2015/12/16

12・23 反天皇制運動連絡会集会 ●敗戦70年の象徴天皇制を考える  安倍政権とアキヒト天皇制



日時●2015年12月23日(水)13時15分開場

場所●千駄ヶ谷区民会館2F(JR原宿駅/地下鉄北参道駅下車)

発言●伊藤晃(近現代史研究)、池田祥子(大学教員・教育学)、天野恵一(反天連)


 この1年間、私たち反天皇制運動連絡会は、「敗戦70年の象徴天皇制を考える」というテーマを掲げて活動してきたが、まさに「敗戦70年」の今年、クーデターとも例えられる憲法解釈と強権政治により、一連の「戦争法」が制定された。
 歴史修正主義者とレイシストにより支配された現政権は、憲法をなし崩しに改悪していく法律の制定や政策を実行したばかりか、彼らが「戦後レジーム」と称する体制をイデオロギー的に精算しようとした。安倍「戦後70年談話」は、国家の責任を限りなくあいまいにして否認し、その戦後責任を否定し、新たな戦争国家体制への動員を導く意図に基づくものだった。安倍らが「新3本の矢」と
する政策は、家族政策や社会保障を通じた「一億」総動員体制へと踏み出すものとなるだろう。
 現天皇は、敗戦時における天皇制存続の危機の歴史を知るゆえに、自らの正統性に関わる憲法に及ぶ問題に「慎重」であり、それは天皇自身が「平和主義者」であるとする錯視をもたらしている。
 安保関連法=戦争法の成立で、この国は本格的な戦争国家へと進んだ。戦争はいつも「平和」のかけ声で始まるものでもある。「積極的平和主義」の安倍と、「平和主義者」天皇を抱える国家の現実を、天皇明仁の誕生日であり「A級戦犯」の死刑執行がなされた日でもあるこの日に、あらためて考えたい。
 天皇の誕生日を祝うこの国家の「平和」と「民主主義」とは何か。天皇制の戦争責任問題、わたしたち自身の戦後責任に関する問題、そして平和と民主主義について議論する場として、集会を準備している。ぜひとも参加を。

反天皇制運動連絡会

2015/11/15

【警告】ツイッター〈反天連bot〉について


〈反天連bot〉なるアカウントのツイッターが動いているようですが、反天連が発信しているものではありません。ツイートされる方は、そのことを前提にお願いします。ツイートされたメッセージは、〈反天連bot〉ではない反天連にはまったく届きませんし、誰が〈反天連bot〉なのか、今のところわかっていません。くれぐれもお気をつけください。現在反天連の公式ツイッターはありません。

2015/10/06

反天皇制運動カーニバル 31号[通巻374号]


反天連機関紙 反天皇制運動カーニバル31号 [通巻374号]
2015年10月6日発行

     
主張 ◉「天皇制ってなんだ?」「変だ!」のコールを!

貝原浩のあの時・この時
◉「玉体」と「皇霊殿」
 
状況批評 ◉ 敗戦70年の教育―佐野通夫

反天ジャーナル
 
ネットワーク
◉ ・いまから、ここから―竹内康人
・反核世界社会フォーラムの実現に向けて―小倉利丸
 
太田昌国のふたたび夢は夜ひらく〈66〉 ◉ 国連で対照的な演説を行なったふたりの「日本人」―太田昌国

野次馬日誌
◉9月1日~9月30日
 
集会の「真相」
反天日誌
集会情報
神田川


定期購読をお願いします(送料共年間4000円)
●郵便振替00140-4-131988落合ボックス事務局
●mail:hantenアットten-no.net(アットは@に変換してください)

2015/09/08

反天皇制運動カーニバル 30号[通巻373号]

反天連機関紙 反天皇制運動カーニバル30号 [通巻373号]

2015年9月8日発行

     
主張 ◉戦争法案阻止! 安倍政権の歴史認識を問う

動物(あにまる) 談義◉「A談話」を読むの巻


状況批評 ◉ 残余の大地に咲く花―10・11砂川闘争60周年現地集会への招待―井上森


反天ジャーナル

 
書評 ◉ 池田浩士「ヴァイマル憲法とヒトラー―戦後民主主義からファシズムへ」―加藤克子


太田昌国のふたたび夢は夜ひらく〈65〉 ◉ 内向きに「壊れゆく」社会と難民問題─太田昌国


皇室情報の解読〈33〉 ◉〈アキヒト天皇談話〉の大嘘―日本の「二重思考」(ダブル・シンキング)についてシンキングする ─天野恵一


野次馬日誌
◉7月31日~8月31日

集会の「真相」

反天日誌
集会情報
神田川



定期購読をお願いします(送料共年間4000円)
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●mail:hantenアットten-no.net(アットは@に変換してください)

2015/08/18

2015・8・15反「靖国」行動 アピール


 敗戦70年の夏、私たちは今年も靖国神社に向うデモに出発する。
  1945年8月15日は戦争が終わった日ではない。ポツダム宣言受諾は8月14日であり、降伏文書への調印は9月2日だ。8月15日は天皇のラジオ放送がなされた日でしかない。これが「終戦記念日」とされるのは、昭和天皇のいわゆる「聖断」によって戦争が終わり、「国民の命が救われた」という歴史意識を、人々の間に刷り込むためにほかならない。
 しかし、昭和天皇こそ、アジアの2000万人以上の人々を殺し、日本軍軍人軍属230万人を含む310万人以上の死者を生み出したこの戦争の最高責任者だ。昭和天皇は、1945年2月、すでに敗戦は必至であったにもかかわらず、重臣による戦争終結の進言を「もう一度戦果を挙げてから」と言って拒否し、その後東京など各地の空襲、沖縄戦、広島・長崎への原爆投下を招いた。東京大空襲・沖縄・広島・長崎だけでも、その死者は48万6000人(行政機関発表の数字)にものぼる。民間人の死者の多くが、この時期に死んでいるのだ。最後まで天皇制国家の維持を最優先にして、戦争終結を引き伸ばし続け、国内外の命を奪い続けてきたのが昭和天皇である。戦後の日本国家が、こうした天皇の戦争責任の否認から始まっていることを、私たちは何度でも確認しよう。
 靖国神社は天皇のための神社であり続けている。それは、たんなる一宗教法人などではない。天皇の戦争のための死者を「英霊」として祀り、称え続けている戦争のための施設である。戦前は陸海軍によって祭事が執り行われ、戦後もたびたび天皇や首相が参拝し、厚生省から戦没者名簿の提供を受けるなどの便宜を得るなど、国家と深い結びつきを持ち続けてきた。そこに祭神として祭られている者の圧倒的多数は、アジアへの侵略戦争に狩り出され、加害者にされた結果、「殺し殺された」被害者である。そこには、植民地支配の結果日本軍人とされた、朝鮮人・台湾人の死者も含まれている。これらの被害者を「神」として祭り上げ、国のための死を賛美する道具とすることこそ、一貫したこの神社の役割である。
 昨日発表された安倍70年談話において、日本が引き起こした侵略戦争と、それにいたる植民地支配が、どのように語られるかが注目された。おそらく安倍が、それにふれないですませたかっただろう「村山談話」のキーワード――「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「お詫び」という言葉――は、文字のうえではすべて入った。そこには政治的な駆け引きがあったに違いない。だが出てきたそれは、日本がそれらの行為の主体であり責任の主体であることを回避ないし限りなくぼかし、日本の近代史に居直るロジックに満ちた代物である。「侵略」はたった一カ所、「事変」や「戦争」という言葉と並んで、国際紛争を解決する手段としては二度と用いてはならないという一般論として語られているだけだ。「植民地支配」も、朝鮮や台湾の植民地支配にふれないばかりか、19世紀の国際社会においては一般的にあったことで、日本はむしろ植民地化の危機をはねのけて独立を守り抜いた、朝鮮半島支配をめぐる帝国主義間戦争にほかならない日露戦争における日本の勝利が、植民地支配にあった人々を力づけたとまで言うのだ。満州事変以後、日本が道を誤ったというが、それも世界恐慌や欧米諸国主導のブロック化によって強いられてそうなったというような口ぶりである。こういう手前勝手な歴史観にもとづいて「反省」や「謝罪」など決してできないが、事実、安倍は「反省」も「謝罪」もしていない。ただ、「我が国は繰り返し痛切な反省と心からのお詫びをしてきました」と述べているだけだ。しかし問題は、これまで政治家たちがたんに言葉の上だけで「反省」や「お詫び」を語り、被害当事者たちへの日本国家による謝罪と補償を一貫して拒否し続けてきたことが批判されているということであり、そのことを忘れてはならない。さらに被害を受けた国々の「寛容」を謳い、「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」というのである。これは、すでにさんざん謝罪の意を示してきたのに、いつまで謝れというのかという、右派の論理をソフトに言い換えただけのことだ。
 「戦場の陰に、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいた」とか、「我が国が与えた」苦痛と一方で認めながら、「歴史とは実に取りかえしのつかない、苛烈なもの」「今なお言葉を失い、断腸の念を禁じえない」などと、まるで第三者的な視点で言ってのける態度は許しがたい。そして、「これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります」という。
 しかし、こうした論理は、国家による死者の追悼においてはおなじみのものである。本日九段で行なわれた天皇出席の「全国戦没者追悼式」は、靖国のように過去の戦争を公然と賛美することはしないが、戦争の死者が「戦後日本の平和の礎」となったとすることにおいて、「国のための死」を価値づける儀式である。とりわけ、そこに「国民統合の象徴」とされる天皇が出席することによって、それはまさしく「国民的」な儀式となるのである。この「平和のための死」は、過去の戦争の死をそのように解釈してみせるだけではない。安倍政権によって強行的に成立させられようとしている戦争法案は、新たな戦争の新たな死者を生みださざるを得ない。このとき、その死は必ず「平和のための死」として賛美されるだろう。国のための死は尊いということを、毎年国民的に確認するこの国家による追悼儀式に、私たちは反対していく。
 なお、今年の全国戦没者追悼式における天皇の「お言葉」には、「さきの大戦に対する深い反省」「平和の存続を切望する国民の意識に支えられ」て戦後の平和が築かれたなどの文言が加えられた。これがおそらく、安倍談話のひどさと対比した天皇の平和主義として、様々な場で肯定的に語られることになるのだろう。しかし、そこで隠されているのは、その戦争を起こした天皇制国家の責任である。天皇の言葉ということで言えば、昭和天皇の「遺徳」を受け継ぐと言って天皇に即位した現天皇という立場を消去した、極めて欺瞞的なものである。
 日本国家がなすべきことは、内外に多くの被害を与えた戦争について反省し、戦闘参加者を含むすべての戦争の死者に謝罪し、賠償を行うことだ。だが、戦後日本国家が行ってきたことは、まったく逆である。日本国家が行いつづけてきたことは、国家による戦争が生みだした死者を「尊い犠牲者」として賛美することだ。しかもその死の顕彰は、かつての帝国の序列に従って差別化される。高級軍人の遺族ほど手厚い軍人恩給制度がある一方で、空襲による被害者に対しては「受認論」によってなんの補償もなされないままだ。朝鮮人兵士は軍人恩給からも排除され、「慰安婦」とされた女性や強制労働を強いられた朝鮮人などに対しては、排外主義的な攻撃対象にさえされる。
 戦後70年、侵略戦争責任・植民地支配責任を一貫してとらず、アメリカの戦争政策につき従ってきたのが戦後日本である。そしていま安倍政権は、「戦後レジームからの脱却」を掲げて、日米同盟の方向性は強化しながら、戦後に含まれていた「民主主義的価値」さえも一掃して、新自由主義と国家主義による戦争国家へと全面的に転換してきている。安倍談話も含めた、この政権の歴史認識総体が批判されなければならない。戦前・戦後の日本国家と天皇制の責任を問い、戦争法案の成立を阻止しよう。安倍政権の戦争政策と対決する闘いに合流し、戦争国家による死者の利用を許さないために、ともに抗議の声を上げよう!
2015年8月15日

「戦後レジーム」の70年を問う7・8月行動実行委員会

2015/07/22

今年(2015年)の8.15反靖国行動は、集会とデモを別々にやるよ!




「戦後レジーム」の70年を問う! 7・8月行動


【7.26講演集会】
テーマ:米国の世界戦略と象徴天皇制国家
講 師:田中利幸さん(「8・6ヒロシマ平和のつどい 2015」代表)
[日 時] 7月26日(日) 13:15開場/13:30開始
[会 場] 全水道会館 4F大会議室(JR水道橋駅東口3分)
[資料代] 500円



【8.15反「靖国」デモ】
[日 時] 8月15日(土)15:00集合/16:00デモ出発
[集合場所] スペースたんぽぽ(水道橋駅5分・たんぽぽ舎4F)



【呼びかけ】
「戦後レジームからの脱却」を掲げ、戦争国家へ暴走する安倍政権。
私たちの8.15行動は、天皇制国家の植民地支配・戦争責任と象徴天皇制の戦後責任を追求し、国家による「戦没者」の慰霊・追悼を批判し続けてきました。戦争・戦後責任を果たさず、誤魔化し糊塗しようとしているものこそ「戦後レジーム」です。
敗戦後70年の今年、私たちは「『戦後レジーム』の70年を問う!
7・8月行動」として、まったく逆方向へ向けて「戦後レジーム」の脱却を目論む安倍政権を真っ向から批判する行動に取り組みます。集会(7月26日)とデモ(8月15日)にぜひご参加下さい!


主催:「戦後レジーム」の70年を問う7・8月行動実行委員会
【呼びかけ団体】
アジア連帯講座/研究所テオリア/立川自衛隊監視テント村/
反安保実行委員会/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/靖国解体企画/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動評議会

2015/04/08

天皇のパラオ「慰霊」の旅⇒責任隠蔽儀礼を許すな! 4.12集会――殺し殺されるということ


[日 時] 2015年4月12日(日) 14:15開場
[会 場] 韓国YMCA 302会議室(JR水道橋駅6分/地下鉄神保町駅7分)
[資料代] 500円
[講 師] 彦坂諦さん(文学者/近著『文学をとおして戦争と人間を考える』)


■今年4月8~9日、天皇・皇后はパラオ共和国を公式訪問し、太平洋戦争の激戦地となったペリリュー島を訪れる。多くの日本兵・米兵が戦争で殺しあった島だ。
■その目的は戦争で死んだ日本(皇軍)兵士の「慰霊」。そこでは、誰が起こした何のための戦争であったかは問われることはない。また、1万人を超える兵士の具体的な死に様が思い起こされることもない。逆に、天皇制の戦争責任と個々の兵士の具体的な死の実相を隠蔽するための「慰霊」なのだ。
■敗戦から70年。天皇による「慰霊」という政治が隠そうとする戦争責任と戦場における殺戮と死の実態を、兵士の視点から考える――そういう集会にしたい。ぜひご参加を!

[共催]
●敗戦70年:象徴天皇制の70年を撃つ 4.29反「昭和の日」行動
  【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/立川自衛隊監視テント村/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動評議会

2015/02/24

2・11反「紀元節」行動での弾圧を許さない! 警視庁・原宿署に抗議します

 2015年2月14日

「敗戦70年と象徴天皇制の70年を撃つ」 2.11反「紀元節」行動

 私たち「敗戦70年と象徴天皇制の70年を撃つ 2・11反『紀元節』行動」の集会とデモは、130名以上の参加を得て、天皇制と日本国家のあり方を批判する行動を行なうことができました。
 しかし今回の行動では、警察の極めて大規模な警備弾圧が実施され、デモが出発して間もなく、1名の参加者(以下Aさん)が不当逮捕されたのです。逮捕直後から弁護士が接見を試み、デモの終了後、逮捕を実施した原宿署に対する抗議行動を行ない、救援体制もつくり、差し入れも始めました。そして翌日の12日夕方、完全黙秘のまま、被弾圧当該を元気に取り戻すことができました。

 逮捕当日の夜、産経新聞は警察情報垂れ流しの記事を流しました。そこには「逮捕容疑は11日午後4時25分ごろ、東京都渋谷区神宮前の路上で、警戒にあたっていた50代の男性警部補の胸を肘で殴打するなどの暴行を加えたとしている。警部補にけがはなかった」などとあります。
 これは全く逆転した報道です。Aさんが暴行を加えた事実はありません。逆に、この警部補が一方的に暴行を加えた挙句に、Aさんを逮捕したのです。事実は以下の通りです。

 私たちのデモに対しては、日常的に警察のビデオ撮影が実施されています。さらに、機動隊による縦列規制もかけられ、それらによるデモの監視・規制は今回も厳しいものでした。実行委はデモ申請のたびに、思想・信条の自由、表現の自由という権利を、街頭で安全に行使していくために、またそのことを前提に集まってくる参加者の安全を守るために、警察に対して申し入れを行なっています。その一つに、警察による参加者への撮影による肖像権の侵害と威嚇に対する抗議もあります。
 それにもかかわらず、この日の警備においては、赤いチョッキを着た警察官が、ビデオ撮影する警察官とコンビで動きながら撮影を実施していました。彼らは、車道を進んでいるデモの隊列の中にまで割り入って、参加者を押しやりながら堂々と撮影を続けたのです。
 これに対して、Aさんとその周りにいたデモ参加者は、傍若無人の警察官に抗議しながらデモを歩いていました。
 Aさんたちの強い抗議で、ビデオ撮影をしていた警察官は、いったん歩道に上がりました。しかしもう一人の警官(警部補)は、そのままデモの隊列を歩き続けていました。「警察はデモに入ってくるな」という当然の抗議に逆ギレした警部補は、Aさんが手にしていたハンドスピーカーを手ではたき、その拍子に態勢を崩したAさんを転倒させました。その時、多くの公安警察が一斉にデモの隊列に乱入しました。「公務執行妨害」「あの女をとれ!」と指示がとび、Aさんは警官に囲まれて連行され、そのまま逮捕されてしまいました。それまでデモは何の混乱もなく、まったく突然のできごとでした。

   今回の逮捕は、この警部補のAさんに対する暴行を正当化するために、逆にありもしないAさんによる暴行をでっち上げようとしたとしか思えないものでした。警部補は大柄で屈強であり、Aさんは痩せ型の女性です。Aさんが一方的に暴行を加えられた様子は、多くの目撃者がいます。したがって警察の側も、今回の弾圧には強弁しうる正当性のかけらさえないことを、十分自覚せざるをえなかったのではないでしょうか。逮捕翌日の12日夕方には、Aさんを釈放せざるをえませんでした。
 釈放は勝ち取りましたが、Aさんは「被疑者在宅による任意捜査」に切り替えられた状態です。事後弾圧や、出頭攻撃など予断を許さない部分もありますが、今回の弾圧にたいしては、確かな反撃をかちとることができています。

 今回の反「紀元節」行動に対しては、事前に右翼団体から、私たちのデモに対する襲撃予告とも思われる文書が送りつけられ、警視庁は、会場周辺を含めた大規模な警備体制を実施していました。決して私たちの本意ではありませんが、反天皇制運動のデモは、ここ数年、今回同様に右翼団体からの暴力的な攻撃や挑発、「右翼対策」を口実とした警察のデモ隊に対する過剰な規制をともなう警備態勢、ひたすら混乱を作り出す公安警察の動きなどが絡まりあって、錯綜しながら、きわめて異様かつ抑圧的な状態の中に置かれている現実があります。また、天皇制に批判的な人々に対して、公安警察による尾行やつきまといなどの人権侵害もおきています。天皇制批判という表現の自由がおかされること、警察による具体的な人権侵害にたいして、ひとつひとつ抗議の声を上げていかなくてはならないと考えます。
 敗戦70年の今年は、さまざまな行動が多くの人びとにより準備されています。その中で、今回のような弾圧は、誰に対しても実施されうるものであり、事実至るところで現実化していることです。
 すべてのみなさんに、今後も、熱く堅いつながりをともにつくりあげていくことを呼びかけます。

2015/02/23

「産経新聞」への抗議文

産經新聞社東京本社編集局長 殿

 私たち「敗戦70年と象徴天皇制の70年を撃つ 2・11反『紀元節』行動」は、2月11日午後、東京・原宿において集会を行い、その後のデモ行進を主催した団体です。この日警視庁は、繰り返しデモに対する不当な規制と挑発を繰り返し、それに抗議した参加者1名を、不当逮捕しました。
 この件について、貴社は「『天皇制反対』デモ中、警察官に暴行 氏名不詳の女逮捕」と題して、当日の21時33分に記事を配信し、同記事は翌日付本紙にも掲載されました。
 私たちは、この事件を報じた貴社の姿勢に、看過しがたいものを感じ、以下の抗議を申し入れます。
 記事は、「天皇制反対などを訴えるデモを警備していた警察官に暴行したとして、警視庁公安部は11日、公務執行妨害の現行犯で、氏名不詳の女を逮捕した。……東京都渋谷区神宮前の路上で、警戒にあたっていた50代の男性警部補の胸を肘で殴打するなどの暴行を加えたとしている。警部補にけがはなかった」としています。これは、警察発表を垂れ流しにしただけの記事にすぎません。この女性が暴行を加えた事実はありません。逆に、この警部補が一方的に暴行を加えて逮捕したのです。女性は、デモ隊のなかに入って、違法な写真撮影などを公然と行っていたこの警部補らに対して、口頭で抗議をしていました。デモの隊列自体は混乱もなく進んでいたのです。抗議に逆上した警部補がいきなり女性を転倒させ、「公妨」と叫び、これに呼応した警官隊が一斉にデモの隊列に襲いかかったのが事実です。そのことは、多くの目撃者も映像記録もあります。
 警察の側にとっても今回の逮捕はまったくの不手際であり、なんら言い逃れできないものと自覚していたと思われます。勾留請求はおろか、身柄を検察庁に送致することさえできずに、逮捕翌日の12日夕方に、Aさんを釈放せざるをえませんでした。
 今回の事件は、あきらかに警察による不当な行為であり、人権侵害です。しかるに貴紙は、ただ警察発表を一方的に垂れ流し、記事を配信しました。マスコミの社会的役割は、言論・表現の自由を擁護する立場にたち、権力者の暴走を監視することにあると思いますが、百歩譲っても、当事者双方の言い分を取材して記事にするくらいのことが、なぜできないのですか。今回の記事は、警察のでっち上げ発表をそのまま垂れ流すことによって、被逮捕者への人権侵害を拡大するものでしかありません。
 以上、同様の案件がけっして繰り返されないよう、強く猛省を求め、事実関係に基づいた訂正記事を掲載するよう求めます。

 2015年2月23日
 敗戦70年と象徴天皇制の70年を撃つ 2・11反『紀元節』行動

2015/01/20

敗戦70年と象徴天皇制の70年を撃つ 2・11反「紀元節」行動 集会とデモへ!


▼講師   森正孝(映画「侵略」上映委員会)
◯安倍極右政権の歴史改ざん主義と中国脅威論
 
▼日時 2015年2月11日(水)
13時15分開場 *集会後デモ
 
▼場所 千駄ヶ谷区民会館2F
JR原宿駅/地下鉄北参道駅下車



▼ 12月の衆院選で「勝利」した安倍政権は、どのような無茶も「国民の信任」のもとで強行できると思い上がっているようだ。もはや法も人権も民主主義もない、傍若無人に戦争をする国づくりに突き進む姿しかみえない。
▼ 侵略戦争と植民地支配の歴史。戦前より一貫して利用し尽くすだけの支配的関係を強いてきた沖縄の基地問題。原爆被害をまんまと原発推進にすり替えた詐欺の政治。歴史に頬被りを決め、戦争を「平和」と言いくるめてきた日本政府は、米国との密約を重ねることで無反省・無責任な「敗戦処理」と「戦後復興」を果たした。
▼ その結果とも言える差別・排外主義、偏狭なナショナリズムに社会は席巻され、あらたな棄民政策による貧富の格差は拡大するばかり。憲法破壊と戦争国家のゴールがそこに見えている。
▼ そして天皇一族は、戦後的価値が一掃される中で不安定に陥る社会をまとめるべく、すべての矛盾を覆い隠す役割に、今年も忙しく動くことだろう。すでに3.11の東日本大震災追悼式や4月のパラオ慰霊訪問などが予定されている。
▼ 敗戦から70年の今年、放置され形を変えながら残り続けた問題の一つひとつをたぐり寄せ、現在の問題と繋げながら、日本社会と安倍政権にあらためて突き返していきたい。
▼ 敗戦70年最初の反天皇制行動、2.11反紀元節の集会とデモへ! 


敗戦70年と象徴天皇制の70年を撃つ 2・11反「紀元節」行動
【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/立川自衛隊監視テント村/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

2015/01/14

カーニバル22号[主張]

 
アキヒト・ミチコは「救済者」なのか?!
 

 昨年一二月二四日、戦後最低の投票率による選挙の結果、第三次安倍内閣が発足した。個別政策には軒並み反対意見が多数を占める。民意を反映するとはいえない選挙制度ではあるが、沖縄では自民党を全敗させた。しかし、比例区で復活し、沖縄では候補者全員が当選という事態となった。この選挙制度のあり方を大いに問題にすべきである。
 この選挙戦の前、安倍がTV出演した際、放映される「街の声」が偏っているとして自民党は「中立要請」の文書を出している。〇四年には自民党ポスターのパロディーを掲載するブログにその削除要請を出している。安倍はメディア戦略に突出して熱心である。NHK戦犯法廷の番組改ざんの張本人であるこの男は、秘密保護法を成立させ、ことごとく言論の自由を奪っている。今回フランスでの風刺週刊誌本社銃撃事件について「言論、報道の自由に対するテロだ。いかなる理由であれ、卑劣なテロは決して許すことができない。強く非難する」と述べている。これはブラックジョークなのか。以前、ある映画制作者から聞いたことがある。天皇を批判するような場面をつくれば、ホームの端は歩けないと。「帰れ!」と皇太子の車に呼びかけたら逮捕され、横断幕を掲げたことでストーカーまがいの尾行が始まる。「原発反対!」「基地反対!」「戦争反対!」と国策に反対の声を上げれば逮捕である。
 私たち反天連は、この問題も重視し、二三日の「天皇誕生日」に「12・23討論集会 敗戦70年『平成天皇制』を総括する」集会を行った(集会報告参照)。
 思い起こしてみよう。二〇一一年の3・11震災前、天皇制は非常に陰の薄いものになっていた。大学生はアンケートに「あってもなくてもいい」と回答し、女性週刊誌に何も掲載されない週もあったりと、かつてのような盛り上がりもなく露出度も非常に低くなっていた。しかし3・11震災後、彼らの巻き返しは凄まじく、天皇夫婦はじめ、IOC総会でスピーチした高円宮ヒサコ等々、皇族のメディア露出度には目を見張るものがある。
 天皇在位二〇年式典当日の東京新聞に、辺見庸は中野重治の『五勺の酒』を引用し「天皇の天皇制からの解放」を説いた。あれから七年、天皇夫婦は「平和を愛する民主主義者」として称讃され、まるで「極右政権」からの救済者のようになっている。主張欄でもそのつど取り上げてきたが、天皇夫婦の発言は「極右安倍政権」をあたかも牽制するかのような物言いである。昨年は、リベラルな言論人たちから「戦後民主主義を体現するのはアキヒト・ミチコ」と言わんばかりの讃美の声が、頻繁に聞かれる状況へと一気に変貌をとげた。
 こうした状況の中、私たちはどのように天皇制批判をしていくのか。運動のあり方が問われている。12・23集会は天皇制批判の視点、その方法を探る意味で充実した内容であったと思う。今後も継続してさまざまな形で議論の場を設けたいと考えている。「ヒロヒト天皇制(戦前・戦中・戦後)のイデオロギー」と「アキヒト・ミチコ天皇制のイデオロギー」の腑分けと整理。法的な天皇の位置づけの再確認も必要である。かつて天皇批判の言説として現れた神山茂夫や徳田球一らの議論と、それと対比される中野重治らの議論のような流れが、戦後の天皇制批判の中でどのような影響を与えてきたのか。そしてそれはアキヒト・ミチコの時代を論じる際に、どのように展開されているのか。戦後70年という時間は、天皇制とそれを体現する天皇の在り方をどう変容させているのか、検証が必要だと思う。そして、そこから説得力を持った反天皇制の論理を作りだしていかなければならないだろう。
 集団的自衛権、秘密保護法など軍事色がますます濃くなると同時に、大企業、富裕層を優遇する政策と貧困層を冷遇する政策がむき出しになった。
 沖縄の人々も、福島の原発事故による被災者たちも切り捨て、オリンピックに突き進む安倍政権。福祉を切り捨てる政策は、実際に窓口となる地方自治体を締め付ける。その中で、年末年始の野宿者への炊き出しをさせないために、渋谷区は宮下公園など三公園を閉鎖し、国立市はシェアハウス「事実婚」認定で児童手当等の打ち切りを行った。どれほど多くの人々が厳しい越年を強いられただろう。
 不条理な政策に人々はもっと怒りの声を挙げるべきである。天皇夫婦の慈愛などでごまかされてはいけない。声を挙げ抵抗する。今年もともに頑張りましょう。どうぞよろしくお願いします。反天連も参加する、2・11行動は始動している!
(鰐沢桃子)

反天皇制運動カーニバル22号 [通巻365号]

反天連機関紙 反天皇制運動カーニバル22号 [通巻365号]
2015年1月13日発行


主張  アキヒト・ミチコは「救済者」なのか?!

貝原浩のあの時・この時  「日本のめくらまし剤だねえ」

状況批評  一九六五年日韓国交正常化から、現在の日韓関係を展望する─吉澤文寿

反天ジャーナル

書評  彦坂諦『文学をとおして戦争と人間を考える』─野崎六助

太田昌国のふたたび夢は夜ひらく〈57 戦争」と「テロ」を差別化する論理が覆い隠す本質─太田昌国

ネットワーク   公安警察はストーカーをやめろ! 三鷹でも反撃開始 ─警察の人権侵害を許さない会・三鷹

野次馬日誌
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2015/01/12

2015・2・11 反「紀元節」行動への参加賛同の呼びかけ



敗戦70年と象徴天皇制の70年を撃つ 2・11反「紀元節」行動への参加・賛同の呼びかけ

 二〇一五年、私たちは敗戦七〇年目の年を迎えようとしている。
 すでにマスメディアでは、戦後七〇年を意識したキャンペーンが始まっている。この一年、日本の戦後史とその評価をめぐって、さまざまな言論が登場するはずである。そこで、いわば戦後の「総括」の場がつくり出されることは明らかである。
 安倍首相は、七〇年目にあたって「安倍談話」を発表したい意向だと言われている。しかし安倍政権においても、右派が期待するような、「従軍慰安婦問題」や日本の侵略を認めた「河野談話」や「村山談話」などを否定する談話を出すことは、事実上不可能だろう。そうではなく、それらを「継承する」と言いながら、あたかも新たな談話を上書きすることで、実質的にそれらを骨抜きにする方向がめざされるのではないか。そしてそれが、植民地支配やアジア太平洋戦争に対する日本の責任に対する言及を欠き、自国中心主義的な「未来志向」を謳うものとなることも明らかだろう。
 一九九五年、敗戦五〇年目に出された「村山談話」や「国会決議」は、もとよりきわめて不十分なものでしかなく、それどころか「談話」について解説した村山首相は、「天皇に戦争責任はない」とわざわざ明言していたのだ。しかし、これに対して右派のバックラッシュが巻き起こった。そしてその先頭に立っていたひとりが、ほかならぬ安倍だったのである。
 七〇年目を区切りとして、さまざまな場面において、日本の戦後を向こう側から総括し、平和主義や基本的人権など「戦後的価値」を一挙的に清算し、国家主義・強権的方向で「戦争をする国家」への全面的転換を果そうとするのが、安倍の進める政治に他ならない。そしてその道が、今回の衆院選における「勝利」によって「国民の信任を得た」といういい方で、より加速されようとするだろう。
 他方、この四月には、明仁天皇夫婦が、パラオを「慰霊訪問」するという。かつて日本の「委任統治領」であった南洋群島のひとつであるこの地は、アジア太平洋戦争中、三か月にわたるペリリュー島の凄惨極まる消耗戦で、日米両軍に大量の死者を出した場所である。未収集の大量の遺骨も放置されたままというこの地での天皇の「慰霊」行為は、悲劇の戦場で「追悼」する天皇、「戦争の死者に思いをはせ、戦争の悲惨さを心に刻む天皇」といった文脈で描き出されることになるだろう。しかし、そこでは、その死者を生み出した戦争、その戦争をおこした近代天皇制国家の責任は、決して問われることはない。
 死者は国家がひきおこした戦争の被害者であるというより、なによりもまず、いまの「平和」をもたらした「尊い犠牲」なのだ、だから国民こぞって追悼しなければならない。天皇を先頭に作り出されるこうしたムードは、「お国のために尊い命を捧げた英霊」を、国が顕彰しなければならないという「靖国」の論理と、「国家による死者の利用」という点でつながるものである。それは、その地における具体的な死者と結びつけられるがゆえに、きわめて強固な政治力を発揮するだろう。
 明仁天皇は、即位以来、東南アジアや中国などへの「皇室外交」、沖縄や広島・長崎、東京下町、硫黄島、サイパンなど、戦争に関わる加害と被害の地を精力的に回り続けてきた。八・一五における「全国戦没者追悼式」も含めて、国家による「追悼」とそこでの天皇の行為は、つねに国家の戦争・戦後責任を解除し、問わなくさせるための儀式でしかなかった。さらに、「東日本大震災」以降、三・一一が、国家の原発推進政策と原発事故の責任を解除させるための天皇儀式の日ともなっている。
 新自由主義政策のもとで拡大する「格差」、大企業や富裕層への優遇と民衆生活の破壊は、この社会に深刻な亀裂を生みだしている。あらゆる分野での国家による「棄民」が進んでいる。こうした分解を観念的に包摂し、「日本」の「国民」として統合する役割は、やはり天皇に与えられているのだ。こうした点において、天皇と安倍政権の役割は「分担」されている。しかし同時に、われわれは、折りに触れて現われる天皇と安倍政権との「齟齬」についても注目していかなければならない。それは少なからぬ「リベラル派」のように、安倍政治を「牽制」するために天皇発言を持ち上げたいからではない。戦後象徴天皇制の現在と、その再編方向をめぐって現われている支配層内部の矛盾が、そこにあらわれているからにほかならない。現天皇によって、二五年以上にわたって重ねられてきたそうした役割を、敗戦七〇年と重ね合わせて、われわれの視点から総括し批判する運動をつくっていかなければならない。
 敗戦七〇年の反天皇制運動の第一波として、私たちは例年通り、二・一一反「紀元節」行動の準備を開始している。多くの方の参加・賛同を訴える。



敗戦70年と象徴天皇制の70年を撃つ 2・11反「紀元節」行動 http://2015211.blogspot.jp/

【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/立川自衛隊監視テント村/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会