2015/01/12

2015・2・11 反「紀元節」行動への参加賛同の呼びかけ



敗戦70年と象徴天皇制の70年を撃つ 2・11反「紀元節」行動への参加・賛同の呼びかけ

 二〇一五年、私たちは敗戦七〇年目の年を迎えようとしている。
 すでにマスメディアでは、戦後七〇年を意識したキャンペーンが始まっている。この一年、日本の戦後史とその評価をめぐって、さまざまな言論が登場するはずである。そこで、いわば戦後の「総括」の場がつくり出されることは明らかである。
 安倍首相は、七〇年目にあたって「安倍談話」を発表したい意向だと言われている。しかし安倍政権においても、右派が期待するような、「従軍慰安婦問題」や日本の侵略を認めた「河野談話」や「村山談話」などを否定する談話を出すことは、事実上不可能だろう。そうではなく、それらを「継承する」と言いながら、あたかも新たな談話を上書きすることで、実質的にそれらを骨抜きにする方向がめざされるのではないか。そしてそれが、植民地支配やアジア太平洋戦争に対する日本の責任に対する言及を欠き、自国中心主義的な「未来志向」を謳うものとなることも明らかだろう。
 一九九五年、敗戦五〇年目に出された「村山談話」や「国会決議」は、もとよりきわめて不十分なものでしかなく、それどころか「談話」について解説した村山首相は、「天皇に戦争責任はない」とわざわざ明言していたのだ。しかし、これに対して右派のバックラッシュが巻き起こった。そしてその先頭に立っていたひとりが、ほかならぬ安倍だったのである。
 七〇年目を区切りとして、さまざまな場面において、日本の戦後を向こう側から総括し、平和主義や基本的人権など「戦後的価値」を一挙的に清算し、国家主義・強権的方向で「戦争をする国家」への全面的転換を果そうとするのが、安倍の進める政治に他ならない。そしてその道が、今回の衆院選における「勝利」によって「国民の信任を得た」といういい方で、より加速されようとするだろう。
 他方、この四月には、明仁天皇夫婦が、パラオを「慰霊訪問」するという。かつて日本の「委任統治領」であった南洋群島のひとつであるこの地は、アジア太平洋戦争中、三か月にわたるペリリュー島の凄惨極まる消耗戦で、日米両軍に大量の死者を出した場所である。未収集の大量の遺骨も放置されたままというこの地での天皇の「慰霊」行為は、悲劇の戦場で「追悼」する天皇、「戦争の死者に思いをはせ、戦争の悲惨さを心に刻む天皇」といった文脈で描き出されることになるだろう。しかし、そこでは、その死者を生み出した戦争、その戦争をおこした近代天皇制国家の責任は、決して問われることはない。
 死者は国家がひきおこした戦争の被害者であるというより、なによりもまず、いまの「平和」をもたらした「尊い犠牲」なのだ、だから国民こぞって追悼しなければならない。天皇を先頭に作り出されるこうしたムードは、「お国のために尊い命を捧げた英霊」を、国が顕彰しなければならないという「靖国」の論理と、「国家による死者の利用」という点でつながるものである。それは、その地における具体的な死者と結びつけられるがゆえに、きわめて強固な政治力を発揮するだろう。
 明仁天皇は、即位以来、東南アジアや中国などへの「皇室外交」、沖縄や広島・長崎、東京下町、硫黄島、サイパンなど、戦争に関わる加害と被害の地を精力的に回り続けてきた。八・一五における「全国戦没者追悼式」も含めて、国家による「追悼」とそこでの天皇の行為は、つねに国家の戦争・戦後責任を解除し、問わなくさせるための儀式でしかなかった。さらに、「東日本大震災」以降、三・一一が、国家の原発推進政策と原発事故の責任を解除させるための天皇儀式の日ともなっている。
 新自由主義政策のもとで拡大する「格差」、大企業や富裕層への優遇と民衆生活の破壊は、この社会に深刻な亀裂を生みだしている。あらゆる分野での国家による「棄民」が進んでいる。こうした分解を観念的に包摂し、「日本」の「国民」として統合する役割は、やはり天皇に与えられているのだ。こうした点において、天皇と安倍政権の役割は「分担」されている。しかし同時に、われわれは、折りに触れて現われる天皇と安倍政権との「齟齬」についても注目していかなければならない。それは少なからぬ「リベラル派」のように、安倍政治を「牽制」するために天皇発言を持ち上げたいからではない。戦後象徴天皇制の現在と、その再編方向をめぐって現われている支配層内部の矛盾が、そこにあらわれているからにほかならない。現天皇によって、二五年以上にわたって重ねられてきたそうした役割を、敗戦七〇年と重ね合わせて、われわれの視点から総括し批判する運動をつくっていかなければならない。
 敗戦七〇年の反天皇制運動の第一波として、私たちは例年通り、二・一一反「紀元節」行動の準備を開始している。多くの方の参加・賛同を訴える。



敗戦70年と象徴天皇制の70年を撃つ 2・11反「紀元節」行動 http://2015211.blogspot.jp/

【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/立川自衛隊監視テント村/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

2014/12/17

カーニバル21号[主張]

 
安倍政権と対決し言論・治安弾圧に抗していこう!
 

 低迷を続ける経済の中で、九〇年代以降の日本国家は極端な財政出動を繰り返し、政府債務を積み上げ続けてきた。とりわけこの十数年間は「国家財政の危機」が唱和され、政府支出の「見直し」が政治課題となってもいた。そのなかで、麻生内閣は大規模な政府支出を実施したが、アメリカのサブプライムローン破綻の結果を糊塗したにすぎず、放漫なバラマキの経済効果は全く見られなかった。ところが安倍政権は、これに輪をかけた支出と金融緩和を実施し、円安効果による金融・株式市場への資金誘導を「アベノミクス」と名付けて喧伝している。
 しかし、これが政府赤字を埋めるだけの財政ファイナンスにすぎず、折から実施された消費税八%への「駆け込み効果」を除くと、極めて一時的な景気浮揚効果しかもたらさなかったことは、もはや明らかだ。実体経済は、十数ヵ月にわたる実質賃金の低下とともに、はっきりとリセッションに至っている。経済活動全体の落ち込みの中で新たな産業の基盤もそぎ落とされ、富裕層からの「トリクルダウン」どころか、課税や福祉削減、雇用不安定化などにより、中間層の崩壊と貧困層からの強盗的な収奪が拡大する一方となっている。そのような中で、安倍はこの年末に衆院選挙を実施し、日銀の「追加金融緩和」の影響で株価が上昇したことのみを「成果」として謳いあげて、マスメディアの囲い込みとその「バンドワゴン」効果で、自民党政権をさらに固めようとしているのだ。
 改憲策動、国家秘密法、集団的自衛権、原発再稼働、沖縄の米軍基地など、安倍ら極右グループがこのかん推進してきた政策は、国内的にも国際的にも緊張を高めている。しかし、こうした「ショック・ドクトリン」的な手法によって、これまで安倍らは独裁的地位を強化してきた。今後はこれに味を占め、さらに警察国家的な強圧政治を重ねていくことが想定される。
 こうした事態を拱手傍観しているわけにはいかない。私たちは、もちろん、それぞれ小さな力量しか持ち合わせはない。しかし、それにもかかわらず、安倍ら極右グループによる強権的支配への憤りが、大きな広がりをもっていることを、さまざまな人々からの声とともに、これまでよりさらに強く確信できている。
 二〇一五年は、大日本帝国の敗戦から七〇年にあたる。またこれは、日韓条約から五〇年という時期でもある。こうしたことそれ自体が意味を持つわけもないが、歴史的な時間の中で、日本国家の過去と現在~未来を見極めていくにあたって、多くの人々と討議を深めていくにあたっての重要な好機たりうるだろう。日本国家の戦争・戦後責任と、戦後補償の問題は、日本政府がその責任をないがしろにする政策や発言を繰り返し、日本国家と民主主義の頽廃が極右勢力の台頭をもたらす中で、ますます先鋭化してきている。安倍ら極右による自民党政権自体が、民間暴力と国家の暴力を伴うヘイト集団であることが、あらゆる点から露わになっている。それは、韓国、朝鮮や中国などの諸国との関係のみならず、アメリカの軍事戦略にとっても、明仁らによる「象徴天皇制」の体制にとっても、重大な暗雲を投げかけるものとなっているのだ。
 昭和天皇裕仁の「昭和天皇実録」が公刊される。すでにその内容の一部は伝えられており、裕仁の戦争責任や、戦後の「君主」としての政治への関与も、その多くは伏せられながら、少しずつ明らかにされていくことになるだろう。明仁と美智子は、安倍政権下で歴史問題が浮上する前にと考えてか、今年は、沖縄や長崎に加え、広島にも「慰霊」を実施した。しかし、このようなふるまいをするほどに、天皇制の責任や、それを宗教で蔽わんとする「慰霊」の政治性は明らかであり、私たちはこれまでもこれからも、この問題を撃ち続けていく。
 一二月二三日の明仁の誕生日は、東京裁判のA級戦犯の死刑執行の日でもある。この歴史を批判しつつ、私たちは今年も集会を持つ。今回は、安倍政権下の言論弾圧、治安弾圧を批判しぬくものとして準備がなされている。多くの結集を呼びかけたい。         
(蝙蝠)

 

2014/12/16

反天皇制運動カーニバル21号 [通巻364号]

反天連機関紙 反天皇制運動カーニバル21号 [通巻364号]
2014年12月9日発行


主張 ◯  安倍政権と対決し言論・治安弾圧に抗していこう!

動物(あにまる) 談義◯  ・臣民への道?・の巻

状況批評 ◯  辺野古に通って10年─田場祥子

反天ジャーナル ◯

紹介 ◯  「現代のナショナリズムを考える─国はなくとも人は生きる」 

太田昌国のふたたび夢は夜ひらく〈56〉 ◯  朝鮮通信使を縁にして集う人びと─太田昌国

皇室情報の〈29〉 ◯  あらためて、象徴天皇制とは何か?─私はなぜ天皇夫婦のオコトバに「感動」などしないのか─天野恵一

野次馬日誌
集会の真相
集会
神田川



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2014/12/03

12・23反天連集会 敗戦70年「平成天皇制」を総括する




【発言】山口正紀(ジャーナリスト)
    井上森(立川自衛隊監視テント村)
    天野恵一(反天皇制運動連絡会)


【日時】2014年12月23日(火・休)13:15開場

【会場】千駄ヶ谷区民会館2F(JR原宿駅/地下鉄北参道駅下車)

【主催】反天皇制運動連絡会(hannten@ten-no.net
 

 

呼びかけ

 3年目を迎えようとしている安倍政権。靖国神社参拝、集団的自衛権容認、秘密保護法、原発再稼働…と、批判の声を無視して、力ずくで「戦後国家」の枠組みを大きく変える道を突き進んでいる。
 一方、ことあるごとに「平和」や「護憲」の姿勢を滲ませることで、安倍のアブナイ政治に懸念を示しているかにみえる天皇。その存在に、安倍政権に反撃する強力な「援軍」を得た気持ちになってしまうような言説もあとを断たない。
 しかし、考えてみよう。天皇という立場が戦後国家の制度(象徴天皇制)に基づいている限り、天皇制は時の政権を正当化することしかできないのだ。なんであれ、天皇を賛美することは、日本国家を賛美することしか意味しない。そして、天皇に対して批判的な言説を口にする余地は、マスコミや警察権力、右翼、そしてこの社会の風潮によって、ますます狭まっている。天皇制が、自由な言論と人権を抑圧し続ける。
 象徴天皇制とは、いったいどういうものであるのか。12月23日の「天皇誕生日」に、今年も天皇制の問題をあらためて考える集会を持つ。ぜひとも、多くのみなさんの参加を。

2014/11/16

カーニバル20号[主張]

   「争いや苦しみの芽を摘む」ってなんじゃい


 一一月七日、反対する多くの市民の声を前に、鹿児島県議会は川内原発の再稼働を求める陳情を賛成多数で採択した。傍聴報告、いち早く出されたFoE Japanやフクロウの会の緊急声明など、すでにインターネット上に流れている。無惨な議会の様子や反対派の声など、ここでは割愛するしかないが、この国の政治家たちの、福島原発事故への無反省と、どれだけの人が苦しもうが一部の人間の利益を優先するという確たる方針だけはよく見て取れる。人を人と思わず、自然をなめきった政財界が結託した阿呆な政策結果に泣かされるのは、やはり人であり自然である。県議会の、政府を信じるというパフォーマンスは、痛すぎる。

 そういった政治家と企業の好き勝手を許すわけにはいかないと、現地と全国の反対運動は、このひどい事態の中でも諦めずに果敢に闘われている。反天連にも老体にむち打ち関わり続けるメンバーがいる。私個人のできることなどないに等しいが、それでも繋がっていくしかないと今さらながら思うのだった。ここで再稼働なればあとは芋づる式、とのひそひそ声も聞こえる。そうはならんぞ、という声とともに歩くしかない。

 この川内原発の件でも、いずれはアキヒト・ミチコがなんらかの言葉を発するような事態がでてくるであろうか。ここ数年の彼らのパフォーマンスは目に余りすぎるが、一〇月二〇日のミチコの誕生日前、記者会質問に答えた恒例のミチコ文書にも、無視できない発言が紛れていた。例年、よく驚きの一発が入っていたりするが、今回もかなりすごい。

 「平和の恩恵に与っている私たち皆が、絶えず平和を志向し、国内外を問わず、争いや苦しみの芽となるものを摘み続ける努力を積み重ねていくことが大切ではないかと考えています」。

 具体的な例など何もない。そういう意味ではさまざまにシチュエーションと立場性を想定して読める一文である。これをまた都合よく解釈して読む人も出てくるのであろうか。ただ、「争いや苦しみの芽となるものを摘み続ける努力」とは、どのようにも解釈できる、といったはなしではない。超権力・最高権威者に一番近いものの発言としては、ぞっとするほど具体的すぎはしないか。

 この発言は、今回の川内原発再稼動をめぐる攻防にも、沖縄の辺野古や高江で闘われている米軍基地建設問題をめぐる攻防にも、靖国をめぐる攻防、国会で進められている集団的自衛権や秘密法の問題、「慰安婦」問題をめぐるNHKや政府が代表する見解と国内外の謝罪と補償を求める声、あるいは武器輸出問題、カジノ容認問題、はたまたオリンピック、TPP、消費税、派遣法、等々……、私たちがすぐに思い起こすすべての課題に関連させて読むことができる。

 「平和」を願い祈る天皇・皇后だから、まさか極右の安倍や戦争国家米国の側にではなく、民衆の側に立った発言に違いない、というのが大方の読み手の「思い」となるのだろうか。そう読めば、摘みとられるのは安倍政権ということになるのだろう。そうでなければ、我々が摘み取られるのか? そこには具体性を押し隠した気持ちの悪い政治のありようが見え隠れするのだ。

 天皇一族の発言をどのように解釈しようと、それは天皇制の政治の土俵に登ることにしかならない。それを望まない私たちにできることは、そういった天皇一族の政治的発言を許さない、という立場をとるだけだ。発言したければ、権力者の上に立つ最高権威者の地位から降りるべし。当たり前のことだ。また、時の権力者たちが超権力・最高権威を政治的に使い、そのためにこそ最高権威者として天皇を護る(雇う)という政治システムが天皇制であることを忘れてはなるまい。しかし、そんなことも理解させないのが「慈愛」の天皇制であり、権威の発言にこそ意味を見出す意識が発想が天皇制を支える。しかも、それは公的な暴力で支えられているのが現実で、天皇制批判を許さない権力と日本のマジョリティ社会がある。およそ民主主義とはかけ離れた社会なのだ。

 反天連では、このようなアキヒト・ミチコ天皇制を批判し抜くための、Xデーを射程に入れた議論を開始していきたいと考えている。天皇一族の護憲発言の真相、それを一歩踏み外したかにも見える今回のミチコ発言、対する人々のさまざまな反応の分析等々、議論することは多い。これまでも同じ課題をずっと議論してきた反天連であるが、もう少し議論の切り口・視点を増やしていく努力、発想の転換、等々を模索したいと考えている。その手始めとして12・23集会も準備を始めている。ぜひとも、お集まりください。詳細はインフォメーション・チラシを!
(桜井大子)
 

2014/11/14

反天皇制運動カーニバル20号 [通巻363号]

反天連機関紙 反天皇制運動カーニバル20号 [通巻363号]
2014年11月11日発行
 

貝原浩のあの時・この時 ◯  「愛ちゃん」誕生大ハシャギの瞬間

状況批評 ◯  10年後のミッキーたち─平井玄

反天ジャーナル ◯

太田昌国のふたたび夢は夜ひらく〈55〉 ◯  四、五世紀の時間を越えて語りかけてくる、小さな本─太田昌国

ネットワーク ◯  被爆70年、『原爆の図』を米国へ ─鶴田雅英
 
野次馬日誌 ◯ 10月1日~11月4日

集会の真相◯  響かせあおう死刑廃止の声2014
         ・朴花城(パクファソン)を学ぶ
         ・「平成」の天皇制ハラスメント

集会情報◯

神田川◯

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2014/11/11

2014 8・15反「靖国」行動 ●報告と抗議声明 ― 安倍戦争国家の「追悼」を許さない!反「靖国」行動実行委員会

 

2014 8・15反「靖国」行動 報告と抗議声明

 8月15日に行なわれた「安倍戦争国家の『追悼』を許さない!8/15反『靖国』行動」は、今回も警察の厳しい規制や右翼らによる執拗な妨害を受けましたが、けが人などを出すことなく、安倍政権への抗議や反靖国、反天皇制の声をあげていくことができました。今回の集会への参加者は220名、デモへの参加者は250名を数えました。厳しい時代状況の中、この集会とデモに参加された皆さん、また、ご支援、ご協力いただいた皆さんに、心からお礼を申し上げます。
 今回の行動に対する警察の警備により、大騒音をかきたてる右翼団体の大型・小型の街宣車については、集会会場やデモ行動から遠ざけた位置で規制されました。しかし、いつものごとく警察の警備行動は、在特会らのレイシストグループにはその街宣の場所を確保するものであり、さらに、右翼団体構成員らがデモ行動につきまとい暴行することに対しては、きわめて恣意的な判断で、ある程度自由にやらせるという警備が実施されました。
 それは、参加者の身体を傷つける暴力を振るうということにたいしては一応止めるものの、宣伝カーへの攻撃や参加者のもっているプラカードの強奪などは黙認するというものでした。こうした矛盾に満ちた警備体制のもと、多くの右翼が、歩道のみならず車道をデモ隊と並走し、ヘイトスピーチを含む暴言を投げ続けました。この場で現実に繰り広げられたのは、宣伝カーに対する器物損壊であり、デモの横断幕や旗竿・プラカードなどの強奪と破壊であり、これら暴行に伴う「殺せ殺せ」という脅迫であり、参加者に掴みかかって衣服を破ったり、蹴りや殴打を加えるなどの直接的な暴力によるデモ行動の妨害でした。さらにこれは、重装備の若い機動隊員をも怯ませるほどの規模で行われる、組織的な公務執行の妨害でもありました。
 そして、このような右翼団体構成員による暴力が、警備の警察官によって一旦は抑止されても、暴行を加えた同一人物が公安の私服警察官と談笑しながらデモに並進し、警備の隙を狙っては形相を変えデモ隊列に向かって突進するという醜悪きわまる光景を、私たちは幾度となく目撃し、また、身をもって体験させられました。
 大阪府警が刑法犯の認知件数を大幅に過少に報告していたという問題が7月末に明らかになっています。このように警察では、事件捜査においても、証拠や調書の扱いにおいても、統計事実の扱いにおいても、恣意的な権力行使と隠蔽が常習化しています。明白な右翼の暴力を見過ごすことも、これと軌を一にする問題だと言えるでしょう。
 私たちのデモもそうですが、近年、数多くの表現や行動が右翼暴力団やネット右翼などのグループによる暴力にさらされています。しかし警察は、その目の前でふるわれている暴力を見過ごして立件しようとせず、かえって、国家に対する異議申し立てを行う運動、右翼の暴力に抗議する運動に対して、厳しい弾圧を実施してきました。公安警察などによる違法なビデオ撮影も、右翼の暴行を撮影するというよりは、一貫してデモ隊の参加者の特定のために行なわれていました。
 これらの事実は、私たちのみならず、右翼や警察官を除くすべての人々においても、警察の行為に不信感を抱かせるものです。8月20日、21日に開催された国連人権高等弁務官事務所における人種差別撤廃委員会においても、レイシストの側を守るかのような警察による権力行使が誤っていることについて、厳しく指弾されています。
 私たちは、右翼暴力団、レイシストグループらによるデモ行動への攻撃を許しません。そして、こうした右翼の暴挙をむしろ勧奨するかのような、公安・警備の警察官の行動を強く弾劾します。

   安倍戦争国家の「追悼」を許さない!反「靖国」行動実行委員会
    http://2014815.blogspot.jp/