2014/01/14

カーニバル10号【集会報告】  反天連12・23集会「安倍政権と象徴天皇制の変容」


【集会報告】 反天連12・23集会「安倍政権と象徴天皇制の変容」

 一二月二三日、恒例の反天連集会が早稲田・日本キリスト教会館でおこなわれた。今年のテーマは「安倍政権と象徴天皇制の変容」。
 熊本「海づくり大会」での水俣病患者への「慰問」、葬儀と陵墓の見直し、ミチコの「五日市憲法」評価、当日発表された記者会見におけるアキヒトの戦後憲法評価など、この間も現天皇の「リベラル」ぶりが際立っている。それは、強権的な安倍政権の「壊憲」姿勢との対比を見せ、それを懸念する人びとの天皇への「期待」さえ抱かせる。
 そこには、戦後の象徴天皇制を支えてきた社会的・政治的条件が変容し、国家の制度としてあらたな天皇制の位置づけを模索しているであろう政府・与党と、天皇制という制度を生きる天皇自身とのあいだでの、ある種の力学が働いていると推察できる。こうした状況の中で、反天皇制運動としては、どのような天皇制批判の言説を作りだしていくべきなのか。この、なかなか解きがたいテーマが今回の課題である。
 発言者はまず、日本近代史研究者の伊藤晃さん。二一世紀の国民国家の動揺という事態に、戦後象徴天皇制=アキヒト・モデルが通用しなくなっている。安倍の国家主義モデルにおいては、国家意思と民衆意識の、権威ある媒介者として元首天皇制がイメージされているのだろうが、大衆社会における天皇制にとって、それは打ち出し難い。しかし、天皇はやはり「公」性を押しだし国民を一体化させる装置であり、われわれは民主主義的な社会的共同性と自立性(われわれの共和主義の内実)を対置していかなければならない、と述べた。
 神戸大学教員でジェンダー研究者の青山薫さんは、高度成長・戦後民主主義を支えてきた「家族」の象徴としての天皇一家を論じ、そうした家族モデルが崩壊している現状と、天皇制との乖離を指摘した。同時に、家族という制度の持ってきた排外性・差別性について指摘し、家族の変容がもたらすプラスの面についても論じた。
 最後に反天連の天野恵一。天皇と安倍の「矛盾」を指摘しながらも、天皇制は支配集団に政治利用されるためにだけ存在してきた。即位時のアキヒトの「護憲発言」を評価した、かつての小田実や鶴見俊輔の発言を紹介しつつ、アキヒト天皇制が「護憲」に始まり、「護憲」に終わろうとしている、その意味を考えるべきと提起し、最後に竹内好の「権力と芸術」という論文に触れて「仁慈としての天皇制」の側面に改めて着目することを訴えた。
 その後の討論も活発にかわされた。参加者九〇名。      (北野誉=反天連)