少し古い話になるが、この6月に「マイ・バックページ」という映画を見た。平井玄が「泣いた」とか、今が「旬」の男優、妻夫木聡と松山ケンイチが共演しているとか、の話題もあるのだが、何といっても「あの時代」がテーマになっていることがポイント。「朝霞基地自衛官殺害事件」。この事件の主謀者・菊井某がすごく変なやつだった、とか、当時の「カリスマ」滝田某の指名手配と逃避行、彼の救援会メンバーの苦闘とか、話題・議論の的になる問題は多々あるのだが、私が印象深かったのは、この映画に出てくる山本義隆。私の記憶では、69年6月15日(映画では少し違う設定)、野音も含む日比谷公園全域が「労働者・市民・学生(なんかなつかしいなあ)」で一杯になっていたとき、「指名手配」中の東大全共闘「代表」(彼の本意ではなかったと思うが)・山本義隆が登場する。朝日新聞社の社旗をつけた車に乗って……。影武者も何人か用意されていた、という。映画に出てきた彼は、その風貌は私のイメージとは異なっていたが、そんなに「カッコイイ」わけでもなく、さりとて不様でもなく、まあ「妥当」な描かれ方だった(と思う)。
70年代半ば以降運動の前面には出てこなくなった彼の、時折聞こえてくる消息は、決して悪いものではなかった。彼が「科学」の歴史に関心を持ち、研究していることを、私は、彼が人々に伝えたいメッセージを今も抱き続けていることを示していることなのだと思う。そして「福島原発事故」を巡る諸問題に対する明晰な分析と主張を展開してくれた、この夏の反原発本。「政治・社会」問題として押さえるだけではなく、「人間と技術、科学」に関する哲学的ともいえる考察─問題提起がなされていて、今の私の心に「最も響く」一冊を届けてくれたのである。(敬称略)
(11月4日/高橋寿臣)