2011/12/10

反天皇制運動 モンスター23号(通巻329号) 2011年12月6日発行

2011年12月6日発行

【扉】(八坂康司)
【動物談義】“お家危機、再編?”の巻
【状況批評】ハシズムの克服に向けて(中北龍太郎)
【反天ジャーナル】廃炉映画「アンダー・コントロール」(シネ女)
           ・巨人軍は永遠、ナベツネは絶対(村田・杉内・ホールトンで来期はV) 
            ・すべては「クラウド=雲」の中に(蝙蝠)
【ネットワーク】2011~12山谷越年・越冬闘争へ(藤田五郎)
【皇室情報の解読】天皇(夫妻)・秋篠宮(夫妻)VS皇太子(夫妻)の浮上――「平成」Xデーへのファイナル・カウントダウンはじまる(天野恵一)
【野次馬日誌】11月4日~11月30日
【今月の暴言】 
【集会の真相】んなでやり返そう! 9・23弾圧と相次ぐデモ規制・不当逮捕を許さない集会報告(首藤久美子)
           ・再稼働でなくゼロ稼働を! 12・11電力会社&経産省包囲デモへ!(杉原浩司/福島原発事故緊急会議、みどりの未来)
           ・不当弾圧に反撃を! 仲間たちとともに!(伊藤拓也/学校事務職員労働組合神奈川) 
 ・反戦と抵抗のフェスタ2011がんばらないよ!ニッポン(そらともも)
【反天日誌/集会情報/神田川】


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”モンスター”23号(2011年12月)主張

姉妹、兄弟よ、まずかく疑うことを習え

12月に入り窓に結露が見られるようになった。紅葉した木々を見ても単純に美しいとは思えない。放射能が心配なのだ。ビルばかりのこんな都会にいても、季節の変化を自然の中に感じて生活していたのだなと、しんみり思う。この自然から生活の糧を得ていた人々にとって、原発事故がもたらした放射能の被害は本当に死活問題である。事故から九か月、年の瀬を迎える師走になっても福島原発事故は収束しない。被災された多くの人々は先の生活が見えない中、不安をかかえて寒い季節を迎えている。

「国益」の名の下で繰り返される戦争だが、ルーズベルトの原爆製造計画「マンハッタン計画」により原爆という核兵器をどこの国より先に手にいれたアメリカの政策は、今なお途切れることなく続いている。今年はサンフランシスコ講和条約、日米安保条約が締結されてから60年目の年である。今では当時のアメリカの公文書が公開され、私たちは様々な書籍によりそれらを目にすることができるようになった。開示された膨大な資料は、第二次世界大戦が「民主主義対ファシズム」の戦争という図式では整理できないことを私たちに教えてくれる。「正義のための戦争」などないのだということを教えてくれる。
米国の原爆投下、空襲も含めた無差別殺傷、天皇を大元帥とする日本の侵略責任、両者ともに戦争犯罪に向き合うことをしない。互いの利害が一致した日米の支配者は「正義」と「国益」を叫び、現在も罪を犯し続けている。

核兵器を製造する「マンハッタン計画」は「核の平和利用」=潜在的核武装戦略と名前を変える。アメリカによって形成されたといっていい親米保守政権は、国策として原発を推進していく。そして起きたのが福島原発事故である。

第二次世界大戦の帰趨と福島原発事故が全くおなじ線上に位置するものであることを開示された資料は示す。そしてそこに、どの政治家よりも手腕に長けた「戦略家」天皇ヒロヒトの姿があぶりだされる。この戦後体制の作られ方を今一度確認しなければならないと実感する。天皇制は飾りではない。この国は恐ろしいほどに天皇に支配された国家である。
天皇を頂点とした、保守的政治家、財閥関係者、大蔵省幹部、外交官からなる戦前から継続する戦後体制において、今回の原発事故が起きたのだということを忘れてはならないだろう。

あの敗戦から私たちは何を学び、そして何を学ばなかったのか。「国体護持のために私たちの命は使われる」一人一人の命など、支配者にとって捨ててもいいものなのだ。

今回の原発事故後の対応もまた、そのことを教えてくれる。放射能はすべての人に、平等には降り注がない。原発労働者、福島に住んでいる人、東京にいる者、皇族、天皇。避けられる者と避けられない者。受ける被曝線量は違う。

「反原発」ということは、「国のために犠牲となる命」が必要だと考えている者たちとの闘いだ。アメリカは日本軍のプロパガンダ活動に従事していた人間を動員して、占領期には労働組合潰しを行った。運動を潰すときには必ず右翼を使って警察が介入したことを忘れてはならない。

加害を認めない支配者たちは過ちを繰り返す。原発推進派の巻き返しも活発だ。国内にとどまらず、原発輸出にも熱心である。日米の「トモダチ作戦」は核戦争の訓練として格好の場を提供したであろう。アメリカの新自由主義は軍事経済と一体化し、命を使い捨てていく。沖縄の基地、日の丸・君が代、靖国、原発、TPPは一本の線上にあるのだ。
サンフランシスコ講和条約から60年の今年も残すところわずかとなった。戦争責任に向き合わない支配者によってつくられた体制は強化されている。この間の「大阪維新の会」の選挙圧勝や、戦争責任に関わる一連の裁判の敗訴にもそれは見ることができる。「がくろう神奈川」組合員の逮捕もそうであろう。反天連の会場問題もその現れだ。一〇〇年前の山川菊栄の言葉「姉妹よ、まずかく疑うことを習え」は今も生きている。

そして皇室の動きも活発である(談議参照)。が、抵抗する私たちの催しも盛りだくさんである。反天連も参加している福島原発事故緊急会議は12・11に経産省前から反原発行動を行う。12・14は韓国のハルモニたちの1000回水曜デモに連帯して外務省を人間の輪で囲む。そして皆さんお待ちかね、12・23反天連集会を千駄ヶ谷区民会館で行います。お待ちしています。
(鰐沢桃子)

”モンスター”23号 今月の暴言

今月の暴言⑪


暴言である。どうしようもない。権力関係を女性に対する支配にたとえて自らを誇示するのは植民地主義の常套句であるが、それは日本国家の沖縄に対する占領者意識を、実にあっけらかんと語ってしまった。暴言が語り出した沖縄差別は、女性への暴力と重ね合わせられ、その双方が、まるごと肯定されている。暴言中の暴言だ。けれども、批判されているのはもっぱらその言葉の「不適切」さばかりである。沖縄防衛局長の暴言に続く防衛相の暴言について、民主党の前原政調会長は「勉強不足」を叱りつつこう言った。「過去の経緯ぐらいは勉強してもらわないと、安全保障、米軍との関係もうまくできない」。これが「不適切」でない暴言の手本というものか。これらの暴言は暴力的な行為と一体である。8か月ぶりに強行再開された工事が続く高江には、連日防衛局員が押しかけてきている。              (北)

2011/12/09

反天連集会「原発ファシズム・天皇制」に参加を



反天連集会「原発ファシズム・天皇制」に参加を

「放射能は誰にも区別なく降り注ぐ」──。3.11以降、誰もが被曝当事者となっているという事態を示す表現として目にすることも多いのだが、それはほんとうにそうなのだろうか。これと一見似たものとして、「脱原発に右も左もない」という言い方もある。
前者については、むしろ原発自体が地域差別や下請け被曝労働者を構造化してはじめて推進されるものであること、被害の実相は重層化されたものであることが、明確に論じられるようになってきた。だが後者については、なお根強いものがあるように感じる。
この間、経産省前に張られているテントを統一戦線義勇軍の議長ら
が訪問し、その場に居合わせたメンバーと「懇談」したという件が問題になっている。彼らはその綱領にレイシズムを明確にうたう新右翼の政治団体である。当然、テントの運営委員会からも、彼らを容認し歓迎したわけでは全くないこと、彼らの運動への介入を許してはならないという声が上がった。
しかしネット上では、あいかわらず「左が右を排除しようというの
は運動を狭くするセクト主義」などといった意見が多く見られる。街宣車右翼が連日テントの前に押しかけ、警察などとも連動して運動つぶしにやっきとなっているいま、そうした右翼のふるまいとは異なり、テント撤去をしないよう経産省に要請に赴いた統一戦線義勇軍の行為が注目されるのは、ある意味当然である。別に右翼が脱原発運動をしてはならないなどと、誰も言わない。しかし、「右も左もない」からという口実でわざわざ右翼を招き入れ、それがあたかも運動の幅の広さと寛容さを示しているなどと考えることがわからない。彼らは「日の丸」を掲げてテントにやってきた。「日の丸」に象徴される「国民運動」としての脱原発運動というものがありうるとすれば、それは「日の丸」およびそれに象徴される国民=国家のありかたに違和を抱いていたり、はじめからそこで排除されている人びとにとって、きわめて暴力的なものとなるだろうことは明らかである。
前おきのつもりが長くなってしまった。この「右も左も」という物
言いに私たちが思うのは、いまなお繰り返される「がんばろう日本」ナショナリズムと、それがそっくりだということだ。事故後の天皇による「被災地巡幸」にたいする評価も、無縁とは言えない。
3.11以後の現実とさまざまな行動が、政・官・財一体となった
“怪物的”権力によって、地元やマスコミや学会から批判者を排除し、翼賛体制として成立した「原発ファシズム」(山本義隆)を深層から揺るがし続けている。とはいえ、さまざまに論議されるべき課題は多いのだ。
今年の12.23反天連集会では、冷戦体制のもとで作り出された
核の「平和利用」=潜在的核武装戦略、そのキャンペーンと天皇制の果した役割と、上に述べたような問題とを、まとめて議論する場としていきたい。ぜひご参加下さい。
(北野誉/反天皇制運動連絡会)

●『「反改憲運動」通信』第7期13号( 2011年12月7日号
)掲載

2011/12/07

12・23 反天連集会――原発ファシズム・天皇制



2011年3月11日、震災とそれに続く東電福島第一原発事故。いまなお収束は不透明であり、被曝は拡大するばかりだ。
この現実とさまざまな行動が、政・官・財一体となった"怪物的"権力によって、地元マスコミや学会から批判者を排除し、翼賛体制として成立した「原発ファシズム」(山本義隆)を深層から揺るがし続けている。
しかし、問題の根は深い。
冷戦体制のもとで作り出された核の「平和利用」=潜在的核武装戦略、そのキャンペーンと天皇制の果たした役割、地域差別と被曝労働の構造化、事故後の天皇による「被災地巡幸」、「がんばろう日本」のナショナリズム、脱原発運動と「日の丸」・・・・・・。
恒例の12・23反天連集会、まとめて議論しよう。

日時●2011年12月23日
場所●千駄ヶ谷区民会館(JR原宿駅徒歩10分)
時間●午後3時より 
主催●反天皇制運動連絡会