反天連集会「原発ファシズム・天皇制」
毎年恒例で行われている反天連の集会。今回は「原発ファシズム・天皇制」をタイトルに、原宿・千駄ヶ谷区民会館で約80名の参加で行われた。「原発ファシズム」というのは、山本義隆の言葉である。政・官・財一体となった「怪物的」権力によって、地元やマスコミや学会から批判者を排除し、翼賛体制として成立した体制をさす。それは冷戦体制のもとで作り出された核の「平和利用」=潜在的核武装戦略を背景として、日米関係に深く規定された戦後日本国家の問題と深く結びついている。戦後国家の形成に向けて天皇制が果した役割を考えるならば、それはまさに反天連的なテーマといえるのだ。
今回の発言者は反天連の天野恵一、田浪亜央江(ミーダーン〈パレスチナ・対話のための広場〉)、山口素明(フリーター全般労働組合)の3人。天野は、原爆投下にも一定の責任を持つ天皇が、敗戦後、自己の延命を図るためにアメリカとの反共同盟をすすめていった。その過程でつくりだされた戦後国家が、原子力産業において旧財閥をも復興させ、天皇もまた核の平和利用キャンペーンの一端を担ったことなどを紹介した。
田浪さんは、長崎の死者を、世界戦争の罪をあがなう「犠牲の祭壇に屠られ燃やさるべき潔き羔」と論じてその死を意味づけた永井隆の「燔祭説」を紹介した。原爆投下責任や天皇制批判には決して行きつかない彼の思想(科学信仰も含む)が、「被爆国なのに原発大国」となっていった日本のありかたと通底している問題について考えさせられる提起がされた。
山口さんは、原発事故に際してフリーター労組が発した声明(グスコーブドリのいないイーハトーヴはいらない)を手始めに、だれかを死地に追いやりつつそれを称賛するようなことをしてはならない、と語った。具体的には被爆労働者という圧倒的に少数の人びととどうつながるかという、困難な課題がある。さらに、責任論についても、「受益」と「被害」を中央/地方にそれぞれ単純に切り分けるところで終わらせずに、精緻に考えていく必要などについて語った。
(北野誉/反天連)