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2014/06/01

反天連パンフレット――安倍政権と象徴天皇制の変容

反天連パンフレット
安倍政権と象徴天皇制の変容 
2014年4月29日発行 300円
目次
・天皇モデルの転換と私たちの民主主義・・・・・・・・2
・戦後天皇制を支えた「家族」の崩壊・・・・・・・・14
・天皇と皇后による天皇制の「政治利用」・・・・・・・・23
・討論・・・・・・・・31
 
このパンフレットは、2013年12月23日に、東京・早稲田で開かれた「安倍政権と象徴天皇制の変容」(主催:反天皇制運動連絡会)を冊子にしたものです。



2012/05/10

反天連パンフレット――原発ファシズム・天皇制



 原発ファシズム・天皇制
 2012年4月29日発行  400円
 
  目次

 ・まえがき(北野誉)
 ・原爆と原発、そして天皇
       ――象徴天皇制国家の〈原発責任〉 (天野恵一)
 ・原子力〝平和利用〟と永井隆(田浪亜央江)
 ・反原発運動を語る困難さについて(山口素明) 
 ・質疑




まえがき
 このパンフレットは、昨年12月23日に反天連主催でもたれた集会「原発ファシズム・天皇制」(千駄ヶ谷区民会館)の記録である。
 この集会からでもすでに4か月になるが、3・11と、それに続く日々の記憶は生々しい。もちろん、首都圏に住む私たちにとっては、それは被災現地の苦難とは比べものにならないものである。だが、震災に続く原発事故がもたらした状況は、やはり私たちの生を一変させるほどの衝撃を持つものだったことは明らかである。
 そのことを含めて、3・11以後を「戦後」と対比して語ることが多く見られた。12・23集会でも、そうであった。けれども、それはたんなる風景の類似性にとどまるものではない。そうした風景を作り出してしまった責任、つまりは、まさに戦後において問われなかった責任、あるいは連続してしまった社会的なシステムを今こそ問わなければならないという意志において、それは語られているのだ。
 天皇一族は、いちはやく被災地を訪れ、被災者を「慰撫」して回った。それは、戦後「巡幸」がそうだったように、天皇制と民衆との関係性を、あらためて再確認し「復興」していく儀礼的な行為でもあった。そして、今年の3月11日、国家による震災の死者の「追悼式」における明仁天皇の「おことば」は、3月11日という日付を、反原発ではなく追悼一色に塗り込めてしまうための、きわめて強い政治性をさえ発揮している。
 そして原発事故は、現在も続いている事態である。しかし「復興」を叫ぶ政府は、同時に原発再稼働に向けて前のめりになって進んでいる。彼らの言う「復興」とは、そういうものだ。「潜在的核保有」としての原発を推進した体制──山本義隆が言う、政・官・財一体となった"怪物的"権力によって、地元マスコミや学会から批判者を排除し、翼賛体制として成立したところの「原発ファシズム」──は、いまだ解体していない。
 私たちは、そのような現在進行形の「戦後」を問題とすることにおいて、日本の戦後を作り出した天皇制の責任、そしてその戦後をつねに肯定する役割を果してきた天皇制の責任を問い続けねばならない。このパンフは、そうした角度から反原発運動に合流していきたいと考えている私たちの、活動の記録でもある。(北野誉)

2011/11/01

天皇の被災地「巡幸」――何やっテンノー!?

反天連パンフ


発行●反天皇制運動連絡会
2011年10月31日発行 400円

目次

まえがき(北野誉)

「慈愛」と「棄民」の天皇制国家(天野恵一) 

「戦後巡幸」と「国民」の天皇(伊藤晃) 

天皇はなぜいなくならないのか?(彦坂諦)

【反天連声明】


まえがき
 2011年7月10日、私たち反天皇制運動連絡会(反天連)は、東京・江戸川橋のピープルズ・プラン研究所で、「天皇の被災地『巡幸』 何やっテンノー!?」と題した小集会を行なった。震災後マスメディアを通して「国民に向けたおことば」を直接発し、次いで東京の避難所を手始めに、被災地の「巡幸」をおこなった天皇とその一族。彼らの動きを、敗戦時のヒロヒト天皇の「玉音放送」と「戦後巡幸」とに重ねあわせ、政治的な意味を読み解いていくという趣旨の集まりだった。このパンフは、当日の講師三人の発言をまとめたものである。
 詳しくは、直接パンフをお読みいただくとして、ひとつだけ、この集会をめぐるエピソードについてふれておくことにしたい。私たちも参加する8.15などの反靖国デモや、12・23(天皇誕生日)の反天連の集会などに、街宣右翼や在特会といった連中が押しかけて、妨害行動に出るのはいつものことだが、今回、こうしたいわゆる「記念日」以外の日としてははじめて、私たちは妨害の情宣に見舞われた。やってきたのは在特会の友好団体として立ち上がったらしい「日本侵略を許さない国民の会」と、街宣右翼(八台の街宣車が回っていた)である。少なからぬ参加者の協力も得て、幸い大きな混乱はなかった。
 「天皇制というのは、コミンテルンのスパイである美濃部達吉の用語」などという、頭が痛くなるような歴史認識を披瀝していた右翼連中だが、彼らは、われわれが天皇のみならず「被災者を冒涜している」ともがなりたてていた。被災地を「巡幸」する天皇と、それを歓迎する(とされる)被災者の姿。それはむしろ、右翼的な部分をこえた「国民的合意」として賛美されるものとなっている。震災と原発事故を克服し、「がんばろう日本」というわけだ。それが、多くの被害者の声を国家の側が封じ込めていく暴力としていかに機能していくかが、明らかにされていかなければならない。(北野誉)