2011/12/10

反天皇制運動 モンスター23号(通巻329号) 2011年12月6日発行

2011年12月6日発行

【扉】(八坂康司)
【動物談義】“お家危機、再編?”の巻
【状況批評】ハシズムの克服に向けて(中北龍太郎)
【反天ジャーナル】廃炉映画「アンダー・コントロール」(シネ女)
           ・巨人軍は永遠、ナベツネは絶対(村田・杉内・ホールトンで来期はV) 
            ・すべては「クラウド=雲」の中に(蝙蝠)
【ネットワーク】2011~12山谷越年・越冬闘争へ(藤田五郎)
【皇室情報の解読】天皇(夫妻)・秋篠宮(夫妻)VS皇太子(夫妻)の浮上――「平成」Xデーへのファイナル・カウントダウンはじまる(天野恵一)
【野次馬日誌】11月4日~11月30日
【今月の暴言】 
【集会の真相】んなでやり返そう! 9・23弾圧と相次ぐデモ規制・不当逮捕を許さない集会報告(首藤久美子)
           ・再稼働でなくゼロ稼働を! 12・11電力会社&経産省包囲デモへ!(杉原浩司/福島原発事故緊急会議、みどりの未来)
           ・不当弾圧に反撃を! 仲間たちとともに!(伊藤拓也/学校事務職員労働組合神奈川) 
 ・反戦と抵抗のフェスタ2011がんばらないよ!ニッポン(そらともも)
【反天日誌/集会情報/神田川】


●定期購読をお願いします!(送料共年間4000円)
●mail:hantenアットten-no.net
●郵便振替00140-4-131988落合ボックス事務局

”モンスター”23号(2011年12月)主張

姉妹、兄弟よ、まずかく疑うことを習え

12月に入り窓に結露が見られるようになった。紅葉した木々を見ても単純に美しいとは思えない。放射能が心配なのだ。ビルばかりのこんな都会にいても、季節の変化を自然の中に感じて生活していたのだなと、しんみり思う。この自然から生活の糧を得ていた人々にとって、原発事故がもたらした放射能の被害は本当に死活問題である。事故から九か月、年の瀬を迎える師走になっても福島原発事故は収束しない。被災された多くの人々は先の生活が見えない中、不安をかかえて寒い季節を迎えている。

「国益」の名の下で繰り返される戦争だが、ルーズベルトの原爆製造計画「マンハッタン計画」により原爆という核兵器をどこの国より先に手にいれたアメリカの政策は、今なお途切れることなく続いている。今年はサンフランシスコ講和条約、日米安保条約が締結されてから60年目の年である。今では当時のアメリカの公文書が公開され、私たちは様々な書籍によりそれらを目にすることができるようになった。開示された膨大な資料は、第二次世界大戦が「民主主義対ファシズム」の戦争という図式では整理できないことを私たちに教えてくれる。「正義のための戦争」などないのだということを教えてくれる。
米国の原爆投下、空襲も含めた無差別殺傷、天皇を大元帥とする日本の侵略責任、両者ともに戦争犯罪に向き合うことをしない。互いの利害が一致した日米の支配者は「正義」と「国益」を叫び、現在も罪を犯し続けている。

核兵器を製造する「マンハッタン計画」は「核の平和利用」=潜在的核武装戦略と名前を変える。アメリカによって形成されたといっていい親米保守政権は、国策として原発を推進していく。そして起きたのが福島原発事故である。

第二次世界大戦の帰趨と福島原発事故が全くおなじ線上に位置するものであることを開示された資料は示す。そしてそこに、どの政治家よりも手腕に長けた「戦略家」天皇ヒロヒトの姿があぶりだされる。この戦後体制の作られ方を今一度確認しなければならないと実感する。天皇制は飾りではない。この国は恐ろしいほどに天皇に支配された国家である。
天皇を頂点とした、保守的政治家、財閥関係者、大蔵省幹部、外交官からなる戦前から継続する戦後体制において、今回の原発事故が起きたのだということを忘れてはならないだろう。

あの敗戦から私たちは何を学び、そして何を学ばなかったのか。「国体護持のために私たちの命は使われる」一人一人の命など、支配者にとって捨ててもいいものなのだ。

今回の原発事故後の対応もまた、そのことを教えてくれる。放射能はすべての人に、平等には降り注がない。原発労働者、福島に住んでいる人、東京にいる者、皇族、天皇。避けられる者と避けられない者。受ける被曝線量は違う。

「反原発」ということは、「国のために犠牲となる命」が必要だと考えている者たちとの闘いだ。アメリカは日本軍のプロパガンダ活動に従事していた人間を動員して、占領期には労働組合潰しを行った。運動を潰すときには必ず右翼を使って警察が介入したことを忘れてはならない。

加害を認めない支配者たちは過ちを繰り返す。原発推進派の巻き返しも活発だ。国内にとどまらず、原発輸出にも熱心である。日米の「トモダチ作戦」は核戦争の訓練として格好の場を提供したであろう。アメリカの新自由主義は軍事経済と一体化し、命を使い捨てていく。沖縄の基地、日の丸・君が代、靖国、原発、TPPは一本の線上にあるのだ。
サンフランシスコ講和条約から60年の今年も残すところわずかとなった。戦争責任に向き合わない支配者によってつくられた体制は強化されている。この間の「大阪維新の会」の選挙圧勝や、戦争責任に関わる一連の裁判の敗訴にもそれは見ることができる。「がくろう神奈川」組合員の逮捕もそうであろう。反天連の会場問題もその現れだ。一〇〇年前の山川菊栄の言葉「姉妹よ、まずかく疑うことを習え」は今も生きている。

そして皇室の動きも活発である(談議参照)。が、抵抗する私たちの催しも盛りだくさんである。反天連も参加している福島原発事故緊急会議は12・11に経産省前から反原発行動を行う。12・14は韓国のハルモニたちの1000回水曜デモに連帯して外務省を人間の輪で囲む。そして皆さんお待ちかね、12・23反天連集会を千駄ヶ谷区民会館で行います。お待ちしています。
(鰐沢桃子)

”モンスター”23号 今月の暴言

今月の暴言⑪


暴言である。どうしようもない。権力関係を女性に対する支配にたとえて自らを誇示するのは植民地主義の常套句であるが、それは日本国家の沖縄に対する占領者意識を、実にあっけらかんと語ってしまった。暴言が語り出した沖縄差別は、女性への暴力と重ね合わせられ、その双方が、まるごと肯定されている。暴言中の暴言だ。けれども、批判されているのはもっぱらその言葉の「不適切」さばかりである。沖縄防衛局長の暴言に続く防衛相の暴言について、民主党の前原政調会長は「勉強不足」を叱りつつこう言った。「過去の経緯ぐらいは勉強してもらわないと、安全保障、米軍との関係もうまくできない」。これが「不適切」でない暴言の手本というものか。これらの暴言は暴力的な行為と一体である。8か月ぶりに強行再開された工事が続く高江には、連日防衛局員が押しかけてきている。              (北)

2011/12/09

反天連集会「原発ファシズム・天皇制」に参加を



反天連集会「原発ファシズム・天皇制」に参加を

「放射能は誰にも区別なく降り注ぐ」──。3.11以降、誰もが被曝当事者となっているという事態を示す表現として目にすることも多いのだが、それはほんとうにそうなのだろうか。これと一見似たものとして、「脱原発に右も左もない」という言い方もある。
前者については、むしろ原発自体が地域差別や下請け被曝労働者を構造化してはじめて推進されるものであること、被害の実相は重層化されたものであることが、明確に論じられるようになってきた。だが後者については、なお根強いものがあるように感じる。
この間、経産省前に張られているテントを統一戦線義勇軍の議長ら
が訪問し、その場に居合わせたメンバーと「懇談」したという件が問題になっている。彼らはその綱領にレイシズムを明確にうたう新右翼の政治団体である。当然、テントの運営委員会からも、彼らを容認し歓迎したわけでは全くないこと、彼らの運動への介入を許してはならないという声が上がった。
しかしネット上では、あいかわらず「左が右を排除しようというの
は運動を狭くするセクト主義」などといった意見が多く見られる。街宣車右翼が連日テントの前に押しかけ、警察などとも連動して運動つぶしにやっきとなっているいま、そうした右翼のふるまいとは異なり、テント撤去をしないよう経産省に要請に赴いた統一戦線義勇軍の行為が注目されるのは、ある意味当然である。別に右翼が脱原発運動をしてはならないなどと、誰も言わない。しかし、「右も左もない」からという口実でわざわざ右翼を招き入れ、それがあたかも運動の幅の広さと寛容さを示しているなどと考えることがわからない。彼らは「日の丸」を掲げてテントにやってきた。「日の丸」に象徴される「国民運動」としての脱原発運動というものがありうるとすれば、それは「日の丸」およびそれに象徴される国民=国家のありかたに違和を抱いていたり、はじめからそこで排除されている人びとにとって、きわめて暴力的なものとなるだろうことは明らかである。
前おきのつもりが長くなってしまった。この「右も左も」という物
言いに私たちが思うのは、いまなお繰り返される「がんばろう日本」ナショナリズムと、それがそっくりだということだ。事故後の天皇による「被災地巡幸」にたいする評価も、無縁とは言えない。
3.11以後の現実とさまざまな行動が、政・官・財一体となった
“怪物的”権力によって、地元やマスコミや学会から批判者を排除し、翼賛体制として成立した「原発ファシズム」(山本義隆)を深層から揺るがし続けている。とはいえ、さまざまに論議されるべき課題は多いのだ。
今年の12.23反天連集会では、冷戦体制のもとで作り出された
核の「平和利用」=潜在的核武装戦略、そのキャンペーンと天皇制の果した役割と、上に述べたような問題とを、まとめて議論する場としていきたい。ぜひご参加下さい。
(北野誉/反天皇制運動連絡会)

●『「反改憲運動」通信』第7期13号( 2011年12月7日号
)掲載

2011/12/07

12・23 反天連集会――原発ファシズム・天皇制



2011年3月11日、震災とそれに続く東電福島第一原発事故。いまなお収束は不透明であり、被曝は拡大するばかりだ。
この現実とさまざまな行動が、政・官・財一体となった"怪物的"権力によって、地元マスコミや学会から批判者を排除し、翼賛体制として成立した「原発ファシズム」(山本義隆)を深層から揺るがし続けている。
しかし、問題の根は深い。
冷戦体制のもとで作り出された核の「平和利用」=潜在的核武装戦略、そのキャンペーンと天皇制の果たした役割、地域差別と被曝労働の構造化、事故後の天皇による「被災地巡幸」、「がんばろう日本」のナショナリズム、脱原発運動と「日の丸」・・・・・・。
恒例の12・23反天連集会、まとめて議論しよう。

日時●2011年12月23日
場所●千駄ヶ谷区民会館(JR原宿駅徒歩10分)
時間●午後3時より 
主催●反天皇制運動連絡会 

2011/11/12

反天皇制運動 モンスター22号(通巻328号)


2011年11月8日発行

【貝原浩のあの時この時】皇太子の〈ザーメン〉問題(天野恵一)
【状況批評】20年目の日本軍性奴隷制(中原道子)
【反天ジャーナル】弾圧を正しく恐れるということ(井上森)
     今よみがえる「グリーナム」の女たち(シネ女)
たそがれの・・・・・(ななこ)
【ネットワーク】神奈川・君が代不起立個人情報保護裁判のことなど(野上宏)
【紹介】加藤克子著『父たちの“戦場”に暮らす人びと』(梶川涼子)
【太田昌国の夢は夜ひらく】⑳「官許」―TPP問題と原発問題で立ち塞が るこの社会の壁(太田昌国)
【野次馬日誌】10月6日~11月3日
【集会の真相】10・15『怒れる者たち』の世界同時行動(村山森哉)
学校に自由と人権を! 10・22集会(渡辺厚子)
【反天日誌/集会情報/神田川】


●定期購読をお願いします!(送料共年間4000円)
●mail:hantenアットten-no.net
●郵便振替00140-4-131988落合ボックス事務局

”モンスター”22号(2011年11月) 扉(表紙)

  少し古い話になるが、この6月に「マイ・バックページ」という映画を見た。平井玄が「泣いた」とか、今が「旬」の男優、妻夫木聡と松山ケンイチが共演しているとか、の話題もあるのだが、何といっても「あの時代」がテーマになっていることがポイント。「朝霞基地自衛官殺害事件」。この事件の主謀者・菊井某がすごく変なやつだった、とか、当時の「カリスマ」滝田某の指名手配と逃避行、彼の救援会メンバーの苦闘とか、話題・議論の的になる問題は多々あるのだが、私が印象深かったのは、この映画に出てくる山本義隆。私の記憶では、69年6月15日(映画では少し違う設定)、野音も含む日比谷公園全域が「労働者・市民・学生(なんかなつかしいなあ)」で一杯になっていたとき、「指名手配」中の東大全共闘「代表」(彼の本意ではなかったと思うが)・山本義隆が登場する。朝日新聞社の社旗をつけた車に乗って……。影武者も何人か用意されていた、という。映画に出てきた彼は、その風貌は私のイメージとは異なっていたが、そんなに「カッコイイ」わけでもなく、さりとて不様でもなく、まあ「妥当」な描かれ方だった(と思う)。
  70年代半ば以降運動の前面には出てこなくなった彼の、時折聞こえてくる消息は、決して悪いものではなかった。彼が「科学」の歴史に関心を持ち、研究していることを、私は、彼が人々に伝えたいメッセージを今も抱き続けていることを示していることなのだと思う。そして「福島原発事故」を巡る諸問題に対する明晰な分析と主張を展開してくれた、この夏の反原発本。「政治・社会」問題として押さえるだけではなく、「人間と技術、科学」に関する哲学的ともいえる考察─問題提起がなされていて、今の私の心に「最も響く」一冊を届けてくれたのである。(敬称略)
(11月4日/高橋寿臣)

”モンスター”22号(2011年11月)主張

反弾圧、そして自由を!

あわただしい日々が続いているが、気がつけばもう11月だ。11月ともなれば、反天連的には、そろそろ年末恒例の12・23集会を呼びかけなければならない時期である。もちろん、私たちは今年も集会準備を開始している。今年のテーマとしては当然、3・11以降の事態がこの社会に浮上させたさまざまな問題と天皇制との関わりとを問う内容になるだろう。だが、いまの時点では、残念ながらきちんと集会のご案内をすることができない。会場が最終的に決まっていないからである。

以前このニュースでも書いた(2011年3月号)ように、私たちが公共施設を使って集会を持つことは、いまや至難の業だ。理由ははっきりしている。右翼である。

前書いたことの繰り返しになるのでこれ以上の展開は避けるが、いまもめているS区民会館は、ネットなどを通じた不特定多数の人びとへのよびかけを、会館使用規則をタテにして禁止し、利用にあたっては会館施設管理者の指示に従うことなどを要求している。それが「規則です」との一点張りで。

こうした行為は、右翼に確信を与えるに違いない。「やれば必ず勝てる」と。集会・表現の自由などすでにただのお題目である。「公共」ということは、ただ、社会の「一般市民」に対して「ご迷惑をおかけしない」ことでしかなく、多様な意見、少数派の意思表示を保証することではまったくないのだ。右翼だって多数派ではないはずだが、右翼に襲撃されるような存在もまとめて、自分たちの目の届かないところに排除したいというのが本音だろう。こうした風潮を少しでも変えていくこと、それはやはり社会的な運動を措いてほかにない。

というのは、このような事態は、私たちだけが被っているわけではけっしてあり得ないからである。この間のさまざまなデモにおける、参加者の相次ぐ不当逮捕も、このような社会の空気が広く浸透しているからこそ可能になっているはずである。多くのデモや街頭行動が、つねに警察による過剰な統制のもとにおかれているが、そういう社会の息苦しさに対して、明確に拒否の意志を示していくさまざまな運動が、すでに多様に展開されているのだ。というよりも、原発推進に象徴される戦後社会秩序にそのまま「回帰」するのか、それとも別のありかたへの端緒をつかむのかということをめぐる闘争が、このような現場においても不可避的にせめぎ合っているというべきだろう。

しかし、権力は卑劣である。10月25日、私たちは、私たちの友人である「学校事務労働組合神奈川」(がくろう神奈川)の4人の組合員を、令状逮捕で奪い去られてしまった。組合員の「人事評価」をめぐる2年半前の団体交渉(双方合意の上で設定された)が、「強要未遂」とされたのである。逮捕の翌日には早々と勾留請求・決定がなされたが、今月2日の勾留理由開示公判当日に、4人全員が釈放された。

がくろう神奈川は、労働組合の原点に立ち、原則的な活動を持続してきた少数派組合であり、また、地域共闘や「日の丸・君が代」問題、反戦・平和、反天皇制、日雇労働者支援、反グローバリズムなどの課題にも積極的に関わってきた部分である。あからさまな、しかしまったく杜撰な冤罪(弁護士の言)であった今回の弾圧が、組合運動にたいするそれであると同時に、こうした運動への弾圧であることも明白だ。当面は、不起訴を勝ち取っていくとともに、今回の弾圧の意味を、われわれもまた、被弾圧当該とともに考えていかなければならないだろう。

こうした一連の事態こそが、まさしく「デモと広場の自由」の問題である。そしてそれは、3・11以降の社会的な流動化において激化しているはずである。1日深夜、玄海原発は運転再開されてしまったが、原発再稼働阻止を掲げた経産省前の行動は、9・11経産省「人間の鎖」包囲行動以来、正門脇に張られたテントを拠点として持続されている。1か月以上続いている24時間態勢の座り込みは、さらにもう1つのテントを増設し、「テント広場」をつくりだした。10月末に「福島の女たち」の座り込みが行われ、それを引き継ぐかたちで、11月5日まで「全国の女たち」の座り込みも行われている。11日には、反天連も参加している「福島原発事故緊急会議」も実行委員会に関わっている「11・11─12・11再稼働反対!全国アクション」によって、「たそがれの経産省キャンドル包囲『人間の鎖』アクション」(午後6時~7時半/経産省本館正門前集合)が呼びかけられている。

私たちもまた、これらのうねりに加わりながら、自らの自由をこの手に取り戻していきたい。
(北野誉)

”モンスター”22号(2011年11月)今月の暴言

今月の暴言──10

「強い絆で結ばれた日独の友好関係は、150年にわたる長い交流の歴史の中で、先人たちが続けてきたたゆまぬ交流の努力の結果だと思います。日独交流150周年は、感謝の念を持ってこうした努力を振り返るとともに、両国関係を更に未来につなぐ機会です」(ナルヒト/「ドイツフェスティバル 絆をつなごう  ドイツと日本」10.23)。
枢軸国時代の「つよい絆」を、こいつはよもや忘れてはいまいか。日本政府によってこの5年間が克服されない限り、少なくとも旧大日本帝国の、アジアの人々を地獄の底へ突き落とした近代史を克服する努力を続けない限り、残り145年で、この5年を帳消しになどできないのだ。天皇家に連なるどの先人たちが、どのような「たゆまぬ交流の努力」をしてきたのか、聞きたくもないが、問いただすべきだろう。とはいえ、その方法すら閉ざされているのが現実だ。醜悪な歴史もひっくるめて美化するこんな公式挨拶がまかり通るご時世、反天デモが難しくなるわけだ。とほほ
(梟)

2011/11/01

天皇の被災地「巡幸」――何やっテンノー!?

反天連パンフ


発行●反天皇制運動連絡会
2011年10月31日発行 400円

目次

まえがき(北野誉)

「慈愛」と「棄民」の天皇制国家(天野恵一) 

「戦後巡幸」と「国民」の天皇(伊藤晃) 

天皇はなぜいなくならないのか?(彦坂諦)

【反天連声明】


まえがき
 2011年7月10日、私たち反天皇制運動連絡会(反天連)は、東京・江戸川橋のピープルズ・プラン研究所で、「天皇の被災地『巡幸』 何やっテンノー!?」と題した小集会を行なった。震災後マスメディアを通して「国民に向けたおことば」を直接発し、次いで東京の避難所を手始めに、被災地の「巡幸」をおこなった天皇とその一族。彼らの動きを、敗戦時のヒロヒト天皇の「玉音放送」と「戦後巡幸」とに重ねあわせ、政治的な意味を読み解いていくという趣旨の集まりだった。このパンフは、当日の講師三人の発言をまとめたものである。
 詳しくは、直接パンフをお読みいただくとして、ひとつだけ、この集会をめぐるエピソードについてふれておくことにしたい。私たちも参加する8.15などの反靖国デモや、12・23(天皇誕生日)の反天連の集会などに、街宣右翼や在特会といった連中が押しかけて、妨害行動に出るのはいつものことだが、今回、こうしたいわゆる「記念日」以外の日としてははじめて、私たちは妨害の情宣に見舞われた。やってきたのは在特会の友好団体として立ち上がったらしい「日本侵略を許さない国民の会」と、街宣右翼(八台の街宣車が回っていた)である。少なからぬ参加者の協力も得て、幸い大きな混乱はなかった。
 「天皇制というのは、コミンテルンのスパイである美濃部達吉の用語」などという、頭が痛くなるような歴史認識を披瀝していた右翼連中だが、彼らは、われわれが天皇のみならず「被災者を冒涜している」ともがなりたてていた。被災地を「巡幸」する天皇と、それを歓迎する(とされる)被災者の姿。それはむしろ、右翼的な部分をこえた「国民的合意」として賛美されるものとなっている。震災と原発事故を克服し、「がんばろう日本」というわけだ。それが、多くの被害者の声を国家の側が封じ込めていく暴力としていかに機能していくかが、明らかにされていかなければならない。(北野誉)



2011/10/12

反天皇制運動 モンスター21号(通巻327号)



2011年10月11日発行

【扉】 (津田凌霄花)
【主張】野田政権の作為・不作為に抗して声を上げよう!! (桜井大子) 
【動物談義】“蜂呂辞任の真相?”の巻 
【状況批評】2011年中学教科書の採択結果とこれからの活動 (俵義文)

【反天ジャーナル】ハシズムにNO! (京極紀子)            
アメリカの占拠運動
 (木下茅)            
映画『シルクウッド』
 (シネ女)
【紹介】『いらない!共通番号』はいらんかい? (宮崎俊郎

【太田昌国の夢は夜ひらく「占拠せよ」(occupy)という語に、なぜ、私はたじろぐか (太田昌国)

【声明】9・11反原発デモへの弾圧を許さない! 5人の仲間をすぐ返せ!

【皇室情報の解読】野田政権の政治的性格――「被曝大国」化の促進を許すな! (天野恵一)
【野次馬日誌】9月1日~10月5日 

【今月の暴言】⑨ 

【集会の真相】日朝ピョンヤン宣言9周年 武力で平和・くらしは守れない!
日米韓軍事同盟も原発もいらない!9・19行動(渡辺健樹)
生き抜く狼‐病舎からの再審報告集会(平野良子)
『君が代』強制大阪府条例はいらん!全国集会(井前弘幸)
【反天日誌/集会情報/神田川】 


●定期購読をお願いします!(送料共年間4000円)
●mail:hantenアットten-no.net
●郵便振替00140-4-131988落合ボックス事務局

2011/09/17

【反天連声明】9.11反原発デモへの弾圧を許さない。5人の仲間をすぐ返せ! ──自由な行動、表現の自由に対する警察権力の不当な弾圧と、排外主義者たちによるデモへの妨害と攻撃を許すな!

9月11日、新宿で行われた「9.11原発やめろデモ!!!!!」に対して、警察権力は、これまで以上に敵意をむき出しにして臨んだ。主催者によれば、当初のデモ申請の出発地点とデモコースは一方的に変更させられ、デモ隊に対する過剰な警備体制が敷かれた。デモの隊列は圧縮され、押し込められ、参加者は暴力を振るわれたという。こうして自ら混乱をつくり出した警察は、デモ参加者を「公務執行妨害」などの名によってほしいままに逮捕し去ったのである。最終的な逮捕者は12人、まさに大量弾圧というべきである。

私たちの多くは、そのとき、都内で行われていた別の反原発アクションの場にいた。新宿の状況はそこにも刻々と伝えられた。膨れ上がっていく逮捕者の数に耳を疑い、怒りをかきたてられながら、このどす黒い警察権力の意思が、原発を推進し維持し続けようとする国家の意思とまっすぐつながっていることを、あらためて確認しないではいられなかった。

逮捕された人びとが「違法なデモをした」「暴行をふるった」などという許しがたいデマが、マスコミなどで垂れ流される。今回の弾圧が、反原発への弾圧であるばかりでなく、5.7や8.6などと同様、運動の広がりそれ自体に対する弾圧であることは、デモの参加者にこそはっきりと感じられていよう。なによりも、さまざまな人びとが、さまざまな方法で、自由に路上に繰り出していくことを圧殺しようというのが権力の意思だ。だから大量の逮捕者を生みだしたデモは、警察の暴力性ではなくデモの暴力性の証しとして描きだされる。そしてそのデモの参加者は「特殊な存在」であり、いわゆる「過激派」であるというかたちで、反原発運動のなかに分断の線が引かれる。

14日までに、逮捕者のうち7人まで釈放されたが、残りの5人に対しては不当にも10日間の勾留がつき、いまなお警察署に捕われたままだ。すでに救援会が立ち上がりさまざまな活動に取り組んでいる。私たちもまた、多くの人びととともに、新宿でおきた事態をはっきりと認識し、不当逮捕糾弾・即時釈放要求の声を上げていきたいと考える。

そして私たちは、今回、差別排外主義「市民右翼」=在特会(在日特権を許さない市民の会)などの連中がその場に登場し、デモ隊を挑発し、警察に逮捕を要求したという事実に、強い怒りを禁じることができない。

3.11以後、「原発の火を消させない国民会議」なるものを立ち上げた彼らは、この日、歩行者天国がおこなわれていた新宿三丁目の交差点近くに陣取り、デモ参加者を「反日極左」と名指しつつ、「生きたまま原子炉にたたきこめ」などと連呼した。

なにより、そのような場所を、警察が在特会に確保させたということ自体が、彼らへの優遇ぶりを物語っているのである。もちろん、歩行者天国を理由に情宣を制限することは不当だ。しかしこれまで、多くの市民・社会運動は、それを理由に警察や地元商店会の執拗な介入を受け、情宣の妨害をされてきたのだ。それが、彼らに対してだけは黙認されたばかりか、柵の中とはいえ、特等席ともいうべきカウンターの場が用意されたのである。

あまりにも傍若無人に差別的な言辞を吐き続ける在特会メンバーに対し、抗議の声をデモ参加者が上げるのは当然である。しかし、抗議しようとしたデモ参加者は、「逮捕しろ」と叫ぶ在特会メンバーの声に煽られるようにして一斉に襲いかかった警察によって、道路に押し倒され逮捕された。在特会のメンバーは、「逮捕なんて生ぬるいことしてないで射殺しろ」と叫び、逮捕者と一緒にいて警察に拘束された女性の腹を蹴るなどの暴行まで加えている。だが、これにたいして警察は「おとがめなし」で、なんの対応もしていないのである。暴力を行使した側ではなく、それに対して抗議しようとした側が逮捕されたのだ。

警察は、在特会にデモ妨害の自由を与え、デモ隊を挑発させることでデモを弾圧するための道具に使ったことは明らかである。在特会はその与えられた条件を存分に享受して、デモへの薄汚い妨害を続けたのだ。

デモ隊のすぐ脇で自由に「カウンター」を展開する在特会と、警察に規制され圧縮されながら進むデモ隊の不自由さ。このきわめて非対称的な構造は、私たちにとっても既知のものである。私たちも参加して例年取り組まれている、8.15反「靖国」行動のデモも、彼ら在特会らの「カウンター」に見舞われ続けているが、今年もまた警察は、九段下交差点が見わたせるポイントに、わざわざ彼らのためのステージをしつらえてやり、彼らはそこから、差別排外主義と暴力的な言辞を思うがままにデモ隊に浴びせかけることができたのだ。

警察権力と在特会のデモ隊に対する悪意は、彼らが言うところの「過激派」や「反日極左」を、そのようなものとしてレッテルばりして、この社会から葬ってしまいたいという意思において通底している。異論や他者を暴力的に排除することを自己目的化しているのが排外主義者であるとすれば、警察権力は、排除と包摂の線を引きながら、自律的な行動を自らの制御しやすい枠内へと押し込めていこうと意識している。かかる整序への暴力、排除と包摂の位階的なシステムこそ、この社会を根本から侵しているものであって、それを私たちは天皇制社会と呼ぶ。

3.11以降の現実は、地域差別や「死に向かう」原発下請労働者などへの差別構造とそれを前提とする社会のうえに、原発という存在が立っていたことを明らかにした。差別構造総体に対する反対の声を! 自由な行動、表現の自由に対する警察権力の不当な弾圧と、排外主義者たちによるデモへの妨害と攻撃を許すな! 5人の仲間をすぐ返せ!


2011年9月16日
反天皇制運動連絡会

救援会のサイトはこちら→ http://911nonukyuen.tumblr.com/

2011/09/07

反天連機関紙 反天皇制運動モンスター20号

  2011年9月6日発行
目次
【主張】 酷暑を乗り越えて秋からの行動へ ‐ 蝙蝠

【貝原浩のあの時この時】 「長野オリンピック」反対行動 ‐ 天野恵一

【状況批評】 “九・一八”80周年と歴史認識 ‐ 森正孝


【反天ジャーナル】  ・黙祷の圧力
            ・核=原子力マフィアの逆襲
            ・天皇の骨

【ネットワーク】 福島原発事故緊急会議・被曝労働問題プロジェクトの取り組み ‐ なすび

【声明】 8・15反『靖国』行動に向けられた弾圧を許すな! 右翼による私たちへの攻撃、暴行や傷害を糾弾する! 

【太田昌国の夢は夜ひらく】 ⑱ すべての根源には「米国問題」がある―9.11から10年を経て ‐ 太田昌国

【野次馬日誌】 

【今月の暴言】 ‐

【集会の真相】 

【反天日誌/集会情報/神田川】 

   ●定期購読をお願いします(送料共年間4000円)
●mail:hantenアットten‐no.net(アットは@に変換してください)
 ●郵便振替00140-4-131988落合ボックス事務局