2014/12/17

カーニバル21号[主張]

 
安倍政権と対決し言論・治安弾圧に抗していこう!
 

 低迷を続ける経済の中で、九〇年代以降の日本国家は極端な財政出動を繰り返し、政府債務を積み上げ続けてきた。とりわけこの十数年間は「国家財政の危機」が唱和され、政府支出の「見直し」が政治課題となってもいた。そのなかで、麻生内閣は大規模な政府支出を実施したが、アメリカのサブプライムローン破綻の結果を糊塗したにすぎず、放漫なバラマキの経済効果は全く見られなかった。ところが安倍政権は、これに輪をかけた支出と金融緩和を実施し、円安効果による金融・株式市場への資金誘導を「アベノミクス」と名付けて喧伝している。
 しかし、これが政府赤字を埋めるだけの財政ファイナンスにすぎず、折から実施された消費税八%への「駆け込み効果」を除くと、極めて一時的な景気浮揚効果しかもたらさなかったことは、もはや明らかだ。実体経済は、十数ヵ月にわたる実質賃金の低下とともに、はっきりとリセッションに至っている。経済活動全体の落ち込みの中で新たな産業の基盤もそぎ落とされ、富裕層からの「トリクルダウン」どころか、課税や福祉削減、雇用不安定化などにより、中間層の崩壊と貧困層からの強盗的な収奪が拡大する一方となっている。そのような中で、安倍はこの年末に衆院選挙を実施し、日銀の「追加金融緩和」の影響で株価が上昇したことのみを「成果」として謳いあげて、マスメディアの囲い込みとその「バンドワゴン」効果で、自民党政権をさらに固めようとしているのだ。
 改憲策動、国家秘密法、集団的自衛権、原発再稼働、沖縄の米軍基地など、安倍ら極右グループがこのかん推進してきた政策は、国内的にも国際的にも緊張を高めている。しかし、こうした「ショック・ドクトリン」的な手法によって、これまで安倍らは独裁的地位を強化してきた。今後はこれに味を占め、さらに警察国家的な強圧政治を重ねていくことが想定される。
 こうした事態を拱手傍観しているわけにはいかない。私たちは、もちろん、それぞれ小さな力量しか持ち合わせはない。しかし、それにもかかわらず、安倍ら極右グループによる強権的支配への憤りが、大きな広がりをもっていることを、さまざまな人々からの声とともに、これまでよりさらに強く確信できている。
 二〇一五年は、大日本帝国の敗戦から七〇年にあたる。またこれは、日韓条約から五〇年という時期でもある。こうしたことそれ自体が意味を持つわけもないが、歴史的な時間の中で、日本国家の過去と現在~未来を見極めていくにあたって、多くの人々と討議を深めていくにあたっての重要な好機たりうるだろう。日本国家の戦争・戦後責任と、戦後補償の問題は、日本政府がその責任をないがしろにする政策や発言を繰り返し、日本国家と民主主義の頽廃が極右勢力の台頭をもたらす中で、ますます先鋭化してきている。安倍ら極右による自民党政権自体が、民間暴力と国家の暴力を伴うヘイト集団であることが、あらゆる点から露わになっている。それは、韓国、朝鮮や中国などの諸国との関係のみならず、アメリカの軍事戦略にとっても、明仁らによる「象徴天皇制」の体制にとっても、重大な暗雲を投げかけるものとなっているのだ。
 昭和天皇裕仁の「昭和天皇実録」が公刊される。すでにその内容の一部は伝えられており、裕仁の戦争責任や、戦後の「君主」としての政治への関与も、その多くは伏せられながら、少しずつ明らかにされていくことになるだろう。明仁と美智子は、安倍政権下で歴史問題が浮上する前にと考えてか、今年は、沖縄や長崎に加え、広島にも「慰霊」を実施した。しかし、このようなふるまいをするほどに、天皇制の責任や、それを宗教で蔽わんとする「慰霊」の政治性は明らかであり、私たちはこれまでもこれからも、この問題を撃ち続けていく。
 一二月二三日の明仁の誕生日は、東京裁判のA級戦犯の死刑執行の日でもある。この歴史を批判しつつ、私たちは今年も集会を持つ。今回は、安倍政権下の言論弾圧、治安弾圧を批判しぬくものとして準備がなされている。多くの結集を呼びかけたい。         
(蝙蝠)