2014/01/14

カーニバル10号[主張]


 首相の靖国参拝=国家による「戦死者の追悼」を問う2・11行動へ

 国家秘密「隠蔽」法の強行採決に対する憤りの声が法成立後もなお高まる中で、「右翼の軍国主義者」と自ら称する安倍晋三は、仲井眞沖縄知事を三四六〇億円の「沖縄振興予算」で籠絡し、さらに一二月二六日には靖国神社への参拝までも実施した。


 また自民党は、一四年の「党運動方針案」において、「『不戦の誓い』と『平和国家』の文言を削除」することを決定し、さらに既定路線としての改憲方針を強化したとされる(各社報道)。
 安倍の靖国参拝に対する国連も含む各国、各団体からの批判、ことにアメリカの反応は、想定されていたよりもかなり早かったと言えるだろう。それは、「ジャパンハンドラー」と呼ばれるアメリカの対日政策を仕切っている連中すらも巻き込むものだった。


 この問題に対する日本国内の支配層、「識者」やメディアは、これまで、一貫して靖国に対する「公式参拝」「私的参拝」といった参拝の定義づけや、「A級戦犯合祀」といった問題へと論点を誘導し、靖国神社が戦死者の「追悼・慰霊」を実施すること自体は当然だとして、その延命を図ってきた。そして、批判そのものを、中国や韓国、朝鮮の「特殊事情」と結びつけて等閑視する「解説」すらも、あたりまえのように流布されてきた。


 しかし、靖国神社の出自と歴史そのものにおいて、戦争賛美と「臣民」としての死者の礼拝が一体のものとしてあるのは、誰の目にも明白なことだ。明治政府の成立と同時に開始された「神道」の国教化と、靖国神社による戦死者の「祭神」化は、両輪として、思想や宗教、習俗習慣までも天皇制国家に結合するものだった。「Yasukuni WAR shrine」「靖国=戦争神社」に対して、各方面から「いままさに」向けられている批判は、安倍自民党政府の政治に対する批判のみならず、この日本国家のイデオロギー的な存立基盤じたいに対する批判に他ならないともいえよう。


 日本国憲法と大日本帝国憲法をその字義で引き比べて、大日本帝国憲法においてすでに「国民の権利」が確立していたなどと述べる詐術が、改憲をめぐる議論でよく登場する。こうした詐術は、自民党の改憲案に対しても、それが「国民の権利」を損なうものではないとする議論として用いられている。こうした詐術は、靖国ばかりか神道までも「宗教ではなく習俗である」とする議論にも用いられる。


 しかし、「戦後」の日本国家は、少なくとも「神道」なる宗教による、ひとの思想や行動の支配を廃するところに、その原点を置いている。なにゆえ「神道指令」がなされ、そればかりでなく、これが広く受け入れられてきたのか。そのことは、国家神道や靖国神社の成立そのものが戦争や戦死者と結びついたものであること、明治以降の日本国家が戦争賛美の思想に裏打ちされ、さらに、直前の戦争に関する「記憶」が、卑劣で無惨な結果をもたらした侵略戦争にまつわるものであったということが最大の理由だ。だからこそこの問題は、ひとの、現在の「自由」そのものにかかわる問題でもあるのだ。


 これまでの「戦後」日本国家においては、かりそめにも雇用や経済が安定し、軍事面でも沖縄などにのみ問題を集約することにより、「中央」からはさまざまな問題があたかも存在しないかのごとく扱われてきた。しかしいま、政治経済、軍事はじめ、あらゆる面で国家の「保障」が揺さぶられ、そうした擬制はもはや保ち得なくなりつつある。


 安倍や石破ら「右翼の軍国主義者」たちは、「災害」「テロ」「国境紛争」など、これまで蔽われていた矛盾の綻びを大衆心理の危機感として利用・活用し、社会全体を軍事化・警察国家化していくことに、現在のところ、一国内的には成功しつつあるように見える。しかし、彼らの唱える「積極的平和主義」なるものが、軍需品・武器の製造や提供から、すすんで、モノばかりかヒトも「消費」する大イベントとしての「戦争」に、まっすぐ向かっていっていることもまた、蔽いようがなくなっていると言えよう。もちろん、その「戦争」の具体的な現れ方は、対象や状況により、多様であるとしても。


 靖国神社への参拝の問題は、こうして、それ自体が極めて問題であるところの、国家による「戦死者の追悼」という問題を超え、外交官や政治家らによる姑息な弥縫策ではとうてい及ばないものとして現前した。私たちはいま、2・11の反紀元節の闘いを準備しながら、戦前〜戦後の天皇制国家の根源にかかわる問題としてこれを打ち出し、さらに、新たな戦争国家化を許さない、憲法改悪を許さない闘いとして取り組みたいと考えている。2・11集会へ結集を。
(蝙蝠)

カーニバル10号【集会報告】  反天連12・23集会「安倍政権と象徴天皇制の変容」


【集会報告】 反天連12・23集会「安倍政権と象徴天皇制の変容」

 一二月二三日、恒例の反天連集会が早稲田・日本キリスト教会館でおこなわれた。今年のテーマは「安倍政権と象徴天皇制の変容」。
 熊本「海づくり大会」での水俣病患者への「慰問」、葬儀と陵墓の見直し、ミチコの「五日市憲法」評価、当日発表された記者会見におけるアキヒトの戦後憲法評価など、この間も現天皇の「リベラル」ぶりが際立っている。それは、強権的な安倍政権の「壊憲」姿勢との対比を見せ、それを懸念する人びとの天皇への「期待」さえ抱かせる。
 そこには、戦後の象徴天皇制を支えてきた社会的・政治的条件が変容し、国家の制度としてあらたな天皇制の位置づけを模索しているであろう政府・与党と、天皇制という制度を生きる天皇自身とのあいだでの、ある種の力学が働いていると推察できる。こうした状況の中で、反天皇制運動としては、どのような天皇制批判の言説を作りだしていくべきなのか。この、なかなか解きがたいテーマが今回の課題である。
 発言者はまず、日本近代史研究者の伊藤晃さん。二一世紀の国民国家の動揺という事態に、戦後象徴天皇制=アキヒト・モデルが通用しなくなっている。安倍の国家主義モデルにおいては、国家意思と民衆意識の、権威ある媒介者として元首天皇制がイメージされているのだろうが、大衆社会における天皇制にとって、それは打ち出し難い。しかし、天皇はやはり「公」性を押しだし国民を一体化させる装置であり、われわれは民主主義的な社会的共同性と自立性(われわれの共和主義の内実)を対置していかなければならない、と述べた。
 神戸大学教員でジェンダー研究者の青山薫さんは、高度成長・戦後民主主義を支えてきた「家族」の象徴としての天皇一家を論じ、そうした家族モデルが崩壊している現状と、天皇制との乖離を指摘した。同時に、家族という制度の持ってきた排外性・差別性について指摘し、家族の変容がもたらすプラスの面についても論じた。
 最後に反天連の天野恵一。天皇と安倍の「矛盾」を指摘しながらも、天皇制は支配集団に政治利用されるためにだけ存在してきた。即位時のアキヒトの「護憲発言」を評価した、かつての小田実や鶴見俊輔の発言を紹介しつつ、アキヒト天皇制が「護憲」に始まり、「護憲」に終わろうとしている、その意味を考えるべきと提起し、最後に竹内好の「権力と芸術」という論文に触れて「仁慈としての天皇制」の側面に改めて着目することを訴えた。
 その後の討論も活発にかわされた。参加者九〇名。      (北野誉=反天連)

反天皇制運動カーニバル10号[通巻353号]



反天連機関紙 反天皇制運動カーニバル10号

2014年1月14日発行


主張◉ 首相の靖国参拝=国家による「戦死者の追悼」を問う2・11行動へ


貝原浩のあの時この時◉  マサコサマの大きな「仮面」


状況批評◉ 秘密法の真の狙いは警察国家化だ!─宮崎俊郎


反天ジャーナル◉ ・「国民」に「待った」をかける

           ・親守詩(おやもりうた)とは?
           ・ヒップホップと弱っちい私たちの抵抗

書評◉ 本間建彦『60年代新宿アナザー・ストーリー─タウン誌『新宿プレイマップ』極私的フィールドノート』─ほしのめぐみ


太田昌国のふたたび夢は夜ひらく 〈45〉対立を煽る外交と、「インド太平洋友好協力条約」構想─太田昌国


【申入書】◉辺野古への新基地建設計画の撤回を求める要望書


【緊急抗議声明】 安倍首相の靖国神社参拝を糾弾する

野次馬日誌◉ 12月5日~1月8日

【渋谷区は法的手段を無視し、行政による自力救済措置を取るな!
またまた警察官に守られながら野宿者と支援者を排除 】
 
集会の真相
 反天連12・23集会「安倍政権と象徴天皇制の変容」

反天日誌
集会情報
神田川



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