身の〈当事者性〉と向き合うことになる。アキヒト、ミチコが火葬への変更を要望し、宮内庁が墓所簡素化や合葬もふくめ検討する方針だ。天皇は心臓のバイパス手術後、赤坂御苑での春の園遊会をはじめ、積極的に公務をこなしている。5月16〜20日の日程で訪英準備も進められている。Xデーを見据えた最終章に天皇自ら取りかかっているといえよう。天皇制を問い続けることが、私たち反天連の〈当事者性〉なのだ。
(鰐沢桃子)