2012/06/01

モンスター28号[主張]


沖縄と原発、私たちの〈当事者性〉

私たち反天連のGWは、4・28〜4・29「植民地支配と日米安保を問う」(反安保実行委員会+反「昭和の日」実行委員会主催)連続行動からスタートした。28日の「沖縄デー」には写真家で沖縄NGOセンター代表の新垣誠さんと民族問題研究者の太田昌国さんの講演集会。29日は13の運動グループから発言してもらった。限られた時間の中で、どうなることかとハラハラしたが、各自八分という短い時間ゆえにギュッと「旨味」が凝縮され、今後の運動の活力となるような栄養価(?)の高いスピーチであった。連続行動で発言していただいた皆様、本当にありがとうございました(詳細は報告参照)。

近年の運動報告が、その内容より弾圧と暴力に関することに終始してしまう現状が続いていた。が今回、会場外からの大音量の雑音を気にせず、集中して発言者のことばに耳を傾けることができた。デモも、在特会や街宣右翼の罵声の中を進むことなく、彼らの姿を見ることなしに行うことができた。この間の暴力のエスカレートに対して、私たちはそのつど抗議声明を出し、警備当局に公開質問状を提出してきた。このことが一定の功を奏したと言えるだろう。しかし一方で、警察権力の匙加減ひとつでどうにでもなることが露呈したともいえる。今回、これ以上社会問題化することを恐れた警察の判断があったことは間違いないだろう。

かたや、いつも通りの光景もあった。私たちのデモは「非暴力」の立場で、「思想・良心の自由」の表現という当然の権利としてなされている。にも関わらず、デモの間中、参加者に向けられる警察によるビデオ撮影にはいったいどんな法的根拠があるというのだろうか。私たちはこれからも、不当なことに対し声を上げ続けることをやめない。そして、ひとつひとつの事柄に根気強く、粘り強く抵抗する姿勢を示すしかないだろう。それは実にしんどいことだが、しなやかに続けていきたいなと思うのだ。新垣さんの報告では沖縄での運動シーンを撮った写真がたくさん紹介された。その闘いは大変きついものだろうが、誤解を恐れずにいえば、沖縄県庁に座り込む人々の姿には、人の心を和ませるものがあった。私たちのデモが出発して行動参加者が誰もいなくなった会場の敷地内に、右翼街宣車が6台乗り入れて騒いだということを、後日知る。

5月5日に日本における原発がすべて止まった。福島原発事故以降、全国で反原発、脱原発のデモが催され、多くの人々が「原発いらない!」の声を挙げ、意志表示をした。原発推進派は懸命に再稼働を試みたが、さすがにこの声を無視することは出来なかった。マスコミの報道の仕方も微妙に変化を見せている。また、経団連内部からは不協和音が聞かれ、同友会は「縮原発」を表明している。状況は変わりつつある。原発なしで夏を過ごすことが出来ることが証明されることを避けたい推進派に、私たちは「原発いらない!」と言い続けよう。

同時に、国策として進められてきた原発によって、生活の糧をそこから得るしかなかった人々のことも、問題にしなければならないであろう。現地の方のそうした訴えに、あるいは子どもを被ばく労働で亡くされた母親の無念の声を聴く時、自分が彼女、彼らたちの立場そのものに立つことが出来ないと私は思わざるを得ない。3・11の震災以降、この〈当事者性〉についてたびたび思いをめぐらす。季刊『運動〈経験〉』25号の刊行のことばで天野恵一は記す。「当事者としての距離に自覚的ではない自己欺瞞は自分に許してはいけない。(中略)『連帯』と『共有』は、自分が〈当事者〉であり続けているテーマの方から、自分のこだわりをバネに生みだされていかなければと考えている」。

原発は地域差別や被ばく労働など差別構造抜きにはなりたたない。豊かさには一定の犠牲も必要だとの前提で成り立つ社会に私たちは「NO!」と言う。日本においてはこの差別構造の中心に天皇制がある。天皇制を問うことは、差別構造を再生産してきた戦後日本国家そのものを問うことと考える。そこに、「原発」も「沖縄の基地」もあるのだ。その意味において私たちは自身の〈当事者性〉と向き合うことになる。アキヒト、ミチコが火葬への変更を要望し、宮内庁が墓所簡素化や合葬もふくめ検討する方針だ。天皇は心臓のバイパス手術後、赤坂御苑での春の園遊会をはじめ、積極的に公務をこなしている。5月16〜20日の日程で訪英準備も進められている。Xデーを見据えた最終章に天皇自ら取りかかっているといえよう。天皇制を問い続けることが、私たち反天連の〈当事者性〉なのだ。
(鰐沢桃子)