2016/09/04

【反天連からのよびかけ】02 違憲の『天皇メッセージ』が民主主義を押しつぶす ――この異様な状況に批判の声を上げていこう


【反天連からのよびかけ】02   2016年8月28日

違憲の『天皇メッセージ』が民主主義を押しつぶす
――この異様な状況に批判の声を上げていこう


 「生前退位」意向表明が政府や宮内庁を飛び越えたメディアへの「リーク」という形式でなされ、天皇の「Xデー」状況は開始された。そしてまた、メディアに事前に予告され、8月8日には、あたかも昭和天皇が「終戦詔書」を読み上げた「玉音放送」さながらの演出で、「天皇メッセージ」がビデオ放映された。

●違憲行為の当事者たちの責任を明らかにさせよ

 天皇が、憲法をはじめとする法制度や国家の政治に関与することは、憲法に明確に違反しており、決して許されてはならない。現在の憲法における「天皇の地位」や権能の制限は、何よりも大日本帝国憲法下において、天皇の権力が、内閣による「輔弼」という形式をとりつつ、政治への統治権としても、また軍に対する統帥権としても、実質的に行使され続け、「戦争の惨禍」を起こしてきたことを否定し、「国民主権」のもとに位置づけるためのものである。
 それにもかかわらず、今回の「天皇メッセージ」は、発言の中で「摂政を置くこと」や「代行」による対応などを拒否し、同時に、直接の表現を避けつつ、憲法や皇室典範に規定のない「生前退位」を強く望んでいることを明らかにした。天皇がその機能を果たせない状態のときに向けて、あらかじめ準備されている制度の適用を拒否し、皇室典範などの関連法規の改定によってしかなし得ない内容を、明確に要求したのである。これらは憲法上の規定の否定であり、国政に関する権能の行使であり、はっきりとした違憲行為である。
 天皇は、憲法上の「国事に関する行為のみ」を行なうとされ、その国事行為のすべてについて「内閣の助言と承認を必要とする」と定められている。天皇の違憲行為を認めることが、誰によりどのような経過でなされたものなのか。私たちはまずそれを明らかにさせねばならない。そして、これに関与した政府や官僚、宮内庁関係者や、皇族たち自身の責任をも明らかにさせねばならない。

●違憲性を覆いつつ演出された「天皇メッセージ」

 天皇の地位に関することは、まったく天皇や皇族たちの私事ではありえない。天皇の行為は、憲法上、国家の機関による行為としてあるのだ。ところが、メディアのすべて、さらに大多数の「有識者」たちが、この「天皇メッセージ」の違憲行為を見ぬふりをしてむしろ賛美し、「国政に影響を及ぼすものではない」とする政府首脳の発言をも追認している。
 明仁天皇によるメッセージは、憲法にかかわる多くの重要な問題の変更が、個人的な決断によって可能となるかのような前提に立っている。外形的には穏やかな「語りかけ」のスタイルをとりながら、実現されようとするものは、まさに天皇自身による天皇制の大幅な転換なのだ。このメッセージを引き金として、関連する法律の改定や立法の準備がすでに開始されている。これはきわめて異様な事態である。日本国憲法の改定を求める発言すら、メディアには流通しはじめている。
 しかし、かつても天皇制の政治権力は、このように天皇の意思を「忖度」する形で行使されてきたのであり、その構造は、「護憲」を義務づけられている天皇や政府権力によって現在も維持されていることが明らかになった。
 このような状況下で、天皇が「退位」を要望したり、天皇に「退位」を要求したりすることが、政治的にきわめて重大な事態を引き起こすこともまた、逆説的にはっきりしたと言わねばならない。私たちはこうした天皇制の構造と政治権力のあり方を、民主主義の立場からも、立憲主義の原則からも、強く批判する。

●天皇が要求する「象徴の立場への理解」

 今回の「天皇メッセージ」の重要な問題点として、さらに挙げられなければならないのは、天皇の行為として、憲法上の「国事行為」のほかに、憲法上の規定のない「象徴としての行為」というものを強調していることである。
 明仁天皇は、憲法第7条に定められた10項の「国事行為」に含まれない、それ以外の多数の行為を、「天皇の象徴的行為」とした。メッセージとして語られた、「国民の安寧と幸せを祈ること」「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅」などのいずれをもがこれに加えられ、「国民を思い、国民のために祈るという務め」であるとしているのだ。
 しかし、天皇による公的な場における「祈り」は、強く政治的な意味を持つ行為であり、個人的な行為としてはあり得ないものである。かつて神道は個別の宗教としての存在ではなく、「国体の本義」などにみられるように、「国体」そのものとして強要され、戦争体制を支えるイデオロギーとして機能してきた。憲法第20条の信教の自由や政教分離の原則は、これを否定するためにこそ設けられたものである。天皇が「国民のために祈る」ことを、「象徴的行為」としてあらためて認めさせようとすることには、たんに現状を追認するにとどまらない重大な問題がある。
 これまで、天皇や皇族たちは、侵略戦争の責任についてあいまいにし、「慰霊・追悼」の儀式を進めてきた。国内での災害があればいち早く被災地訪問を行ない、追悼や慰撫を重ねてきた。また、国体や植樹祭、海づくり大会などをはじめとするイベントのたびに、メッセージを発し、各地を訪れてきた。
 これらは憲法上に規定のないまま実施されているという点で、違憲でありながらも、内閣の助言と承認に基づく「公的行為」とみなされて追認されてきた。しかし、今回の「象徴としての行為」の強調は、こうしたいわゆる「公的行為」論からも逸脱しており、天皇のあらゆる行為を「象徴的行為」として正規に認知させようとする意図をも露わにするものだ。

●天皇制の「伝統の継承」などいらない

 メッセージにおいては、天皇らが「伝統の継承者」であり、「日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくか」とする。こうした発言からは、その「役割」を担ってきたという自負とともに、これを維持し拡大するという強い意志が受け取られる。
 それにもかかわらず、ここで語られた「伝統」の内実は、まったく不明のままだ。それを明らかにせぬまま、天皇の「象徴的行為」の一部であるかのごとく拡大するならば、天皇に関するあらゆることが、多くの捏造も含めて「伝統」として強要されたかつての歴史を、そのまま再現していくことになりかねない。
 昭和天皇裕仁の病気の顕在化と、その死に際して、「自粛」の強制が広く社会を覆った。このことへの、明仁天皇自身による否定的総括が鮮明にされたことは注目される。しかし、裕仁の死後に進められたのは、現行憲法下において根拠を持たない皇室儀礼が、あたかも欠くことのできない「伝統」であり、さらに国家儀礼であるかのごとく認められ、政教分離が掘り崩されていったという事実だ。
 「天皇の終焉」にあたって行われた「重い殯の行事」も、葬儀や即位にかかわる行事も、新たにつくられた「伝統」の一部に過ぎない。日本国憲法体制のもとにあって、「皇室のしきたり」なるものにより「社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶこと」など、そもそもあってはならないことなのだ。

 こうした発言が、老齢化して健康を損なっている天皇に対する「国民」の「情動」を喚起させる形でなされていることは、この問題のきわめて大きな危うさを示すものでもある。
 いままた、天皇の意向について「国民的」討論をという言論が、政府とその意をくむメディアにより組織され始めている。こうした構造は、天皇制を「内面化」させようとするものであり、かつての「国体」意識を再構成させ、これを「護持」させようというものだ。
 私たちは、これらの総体を、強く批判する。

2016/08/03

「聖断神話」と「原爆神話」を撃つ 8.15 反「靖国」行動デモ


■「聖断神話」と「原爆神話」――
この二つの大嘘によって戦後が始まった。 

■この大嘘(神話)は、日本の侵略戦争・植民地支配における天皇制の責任と、無差別大量 殺戮という米国の戦争犯罪を隠蔽するためであった。そして、戦後の米国による核・軍事 力を背景とした世界支配戦略を可能にし、日本では、天皇制の象徴天皇制というかたちでの延命(戦争責任を取らない体制)を可能にした(それによって「靖国信仰」も延命させた)。 

■米大統領がヒロシマ訪問で謝罪しない、日本政府も謝罪を求めない――この歪んだありよ うも二つの大嘘に起因する。こんな戦後は一刻もはやく終わらせなければならない!  71 年前に時間を巻き戻し、天皇制の戦争責任を追及し、あるべき戦後の姿を作り直そう!

■二つの大嘘(神話)を撃つ、8.15 反「靖国」行動に是非参加を!

 
8・15反「靖国」行動デモ

[日時]  2016年8月15日(月) 14:30集合/16:00デモ出発

[集合場所] 在日本韓国YMCA 3階
(JR水道橋駅より徒歩9分、地下鉄神保町駅より徒歩7分)



主催 ●「聖断神話」と「原爆神話」を撃つ 8.15 反「靖国」行動    http://2016815.blogspot.jp/

【呼びかけ団体】 アジア連帯講座/研究所テオリア/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会/反天皇制 運動連絡会/ 「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動評議会

2016/08/01

【反天連からのよびかけ】01 天皇制が主導する「Xデー状況」への反撃を開始しよう! ──天皇も皇族もやめろ、そして天皇制は廃止せよ!


天皇制が主導する「Xデー状況」への反撃を開始しよう!
──天皇も皇族もやめろ、そして天皇制は廃止せよ!

 2016年7月28日
反天皇制運動連絡会

 ●これは「自粛なきXデー」の始まりである

 7月13日、明仁天皇の「Xデー」状況がはじまった。しかもこれまで全く予想されなかったかたちで。
 天皇という地位についている人間の生物学的な死としての「Xデー」へのカウントダウンが始まったわけではない。しかし、天皇の「代替わり」にともなう、新たな天皇制像の演出としての「Xデー状況」は、すでに開始されたと見るべきだ。
 反天連は昭和天皇「Xデー」との大衆的な闘いに向けて1984年に結成された。昭和天皇の「Xデー」においては、病状報道から天皇の死にいたる時期の「自粛」と「弔意強制」が、列島全体を巻き込んだ社会現象となった。それは経済状況にも影響し、何よりもその「息苦しさ」への反発が、天皇制に対する批判的な感覚を広げた。このことはおそらく、天皇制を演出する側にとっても総括すべき点であったはずである。今回の、いわば「自粛なきXデー」状況の開始は、われわれにとっても、前回とは異なる反天皇制運動の展開を要求している。そのことを見すえながら、私たちは多くの人びととの共同の作業として、開始された「Xデー状況」に反撃する闘いを、さまざまなかたちで準備し開始することを呼びかける。

 ●天皇が事態を主導している

 われわれは、今回のそれがまず、天皇自身による「生前退位」の意向表明として始まったことに注目しなくてはならない。これはたんに年老いた明仁天皇が、現役を退きたいと希望しているといった話ではない。NHKによってそれが報じられてすぐに、宮内庁幹部や政府は「報じられた事実はない」「承知していない」と打ち消して見せたが、各メディアは事実としてそれを後追いで報じ、宮内庁もまたNHKへの抗議などはしていない。さらに、首相官邸では、限られた人間しか知らず、何を検討しているかについてさえ極秘のチームが、皇室典範改正に関する検討をすでに進めていたとされる。それをも飛び越えて、天皇の「意向」が唐突に明らかになったのは、明仁天皇自身そして徳仁や文仁らの強い意向がそこに働いていたからであると判断される。
 今回の件は、明仁天皇自身が、「次代」の新しい天皇制を演出する、その主導的な担い手の一人として立つという明確な意思を表明したということを意味する。摂政をおくのではなく、皇室典範の改正が必要な「生前退位」を、明確に希望したこと、それは象徴天皇制を、明仁天皇みずからが主人公となって、積極的に変革し再構築するという宣言なのである。


 ●「国民の天皇」の政治的行為

 「生前退位意向表明」は、昭和の天皇制とは段階を画した「国民の天皇」としての、明仁天皇制をしめくくるものである。
 その即位以来、マスコミ等を通じて演出されてきた明仁天皇制の姿とは、アジアへの外交や沖縄訪問による戦争責任の和解に力を尽くし、国内外の戦跡で死者への祈りを捧げ、さまざまな自然災害の被災者を慰問するなどの「公務」を精力的に行なう、「常に国民とともに」ある明仁と美智子といったイメージであった。しかし、これら一見すると「非政治的」で平和的な、問題ともならないように見える天皇の行為は、現実にはすぐれて政治的な役割を果し続けている。
 たとえば、アジア訪問などにおける天皇の発言は、実質的に天皇制国家の責任も日本軍の責任もなにひとつとらず、ただ口先でだけ「謝罪」のことばを発して終わったことにしようとする日本国家と基本的に同じものである。それがたんなる「口先」ととらえられないのは、「国民統合の象徴」とされる地位に立つ者のことばであり、マスメディアが絶対敬語で無条件に賛美することばであり、ある人たちにとっては侵略戦争の責任者であった昭和天皇の息子のことばであるからだ。国家の儀礼を受け持つのが天皇の役割だが、それは天皇であるからこそ、他の国家機関ではなしえない何ものかを有するものとして演出される。しかし、繰り返すが天皇は国家の機関である。だから天皇のことばを賛美することは、国家のことばを無条件で賛美することと同義である。天皇はそのようなかたちで政治的な役割を果しているのだ。


 ●天皇の「公務」の拡大は違憲だ

 年齢のせいで「公務」が十分果せなくなったという思いが、今回の「生前退位」の意向表明の背景にある、とマスメディアは報じている。明仁と美智子によってさまざまにおこなわれてきた天皇の「公務」を「誠実」に果していくこと。「生前退位」の意味することは、自らが体現してきたそういう象徴天皇制のあり方を、その権威も利用しつつ、明仁天皇から徳仁天皇へと意識的につないでいくことに違いない。それは、息子の妻の病いも含め「不安」の中にある次代の天皇制を、ソフトランディングさせていくという意図に貫かれている。
 だが、憲法で規定された「国事行為」以外の「公務」なるものは、そもそも違憲の行為である。かつて「統治権の総覧者」であった主権者天皇を、「国民主権」のもとでの象徴天皇に衣替えするにあたって、天皇の役割を法的に限定したのが憲法の天皇条項である。認められた「国事行為」以外に「公的行為」なる区分を立て、天皇の「公務」としてひとくくりにすることは、いわば天皇条項の「解釈改憲」にほかならない。そうやって勝手に「仕事」を増やしておいて、それを十分に行なえないから「退位」して代替わりが必要だなどと、「政治に関与しない」はずの天皇が言い出すことは、二重に違憲の、ふざけた言い草なのだ。個人的な事情で国家の制度の変更を迫る。ここにあるのは、身体を有する特定家系の個人を国家の「象徴」とする制度自体の矛盾である。
 今後、天皇の意思を「忖度」して皇室典範改正作業が本格化されていくであろう。すでに、退位後は「上皇」になるのか、今回限りの特例法で、などといった議論も始まっている。皇室制度を安泰にするための「女性宮家」の検討も再浮上するだろう。右派の抵抗も予想されるが、皇室典範の不合理な部分を、合理化しなければならないといった議論が、「陛下の意思」を背景に、「国民的」になされる場がつくりだされようとしている。
 問題なのは、そうした議論の中で、拡大されてきた天皇の「公務」自体の違憲性を、正面から問う言説がほとんど見られないことである。逆にそれを前提とし、それらをより積極的に行なうことが天皇の役割であると言うのである。
 私たち反天連の立場からすれば、体制としての戦後民主主義のなかに埋め込まれた象徴天皇制は、民衆の自己決定としての民主主義とは矛盾するシステムである。生まれによって、特別な身分が保障されるような制度はおかしい。私たちは天皇によって「象徴」され統合された「国民」であることを拒否する。膨大な経費と人員を使って、各地に移動するたびに、人権侵害をひきおこし、批判的な少数言論を抑圧する制度は迷惑である。そうであるからこそ、新たな天皇制の再編強化を意味する「生前退位意向表明」に私たちは注目せざるを得ないし、その違憲性を批判し、そこで具体的に生み出される天皇制の政治と言説に批判的に介入していく。
 天皇も皇族であることもやめよ。徳仁も即位するな。皇族という存在はいらない。そして天皇制自体は廃止されなければならない。

2016/07/29

「聖断神話」と「原爆神話」を撃つ8・15反「靖国」行動


■「聖断神話」と「原爆神話」――この二つの大嘘によって戦後が始まった。
■この大嘘(神話)は、日本の侵略戦争・植民地支配における天皇制の責任と、無差別大量 殺戮という米国の戦争犯罪を隠蔽するためであった。そして、戦後の米国による核・軍事 力を背景とした世界支配戦略を可能にし、日本では、天皇制の象徴天皇制というかたちでの延命(戦争責任を取らない体制)を可能にした(それによって「靖国信仰」も延命させた)。
■米大統領がヒロシマ訪問で謝罪しない、日本政府も謝罪を求めない――この歪んだありよ うも二つの大嘘に起因する。こんな戦後は一刻もはやく終わらせなければならない!  71 年前に時間を巻き戻し、天皇制の戦争責任を追及し、あるべき戦後の姿を作り直そう!
■二つの大嘘(神話)を撃つ、8.15 反「靖国」行動に是非参加を!

 【前段討論集会】
「聖断」のウソ―天皇制の戦争責任を問う


講師●千本秀樹 さん(日本近現代史研究):「聖断」のウソ 天皇制の戦争責任を問う


[日時] 2016年7月30日(土) 17:45 開場/ 18:00 開始

[会場] 文京区民センター 2A 会議室(地下鉄春日・後楽園駅)

[資料代] 500 円


 8・15反「靖国」デモ

[日時]  2016年8月15日(月) 14:30集合/16:00デモ出発

 [集合場所] 在日本韓国YMCA 3階
(JR水道橋駅より徒歩9分、地下鉄神保町駅より徒歩7分)

主催 ●「聖断神話」と「原爆神話」を撃つ 8.15 反「靖国」行動    http://2016815.blogspot.jp/

【呼びかけ団体】 アジア連帯講座/研究所テオリア/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会/反天皇制 運動連絡会/ 「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動評議会

2016/07/13

天皇行事の「海づくり大会」 はいらない! 海づくりは、海こわし7・18討論集会


天皇行事の「海づくり大会」はいらない!海づくりは、海こわし7・18討論集会

 天皇制翼賛体制を全国各地に作りだす3大天皇制行事の一つ『第36回全国豊かな海づくり大会~やまがた』が「森と川から 海へとつなぐ 生命のリレー」を大会テーマとして今年910日、11日に山形県で開催される。「海づくり大会」は、天皇が言葉を述べ(現在高齢により休止)、衆議院議長や山形県知事が「天皇・皇后の御臨席を仰ぎ……」と天皇を迎えた光栄を述べ、功績団体の表彰を中心とする式典行事(酒田市民会館)とわざわざ海に放流台をつくり天皇・皇后が「国民」手本として稚魚を放流する(鼠ヶ関・ねずがせき港/鶴岡市)イベントである。
山形「海づくり大会」は、「東日本大震災」、福島原発事故翌年の2012年に開催が決定されました。
開催意義は「明日のわが国漁業の振興と発展を図る」とあるが、漁業団体を天皇制のもとに組織するためのものである。そして今回の山形開催の意義の一つは「東北地方の元気再生 」として、大震災と原発事故による被害からの「復興」を目指す機会としている。福島原発事故は未だ現在進行中であり、汚染水放出による深刻な海洋汚染も続いている。安倍政権はその元凶であるにも関わらず、原発再稼働を強行している。「海づくり大会」開催はそれを隠蔽するための天皇行事である。
そもそも「海づくり大会」は、埋め立てや大規模開発、空港建設予定地、とりわけて原発予定地での開催が目立っているように、「豊かな海」の破壊を推進し、隠ぺいしてきたのである。
「海づくり大会」は、地球規模の環境破壊が深刻化した1981現天皇アキヒトが皇太子時代から開始され、即位後天皇行事に「格上げ」された、天皇アキヒトを平和と環境を守る天皇として押し出すために「全国植樹祭」と並ぶ重要な行事である。全国持ち回りで毎年開催され、1995年戦前の「海の記念日」を復活・制定した「海の日」とともに今日的な「海洋国家日本」にとっての重要な行事である。
山形「豊かな海づくり大会」は、2016年岩手「国体」、2018年福島「植樹祭」とつづく東北での天皇行事のさきがけであり、2020年東京オリンピックにむけて福島原発事故収束―福島切り捨てを演出するものとなる。同時に戦争国家化の中で行われる天皇制行事は、地域での天皇制翼賛体制を強化し、戦争する「国民」づくりを加速させるためにある。
今集会は山形現地で「海づくり大会」反対の闘いを準備している鈴木雄一さんと実行委の天野恵一さんによる問題提起を受けて討論したいと考える。ぜひ多くの皆さんの参加を。

日時:2016年718日(月・休)13時半~

場所:築地社会教育会館第1洋室

お話:「東北(支配)と水産業」(鈴木雄一・反戦反天ネット山形)

  「天皇行事の政治的意図」(天野恵一・「8・15反靖国行動実行委)
資料代:500

 主催●「聖断神話」と「原爆神話」を撃つ 8・15反「靖国」行動 http://2016815.blogspot.jp/

【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会


2016/06/26

【集会】第Ⅸ期から第Ⅹ期へ 反天連討論集会 どうなる!? どうする!? 天皇制と反天皇制運動

第Ⅸ期から第Ⅹ期へ 反天連討論集会
どうなる!? どうする!? 
天皇制と反天皇制運動

日時:2016年7月2日(土)14:00〜

場所:ピープルズ・プラン研究所 (東京都文京区関口1-44-3 信生堂ビル2F)

発言:
伊藤晃(近現代史研究)
井上森(立川自衛隊監視テント村)
天野恵一(反天皇制運動連絡会)

■反天連は、Xデーが予感される状況下、第Ⅹ期をスタートした。
■アキヒト・ミチコ天皇夫婦は、リベラル派をも味方につけるほどの強力な天皇制を作りあげてしまった。その一点だけをみても、私たちは、昭和天皇Xデーのころよりも困難な条件を沢山かかえ込んでいる。その困難な条件の分析、天皇制の現在を認識し共有する場をつくりたい。
■また、どのような状況でも、天皇制民主主義、天皇制平和主義に異を唱える人がいることを私たちは知っている。そういった人たちの声が力となるような運動を作り出したい。
■昭和天皇Xデーの経験と、それから約30年間の運動の蓄積をフル活用し、たえず変化(進化)してきた天皇制の現在への分析もしたい。また、新たに作り出されてきた運動ともつながっていきたい。
■というわけで、第Ⅹ期スタートにあたり、討論集会を開催する。ぜひご参加を!

主催:反天皇制運動連絡会・第Ⅹ期

2016/06/07

反天皇制運動連絡会 第10期への呼びかけと設立目標(2016年6月)



 第2期以降、3年ごとにいったん解散・再結成という区切りを設けながら、9期まで活動を重ねてきた私たち反天連は、いま第10期にむけてスタートしようとしている。反天連は、ヒロヒト「Xデー」状況との闘い、大衆的政治闘争としての反天皇制運動を目ざして、1984年に結成された。当時、中曽根首相が打ち出した「戦後政治の総決算」というスローガンや、「不沈空母発言」「靖国公式参拝」などに象徴されるような日米同盟の強化、新自由主義的・新国家主義的な政治志向のもとで、民衆統合支配の装置としての天皇制の「浮上」が、運動圏においても強く意識され始めていた。その後の反天皇制運動は、私たちもその一翼を担いつつ、89年のヒロヒト「Xデー」と新天皇の「即位・大嘗祭」反対運動の全国化・大衆化として、大きな広がりを作り出していった。
 それからすでに30年以上もの時間が過ぎた。非自民連立政権の成立や右派勢力の巻き返し、政権交代などのジグザグを経て、いまや、解釈改憲によって集団的自衛権行使を解禁し、違憲の安保法制を強行可決し、緊急事態条項をひとつの突破口として明文改憲をすすめようとする安倍政権によって、80年代以来の政治方向が完成させられようとしている。
 これにたいして、現在、国会前やさまざまな場所で、安倍政権の強権政治に対する人びとの声、立憲主義の蹂躙を許さない運動の大きなうねりが続いている。しかし、そこに「反天皇制」ということばが占める余地は、ほとんど無に等しいかのようだ。そこには、私たち自身の主体的力量といった問題以上に、「Xデー」以後の天皇制、すなわち「アキヒト・ミチコ天皇制」というものの性格が反映しているといわなければならないだろう。
 戦後天皇制は、一貫して非政治的、平和主義的なものであるというイメージでとらえられてきた。それは、天皇の「人格賛美」を日々繰り返すマスコミによって支えられ、総じて現実政治に関わらない、戦後民主主義体制に適合的な支配のシステムとして合意されてきた。とりわけアキヒト・ミチコは、ヒロヒト時代に十分果しえなかった「開かれた皇室」、戦争責任からクリーンであり、「皇室外交」にも積極的な「国際化時代の天皇制」として登場し、さらには海外を含めた戦争被害者の「慰霊」、原発事故や自然災害の被災地を精力的に回ることによって、「祈り」と「癒し」の担い手としての顔をも前面に出していった。「宗教的」とさえいえる「無私の祈り」に励んで見せることが、人びとの間に、天皇の権威を再組織していることを無視することはできない。そういった意味において、私たちは、アキヒト・ミチコ天皇制は、象徴天皇制に期待される役割を果すことにかなり成功しており、その「国民統合」のあり方は「象徴天皇制の完成形態」であるとさえ考えている。
 そのことは、現在、安倍政権に批判的な人びとの中から、アキヒト・ミチコを「リベラル」であり平和憲法秩序を大切にしていると評価し、それと比較して安倍を批判するというロジックが繰り返し登場していることにも現われているだろう。天皇主義者である安倍を、実は天皇も批判していると言いたいのかもしれないが、それは政治的に演出された天皇の「無垢性」に依拠しつつ、その権威を前提とする議論でしかない。
 私たちはまず第一に、国家の政治的なシステムとして天皇制を考える。
 3年前、第9期の開始にあたって私たちは、「国家の機構でありながら、それとは独立して超然と存在しているかのようにふるまう象徴天皇制は、そのふるまいにおいて、文化的・平和的な場面における民衆統合の装置であり続けるだろう。……それゆえに私たちは、運動の中においてさえ繰り返し登場する『リベラルな天皇への期待』なるものをも批判していかなければならない。そしてそれは、多くは8・15、さらには3・11などに象徴される『追悼の政治』の場面において発動される天皇制の批判ともなるだろう」。そして、第二次安倍政権の登場が「右翼的・神権主義的な天皇制の強化に繋がると考えるべきではない」と主張した(「第9期への呼びかけ」2013年3月)。
 それより以前、民主党政権の時代にも私たちは、むしろ「ソフト・イメージの〈アキヒト─ミチコ〉天皇制は……民主党政権の方にマッチしている。こちらの方こそ、私たち反天皇制運動の正面の敵ともいえよう」とも主張していた(「第8期への呼びかけ」2009年12月)。戦後象徴天皇制は、アメリカの占領体制のもとに、サンフランシスコ体制=日米安保体制を軸として作りだされた戦後日本の構造の一部にほかならない。「国民統合の象徴」として戦後憲法に制度化された象徴天皇制にとって、戦後憲法体制に適合的な民主党政治のほうが、天皇制のあり方をも含めて変えていこうとしている自民党の改憲政治よりも、当然にも戦後憲法下の天皇像を積極的に演じてきたアキヒト・ミチコにとって「意に沿う」ものであっただろうという判断もあった。民主党の凋落と自民党の再登場によって、天皇制の権威化が予想されるが、本質的には政権政党の「政治利用の対象」としての天皇という役割は変わらないであろう。「天皇元首化」を掲げた自民党の改憲草案においても、天皇は依然として「象徴」であるように、けっして「統治権の総覧者」としての天皇制の復活を志向するものではありえない。
 象徴天皇の役割は、さまざまな国家的儀礼において「国民統合の象徴」という役割を担うことであり、国家の行為を権威づけ正統化し、「国民」の幻想的共同性を担保することである。天皇家や皇族の人間に対する無条件の絶対敬語と人格賛美は、そのまま統合された国民によって成り立つ国家の無条件の賛美にほかならない。それはまた、皇室の「私事」とされる「皇室祭祀」の祭主であることとも連動して、日本の文化・伝統の体現者ともみなされることになる。
 私たちは、第10期を、「次」の「Xデー」状況の開始を見すえつつ、このようなアキヒト・ミチコ天皇制の現段階をこちら側から「総括」し、国家・社会の再編にともなう天皇制の再編=再定義の方向性をとらえ、その中から、天皇制の生み出す「現実」に対する批判と行動を持続していきたいと考える。
 私たちがなすべきことは、天皇制廃絶を一般的にスローガンとして語ることではありえないし、「国民運動」における天皇批判の不在を嘆くことでもない。私たちの運動は、「慰霊」や「皇室外交」における戦争責任・植民地責任の隠ぺい、天皇の移動などにともなって常に起こる人権侵害や治安弾圧、「日の丸・君が代」強制、世襲の特権的身分制度にともなう差別、靖国問題や国家の宗教性、ナショナリズムと排外主義の問題など、天皇制に関わって具体的に日々起きている事象との具体的な対決をおいてほかにない。それらは、反「Xデー」闘争以来の闘いを通じて、私たちも含めた反天皇制運動がつかみ取った「運動としての民主主義」に関わる課題であり、したがってそれは、さまざまな運動とのつながりと相互の協力関係なしにはなしえない。
 一人でも多くの方の参加、協力、支援をお願いします。(反天連事務局)

【設立目標】
(1)予想される明仁天皇「Xデー」および「Xデー」状況との闘いを準備する。
(2)「全国戦没者追悼式」や「震災追悼式」をはじめとする、マス・メディアに支えられた国家による追悼儀礼、天皇出席の国体・植樹祭・海づくり大会などの天皇儀礼、「皇室外交」や「昭和」の賛美などと持続的に対決する大衆的な反天皇制運動をつくる。
(3)「天皇元首化」や「日の丸・君が代」を明記し、立憲主義を否定する国家主義的な改憲策動と対決する。
(4)原発推進、「日米同盟」の強化、「恒常的派兵」国家化などに向かう日本政府の動きと対決し、各地の反原発・反安保・反基地運動と「連帯」しうる反天皇制運動をつくる。
(5)天皇制国家の植民地支配責任、戦争・戦後責任、「領土ナショナリズム」や差別・排外主義を撃つ闘い、治安弾圧、「日の丸・君が代」強制、オリンピックをはじめとする排除と統合のナショナルイベント、天皇制の安定継承のための皇室典範「改正」、教育の国家による統制などに抗する運動などとの豊かなネットワークづくりと、他のテーマの運動との有機的連携を作りだす運動のメディアの強化。
(6)80年代からの反天皇制運動の歴史的な体験を思想的に対象化する作業の持続。

【運営の申し合わせ】
(1)基本方針は、定例(週1回が原則)の事務局会議で決め、会員全体に提起する。事務局会議は月1回は拡大事務局会議(会員に開かれた会議)とする。
(2)事務局メンバーの推薦と本人の自発的意志があれば、誰でも事務局員あるいは「事務局協力者」(コンスタントに事務局会議には出られなくても「協力」の意志のあるメンバー)になれる。ただし、政治党派のメンバーは遠慮していただく。
(3)会員とは、主旨に賛同し、会費を納めた者である。「ニュース購読会員」(年間4000円)とより積極的な「協力会員」(年間7000円)の二種類がある。
(4)ニュースは原則として月1回発行で、購読料は年間4000円とする。
(5)会は、大衆運動の原則にしたがって運営する。
(6)期間はとりあえず3年間とする。

反天皇制運動Alert 0号[通巻382号]

反天連は3年ごとにいったん解散、そして再結成という区切りで活動してきました。
今号から第Ⅹ期が始まります。新しいニュースのタイトルはAIertです。

 反天皇制運動 Alert(アラート) 0号[通巻382号]
2016年6月7日発行 
 [目次]
第Ⅹ期反天皇制運動連絡会への呼びかけ
野次馬日誌
集会の真相(講演会「心は支配されたくない」)
集会情報
神田川
 

定期購読をお願いします(送料共年間4000円)
●郵便振替00140-4-131988落合ボックス事務局
●mail:hantenアットten-no.net(アットは@に変換してください)

2016/05/10

反天皇制運動カーニバル 38号[通巻381号]


反天皇制運動カーニバル
38号[通巻381号]
2016年5月10日発行


 
主張 ◯ 「カーニバル」最終号にあたって―次は何か?

動物(あにまる) 談義◯ 「どうなる次の代替わり」の巻

状況批評 ◯ 公安警察は誰を監視しているのか?― 警察庁警備局『治安の回顧と展望(平成二七年版)』を批判的に読む

反天ジャーナル

書評 ◯ 伊藤晃『『国民の天皇』論の系譜─象徴天皇制への道』─竹内民郎

太田昌国のふたたび夢は夜ひらく〈71〉 ◯ 「世界戦争」の現状をどう捉えるか─太田昌国

皇室情報の〈36〉 ◯ 〈アベ〉政治と象徴天皇の政治─〈相互補完的役割分担〉をめぐって─天野恵

野次馬日誌

集会の真相
 2・11反「紀元節」行動/「日の丸・君が代」の強制をはね返す神奈川集会とデモ/テロはなぜ起きつづけるのか?2・20つくば集会/女天研連続講座・ジェンダーと天皇制第1回「憲法と皇室典範」/戦争法の廃止と朝鮮半島の平和を求める日韓連帯集会

反天日誌

集会情報

2016/04/05

安倍政権下の日米安保体制と天皇制を問う 4・28-29連続行動

安倍政権下の日米安保体制と天皇制を問う 4・28-29連続行動


■戦後日本国家の基底となった「象徴天皇制」と「日米安保体制」。それは、それまでの日本国家による植民地支配・侵略戦争の責任をあいまいにするための体制でもあった。敗戦から70年を超えた現在も、その果たされない責任=「負の遺産」は、安倍・自民党政権がどのようにあがこうが、また天皇が「慰霊の旅」を繰り返そうが、厳然として存在する。

■沖縄は、近代天皇制国家の出発点をなす「琉球処分」、沖縄差別・収奪政策、「皇民化」政策から沖縄戦、米軍支配と 「本土」からの切り捨て、「復帰」による再統合と安保前線基地化といった歴史を、戦前は日本政府そして戦後は日米両政府によって負わされてきている。

■沖縄切り捨ての日を3年前に、安倍は「主権回復の日」として天皇出席の下で、天皇万歳の声で祝った。他方で、反対住民を暴力的に排除しながら辺野古新基地建設を強行しつつ。

■「本土」に生きる者として、4・28と4・29は、改めて歴史的な視野をもって沖縄と天皇制に向き合うべき日だと考える。ぜひ集会に参加を!




4/28沖縄デー集会
沖縄「構造的差別」の歴史と現在

 講師 ● 西尾市郎さん(日本基督教団うるま伝道所牧師)

日時 ● 2016年4月28日(木)  18:00開場/18:30開始

会場 ● 文京区民センター2A(地下鉄春日駅・後楽園駅すぐ)

資料代 ● 800円


4/29反「昭和の日」デモ
4・29反「昭和の日」行動

日時 ● 2016年4月29日(金・休) 13:00集合/14:00デモ出発

集合場所 ● 柏木公園(JR新宿・西口から8分) 新宿区西新宿7-14
                        新宿駅西口から駅を出て右へ直進し小滝橋通りへ進み最初の信号を左折2分 http://www.shinjuku.info/S75269.html

 

主催 ● 安倍政権下の日米安保体制と天皇制を問う4・28-4・29連続行動実行委員会
 呼びかけ団体●アジア連帯講座/研究所テオリア/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会/反天皇制運動連絡会/ピープルズプラン研究所/「日の丸・君が代」の強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

2016/04/04

カーニバル37号 [主張]


 起動した戦争法体制下で日米安保と天皇制を問い続けよう!

 三月二九日、憲法を踏みにじり多くの批判を押し潰して強行された戦争法が、いよいよ施行された。福島第一原発の瓦解と大規模な汚染からまる五年を経て、日本国家は戦争遂行が可能な国家として新たに立ち現われたことになる。


 そしてまた、四月二日、ワシントンで開催されていた核安全保障サミットが終了した。今回の核安保サミットでは、ISや北朝鮮の名を具体的に上げ、「核を使用したテロの脅威」や「核管理体制」が重点的に語られたという。安倍はこの中で原発政策の推進を宣言し、臆面もなく「原子力の平和利用を再びリードする」と語ってみせた。さらに、政府は閣議であらためて「核兵器の保有も現憲法における必要最小限度の軍事力の範囲」としている(各紙報道)。


 そもそも「原子力の平和利用」などなく、それは単なる核の拡散に過ぎないというリアルな認識こそがすでに世界的にも主流となり、だからこそこうした「サミット」が開催されているのだ。日本は国内外に五〇トン近くのプルトニウムを保有しているが、その口実としてきた核燃サイクルは下北においても「もんじゅ」においても完全に破綻している。日本国内に保持できないためアメリカに送り出そうとしている高純度プルトニウムについては、サウスカロライナ州からも受け入れ拒否の要求が出ている。


 政府や規制委が「世界一厳しい」と自称する原発の新規制基準が、その安全性において批判され、大津地裁の決定により、稼働したばかりの高浜原発が停止させられたことは記憶に新しい。世界を「リード」するどころか、福島の事態を招き、いまだ収拾もできない企業や「学者」の能力水準の低さは明らかだし、彼らと軍事傾斜を強める日本政府、政府機関によりなされる「原子力の平和利用」は、はっきりとした核の拡散だ。このような日本国家の政策こそが、東アジアの政治状況と相まって軍事緊張を高めている。世界経済の減速と停滞、そしてとりわけ国内消費の低迷のなか、もはや軍需や「国威発揚」を目的とするイベントなどの事業くらいしか新たな投資先を見いだせない大企業は、こうした政策への後押しとそれによる収奪強化ばかりを深めているのだ。


 おりしもアメリカでは、トランプ共和党大統領候補が、安倍に呼応するがごとく、アメリカの核政策を転換して日本や韓国にも核保有を認めよとまで主張している。安倍は、今回の訪米において、オバマ大統領にあらためて辺野古基地建設の遂行を約束した。敗訴の可能性を恐れて沖縄県と「和解」してみせたばかりの政府は、会談での「口約束」をテコに、またも強硬路線をとってくることが予想される。


 私たちは今年も、反安保実行委との共催で、「安倍政権下の日米安保体制と天皇制を問う四・二八〜二九連続行動」を準備している。サンフランシスコ条約が発効した一九五二年四月二八日は、沖縄を切り捨て、米軍の支配下に置くことによって日本の戦後をスタートさせた日だが、現在に至るまで、この事態が基本的には変わっていない。そのことは、沖縄の米軍基地、とりわけ辺野古や高江の状況にも明らかだ。そして、昭和天皇裕仁がこの経過において「天皇メッセージ」などの形で、自らに対する戦争責任の追及から逃れるために、沖縄の「売り渡し」を積極的に推進した事実は、何度でも記憶喚起されなければならない。「構造的沖縄差別」(新崎盛暉)として捉えられる現在の状況は、安保条約をベースとする日米関係と天皇制こそが支えてきたものでもあった。


 近いところではフィリピン訪問や東日本大震災など、天皇明仁と美智子をはじめとする皇族たちは、戦争や災害への「慰霊」「追悼」などを国内や海外で繰り返すことを通じて、その「権威」をさらに高めているかに見える。これらは、スキャンダルまみれの政府や自民党への批判すらもなし崩しにして、現体制を大枠で支持させる影響力として機能するだろう。今回の連続行動は、日本国家の侵略戦争・戦後責任を、現実の政治過程にあらためて位置づけなおし、戦争国家体制を撃つものでもある。多くの人びとの参加を呼びかけたい。(蝙蝠)

反天皇制運動カーニバル 37号[通巻380号]

反天皇制運動カーニバル
37号[通巻380号]
2016年4月5日発行


主張 ◉起動した戦争法体制下で日米安保と天皇制を問い続けよう!


貝原浩のあの時・この時 ◉ヒロヒト・アキヒト・岸・小泉・安倍


状況批評 ◉ 朝鮮高校無償化の意義と現状─佐野通夫


反天ジャーナル


書評 ◉ 太田昌国『〈脱・国家〉状況論』─斉藤日出治


太田昌国のふたたび夢は夜ひらく〈72〉 ◉ 米大統領のキューバ訪問から見える世界状況─太田昌国


ネットワーク ◉ 「多摩地域メーデー」あらたに始まる─井上森


声明 ◉ デモは権利だ! 恩恵ではない 2016年2・11反「紀元節」行動における機動隊の理不尽な規制とデモ妨害に抗議する─安倍戦争国家と天皇制を問う2・11反「紀元節」行動


野次馬日誌


集会の真相


反天日誌


集会情報
(3・11を反原発と責任追及の日に!電力会社への抗議デモ/辺野古への基地建設を許さない 3・27新宿デモ)


神田川




2016/03/24

安倍政権下の日米安保体制と天皇制を問う4・28─29連続行動への参加・賛同を


安倍政権下の日米安保体制と天皇制を問う4・28─29連続行動への参加・賛同

  昨年九月に「戦争」法を強引に成立させ、安倍政権は戦争遂行国家の完成に向けてひた走っている。それは法整備に続き、自衛隊の強化(五兆円という軍拡予算を見よ!)と武力行使を伴う海外派兵の拡大へと向かっている。それはもちろん、米軍と一体となっての、世界中での軍事力行使への道である。そしてその負担は、沖縄にのしかかる。
 来年度の防衛予算では、南西諸島など島嶼防衛の強化を謳い、垂直離着陸輸送機V22オスプレイ四機(四四七億円、一機約一〇〇億円、ちなみに米軍は約半額の一機五〇億から六〇億円で購入しているという)や水陸両用車「AAV7」一一両(七八億円)の導入費、鹿児島・奄美大島と沖縄・宮古島への部隊配備費(一九五億円)が計上された。与那国島には、航空機や艦艇の動向を探り、中国軍の通信を傍受する沿岸監視隊の駐屯地建設が進められており、宮古島には、地対空・地対艦ミサイル部隊、警備中隊など七〇〇人の陸自部隊を配備する計画が進行中である。昨年一一月には、陸上自衛隊による、南西防衛を目的にした初めての実動演習も九州・沖縄で行われた。
 そして辺野古。国と沖縄県との「和解」で一時「休戦」の模様だが、安倍政権は、「(普天間移設は)辺野古基地建設が唯一の解決策」との姿勢をまったく崩さず、沖縄県議会選挙(六月)や参議院選挙(七月)後には、またあらゆる強引な手法によって米軍海兵隊の新基地建設を強行してくるだろう。
 アイヌモシリ統合と並んで近代天皇制国家の出発点をなす「琉球処分」、沖縄差別・収奪政策、「皇民化」政策から沖縄戦、米軍支配と「本土」からの切り捨て、「復帰」による再統合と安保前線基地化といった歴史は、そのまま日本による沖縄支配の歴史であり、その一貫した持続であった。そして、北海道・沖縄に始まる植民地主義の拡大は、東アジアへと拡大し、アジア・太平洋戦争へと至る、植民地支配と侵略戦争に行きつき、アジア・太平洋と日本の民衆に大量の被害と死者を生み出すこととなった。
 米国の世界戦略の中で、こうした日本の植民地支配・侵略戦争の責任は曖昧にされ、その補償は不十分な形に切り縮められ、戦後国際社会に復帰することになる(サンフランシスコ講和条約)。同時に成立した日米安保条約(旧条約)は、天皇ヒロヒトが、自己保身と天皇制維持のために、沖縄を米国に「売り渡す」(天皇メッセージ)など積極的に推進した結果、生まれたものである。
 戦前・戦中にくわえて、戦後における天皇が沖縄に対して負う重大な責任は、アキヒト天皇が、沖縄への思いをことあるごとに口にし、「慰霊」を繰り返したとしても相殺されるものではまったくない。むしろそれは、日本国家(天皇制)の沖縄差別支配の歴史と現在を隠蔽し、日米の前線基地におかれる沖縄において噴出する人びとの怒りをなだめ再び「日本(ヤマト)」に包摂する政治的機能を果たそうとするものにほかならない。
 戦後日本の象徴天皇制国家は、「構造的沖縄差別」によってこそ「日米安保体制」を維持し続けてきたのである。
 「誤った戦前・戦中の日本のあり方」を総括して精算して再スタートするべきであった戦後の出発点(4・28)は、「誤った戦後国家」のスタートとなってしました。
 4・28(沖縄デー:誤った戦後のスタートから六四年目)と4・29(「昭和の日」:六九年前に沖縄を「売り渡した」天皇ヒロヒトの誕生日)の歴史を問う、反戦・反天皇制の連続行動を今年も作りだしていきたい。多くの人びとの参加と協力を!

安倍政権下の日米安保体制と天皇制を問う 4・28─4・29連続行動
         【呼びかけ団体】アジア連帯講座/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会
           反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」の強制反対の意思表示の会/労働運動活動者評議会

2016/03/23

【声明】2016.2.11反「紀元節」行動における機動隊の理不尽な規制とデモ妨害に抗議する


デモは権利だ! 恩恵ではない
2016年2.11反「紀元節」行動における機動隊の理不尽な規制とデモ妨害に抗議する


 私たち「安倍戦争国家と天皇制を問う2・11反『紀元節』行動」は、今年も渋谷で反天皇制・戦争国家体制に反対する集会とデモに取り組んだ。

 
 この日は、集会会場近辺で奉祝派のデモもあり、右翼街宣車も押しかけるかとも予想されたが、デモの出発地点から離れたところで、在特会系のグループが街宣し、また集会中に徒歩で数名の右翼が登場したほかは、右翼の妨害は例年よりもひどいものではなかった。

 
 一方、この日の警察・機動隊の不当な規制は、度を越えるものであった。何ら正当な理由も必要性もない規制が、出発前から解散地点まで一貫して加えられ続けた。それはまさに、規制のための規制、規制を自己目的化した規制というべきものであった。

 
 警察の指揮者だけでなく、多数の警察官が絶えず宣伝カーの窓ガラスを執拗にたたき続け、「早く行け」「警告」と急がせた。それは運転妨害になるほどだった。デモ隊と宣伝カーが離されないよう、車の横について歩いていた実行委のメンバーは、警官に囲まれ車から引き離された。その結果、宣伝カーとデモ隊との間にすき間ができると、こんどはそれを理由としてデモの参加者の体を押して、早く進めと繰り返す。この不当なやりかたに抗議した監視弁護士さえ、私服警官に囲まれて歩道に押し上げられてしまった。念のために言っておくが、デモ隊はことさらに遅れていたわけではなく、急がされる理由などなにもなかった。しきりに急かすだけの警察官は、「デモの解散時間を知っているのか」という抗議にたいして答えられず、さらには、間違ってデモの進行方向とは逆に誘導しようとする始末であった。

 
 デモ隊全体に対して、機動隊の並進規制や、後方や真横からの圧縮(押し込め)が間断なくなされた。何人もの参加者が突き飛ばされた。途中で具合が悪くなったり、倒れこんだ参加者も出た。これに抗議した実行委のメンバーに対しては、「こいつらを歩かせるように指示しろ」と言い、なおも抗議すると「逮捕するぞ、警告!何時何分……」などと恫喝した。「許可条件を守れ、デモ隊は三列」と警官は繰り返していたが、実は「許可条件」は四列なのである。さらに三列どころか、デモ隊列は二列、一列にさえ押し込められていたのだ。また、「デモは交通の迷惑になる(から規制されて当たり前)」と言い放つ警官もいた。デモは車道を歩くものであり、それが交通に一定の支障を来すのはあたりまえのことである。そのことを前提にして、デモという表現の自由が尊重すべきものとされるのだ。法を遵守しなければならない警察官が言ってよいことではない。

 
 「今回のデモ参加者で、警官に押されたりさわられたりしなかった人間はいなかったのではないか」という感想が聞かれたが、これは決して大げさな話ではない。

 
 とりわけ今回ひどかったのが、警察によるデモの参加者に対する暴言や、侮蔑的な態度である。いつもであれば、デモ隊への妨害は同じであっても、口先だけは「詰めて下さい」「早く進んで下さい」と、表面上「笑顔」さえつくる。しかし、今回は「前に詰めろ!」「お前ら早く進め!」である。表面的な「ていねいさ」さえかなぐり捨て、その言葉つきにふさわしい態度と顔つきは一貫していた。若い機動隊員の中には、薄ら笑いを浮かべつつ、高齢の参加者を「はい、がんばろう!」と言いながら何度も押している奴もいた。実に許しがたいことだ。

 
 こうしたことのすべてに、私たちは何度も抗議をしたが、責任者然とした警官は「デモの許可を出してやったのは警察なんだから、お前らは言うことを聞け」と公言した。デモは憲法に保障された思想・表現の自由、基本的人権に属するものである。公安条例自体が不当なものだが、東京都の場合デモは届け出制であって、基本的に受理しなければならないものなのである。たしかに「許可証」は警察署長の名前で出るが、実際に「許可」するのは東京都公安委員会である。「警察がデモを許可している」などというのは、二重三重に間違った寝言である。

 
 私たちのデモは、高齢者や「障害者」も参加する、非暴力の市民のデモである。デモにたいして卑劣な暴力を繰り返す街宣右翼などを理由に、警察は陰に陽に、デモへの介入を目論んできた。しかし、今回はそのような右翼は登場しなかった。そのようなかたちでのデモ規制をすることを通して、警察がデモを徹頭徹尾規制していく訓練がなされたのではないかと疑う。今回、警備責任者は、実行委のデモ指揮者さえ無視して、デモ全体を警察の統制の下に進行させようとしたのだ。これは、いつものデモとも、大きく異なるやり方である。おそらく下部の機動隊員は、ただこのデモを急がせろ、規制しろという命令だけを受けて、それを「忠実」に履行するよう徹底されていたのではないか。多くの批判があるように、憲法を蹂躙して恥じない現在の安倍政権の強権的な姿勢が、政権に批判的な言論・表現は規制されて当然という心性を、警察官たちにも与え続けているのではないのか。

 
 今回の警備がこのようなものであり、私たちがそのターゲットとされたことのほんとうの理由は、知るところではない。しかしはっきり言えることは、今回のデモ規制が、われわれの権利としてある表現行為を妨害し、われわれが、われわれのペースとスタイルで街頭の人びとに対して訴えていく権利を侵害したということである。いま、全国各地で、さまざまにおきている街頭での人びとの抵抗や自己表現が、警察権力による不当な介入や弾圧の対象となり、それにともなう人権侵害も目立っている。そこに見られるのは、法を恣意的に運用し、人びとの行動に分断線を引く権力の無法である。

 
 繰り返すが、デモの主体はデモの参加者であり、表現の権利と自由を一片の行政権力が侵すことは許されない。警視庁、機動隊、私服・公安、そして今回のデモに係わった所轄の警備警察官に対して強く抗議し、二度とこのような不当な規制をおこなわないことを強く訴える。

 2016年3月22日
安倍戦争国家と天皇制を問う2・11反「紀元節」行動

 http://211k.blogspot.jp/

2016/03/12

カーニバル36号 [主張]

 責任の所在を明確に! あきらめずに抗議の声を挙げ続けるぞ!

  二〇〇七年に、要介護4の認定を受けていた九一歳の認知症の男性が、徘徊中に線路内に入り電車にはねられて死亡した。介護をしていた要介護1の八五歳の妻が一瞬まどろんだ隙の出来事だったという。なんとも悲しい事故ではないか。けれどもJR東海がこの妻と息子に対して損害賠償を請求した。国家や大企業が弱者を踏みつけてきたことは、歴史の中で明らかなことであるが、寒々しい気持とともにこの裁判の行方が気になっていた。
 三月一日に最高裁は、JR東海の賠償請求を棄却して、家族が賠償責任を負わないとする良識的な判断を下した。
 この判決の前日の二月二九日に、福島原発事故において、東京電力の旧経営陣だった勝俣恒久元会長、武藤栄元副社長、武黒一郎元副社長が業務上過失致死罪で在宅のまま東京地検に強制起訴された。これほど甚大な被害をもたらした事故をおこしておきながら、誰も責任を問われなかったが、原発事故の刑事責任が裁判で問われることになった。事故の責任追及を求めてきた「福島原発告訴団」の武藤類子団長は「原発事故は収束していないし、被災者はまだ困難な状況にある。責任をうやむやにしてはいけない。反省しなければ、また事故が起きる」そして「裁判を通じ、原発政策の問題点も明らかになれば」とコメントしている。JR東海の最高裁判決と東電旧幹部の強制起訴は、どちらもあきらめずに闘った結果の勝利である。巨大な力に対抗し、様々な方法を模索し、あきらめずに粘り強く闘うことの必要性が改めてしめされたと思う。
 そして国家や大企業が負わなければならない責任を、個人の責任に転嫁し、それが当然のように操作されている現在の状況に抗議の声をあげなければと、私たちは励まされる。
 小泉政権下、新自由主義の名のもとに、「自己責任」が声高に叫ばれた。弱肉強食を良しとし福祉政策がカットされた。それを安倍政権が引き継ぎ、ますます露骨に弱者切り捨て政策を強行している。
 福島県では居住制限区域と避難指示解除準備区域の避難指示を一七年三月末までに解除。両区域の住民への月一〇万円の精神的損害賠償(慰謝料)の支払いを一八年三月末で一律終了。自主避難者に対する住宅無償提供の打ち切り等。高線量地域に強制帰還させようとしているとしか思えない政策を強行しようとしている。
 天皇夫婦が、復興視察に、福島と宮城県を訪れるというが、彼らの慰めで現状は変わらない。謝罪と補償がなされるべきである。
 福島の教訓は生かされず、安倍政権は「事故は起きるがもう安心だ」という神話を振りまき、川内原発、高浜原発と次々に原発を再稼働させている。原発は絶対に再稼働をさせてはいけない。それなのに、住民の避難計画は立てず、免震棟もつくらず、老朽化など様々な問題を残したまま、再稼働を急ぐ姿勢は信じ難いことである。目先の利益に目がくらみ、命をないがしろにすることに、抗議の声を挙げることは当然のことである。
 責任者が責任を取らないという一貫した無責任国家体制は安倍政権の原発再稼働を許している。ドイツも様々な問題があろう。けれども、福島原発事故後いち早く、脱原発に舵をきったこと(フランスから電力を買っているが)を思うと、やはり過去の戦争で犯した罪との向き合い方が違うのではと思うのだ。
 歴史認識歪曲の先頭をいく安倍は参院選で「改憲」をはっきりと明言している。池田浩士さんが、三〇年代ドイツと現代日本との類似を指摘されている。そして憲法一二条の「憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」という一文を重んじて、「趣旨とは、単に護憲を言い続けることではない。憲法に反した現実を覆すべく、市民が相互批判を交わしつつ、政治参加していくことではないか」(東京新聞)と述べていることは示唆的だ。
 最後にこの原稿を書いている最中に、「辺野古工事中断 再協議」のニュース。安倍政権が参院選の対策のために、民意に押され、政権内で想定されていなかった譲歩を迫られる結果になったという。これこそ、沖縄の人々の粘り強い闘いの勝利ではないか。ともかくも工事の中断は本当に凄いことだと思う。安倍の「和解」を通した新基地づくりへの引きずりこみ政策と闘う沖縄の運動に連帯していこう。
 反天連も粘り強く、諦めずに民意に響く言葉を模索する努力をしようと思う。天皇制は差別を前提とする制度なのだから。きっと届く!         (鰐沢桃子)

2016/03/11

反天皇制運動カーニバル 36号 [通巻379号]

反天皇制運動カーニバル
36号[通巻379号]
2016年3月8日発行

主張 ◯責任の所在を明確に! あきらめずに抗議の声を挙げ続けるぞ!

動物(あにまる) 談義◯ 「天皇制の行く末は?」の巻

状況批評 ◯ 都民の財産を守るべき責務を果たさない都知事とそれを批判しないマスコミ─最大約三四億円をドブに捨てた東京都─渥美昌純

反天ジャーナル

書評 ◯ 伊藤晃『『国民の天皇』論の系譜─象徴天皇制への道』─竹内民郎

太田昌国のふたたび夢は夜ひらく〈71〉 ◯ 「世界戦争」の現状をどう捉えるか─太田昌国

皇室情報の〈36〉 ◯ 〈アベ〉政治と象徴天皇の政治─〈相互補完的役割分担〉をめぐって─天野恵

野次馬日誌

集会の真相
 2・11反「紀元節」行動/「日の丸・君が代」の強制をはね返す神奈川集会とデモ/テロはなぜ起きつづけるのか?2・20つくば集会/女天研連続講座・ジェンダーと天皇制第1回「憲法と皇室典範」/戦争法の廃止と朝鮮半島の平和を求める日韓連帯集会

反天日誌

集会情報



定期購読をお願いします(送料共年間4000円)
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2016/02/08

カーニバル35号[主張]

天皇の「お言葉」は安倍政権に利するのみ、騙されるな!

 1月26日から30日、天皇・皇后はフィリピンを訪問した。「国交正常化60周年の親善行事」参加と「太平洋戦争の激戦地への慰霊」の旅だ。新聞は各紙とも連日大きく紙面を割き、天皇たちがどこに行き誰と会い何を語ったかを細かく伝えてきた。それを見るかぎり、今回こそは象徴アキヒト天皇の最後の仕事、「慰霊・追悼」と「おことば」政治の総仕上げだったかと思わせられるものがあった。
 天皇は26日の出発前の言葉で、日本が引き起こした戦争のことについて以下のように述べた。
 「フィリピンでは、先の戦争において、フィリピン人、米国人、日本人の多くの命が失われました。なかでもマニラ市街戦においては、厖大な数に及ぶ無辜のフィリピン市民が犠牲になりました。私どもはこのことを常に心に置き、このたびの訪問を果たしていきたいと思っています」
 先の戦争とは一体どういう戦争だったのか、その戦争に自分たち(天皇とその一族)はどう関係し、「命が失われた」人びとはどのように死んでいったのか、等々の肝心な部分はザックリとそぎ落とした、まったく意味のない「言葉」はこれまでと変わらない。そのうえで、その死者たちへの言及は、まずフィリピン人をあげ、米国人、日本人と続けた。新聞の見出しはそのままの順番で大書されていた。そして天皇夫婦は、まず27日、フィリピンの「無名戦士の墓」を訪れ、28日は留学や研修で日本に来たフィリピン人、在フィリピン日本人などと交流し、日本人の「比島戦没者の碑」に出向くのはその翌日の29日という行程だった。
 記事を読みながら加藤典洋の『敗戦後論』(1997年)を思い出した。大岡昇平の『レイテ戦記』を参照しつつ導き出した「三百万の自国の死者への追悼をつうじて二千万の死者への謝罪へといたる道が編み出されなければ、私たちにこの『ねじれ』から回復する方途はない」、という加藤の結論部分だ。私たちはもちろん、この倒錯した結論を批判的に読み続けてきた。そして今回の天皇の言動は、日本人の死者が先という加藤とは逆の順序であるが、だからといって安倍(政権)との比較で平和・リベラルの看板がもう一回り大きなものとなるのであろうか。
 27日の晩餐会で天皇は、「(先の大戦)においては、貴国の国内において日米両国間の熾烈な戦闘が行われ、このことにより貴国の多くの人が命を失い、傷つきました。このことは、私ども日本人が決して忘れてはならないこと」と述べている。「日米両国間の戦闘」とは、やや踏み込んだ内容ではないかと思うが、それはさておき、本紙前号の伊藤論文ですでに指摘されたとおり、「責任」という言葉は一言もなく謝罪もない。これが賞讃されるのだから日本社会のズレ方は半端ではない。
 アキヒトは、先代天皇が「先の大戦」の最高責任者としての責任をとらなかったがゆえに存在する日本の最高権威者であり、「内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行う」(憲法七条)者である(「左の国事」に「皇室外交」は含まれていない)。天皇は、安倍とどのように比較されようとも安倍の政策のために動き、その逆はありえないのだ。その安倍が実際にフィリピン政府に要請していることは、中国・「南シナ海」を睨んだ軍事協力や人材を含む経済協力等であり、それは戦争と格差社会をさらに進める政策でしかない。天皇の「この度の訪問が、両国の相互理解と友好関係の更なる増進に資するよう深く願っております」という晩餐会での言葉は、この安倍の政策のためにあると読むべきなのだ。
 一方安倍は昨年末、元「日本軍慰安婦」問題で日韓「合意」を取りつけた。当事者抜きの解決とはほど遠い「合意」として批判の声があがっているが、少なくとも日本社会ではおおむね「まあまあの出来」として評価され、安倍の人気も上がった。人気を落としたのは極右陣営の方であろう。先日の国会中継では、日本のこころを大切にする党の中山恭子が、「日本軍・日本の名誉が傷つけられた。強制はなかった、慰安婦はいなかったと言ってくれ」と要請し、安倍が宥めるに等しい答弁をする場面に出くわし驚いた。
 安倍はいま、天皇のソフト路線で実利をとる政治に歩み寄っているのだろうか。しかし天皇と内閣は一体の関係にあり、天皇はこの国の政治のあり方の一つである。その天皇らに過度な期待を持つ「日本人」の意識が変わることなくこの社会は変わりようもないのだ。天皇のフィリピン訪問中、安倍靖国参拝に異議申し立てする大阪の訴訟は敗訴判決が出た。実利は、とるべきところでは容赦なくとられるのだ。
 私たちは数日後には2・11反「紀元節」行動を迎える。天皇神話の建国記念日が法律で定められているこの国のあり方を少しずつでも変えていくしかない。ともに!             (桜井大子)

反天皇制運動カーニバル 35号[通巻378号]


反天皇制運動カーニバル
35号[通巻378号]
2016年2月9日発行


主張 ◉天皇の「お言葉」は安倍政権に利するのみ、騙されるな!

貝原浩のあの時・この時 ◉天皇一家の「御多忙」
 
状況批評 ◉いま、なぜ、これを?─『海道東征』と『君死にたもうことなかれ」 ─小林緑

反天ジャーナル◉「欧州難民危機から省みる」/女同士の愛:映画「キャロル」/10兆円の開発が話題にならないわけ

ネットワーク ◉ 風しもの村 原画展─チェルノブイリからフクシマへ ─貝原浩が遺したチェルノブイリ・スケッチ─平井由美子

ネットワーク ◉ 原発も核兵器もない、もうひとつの世界は可能だ─ 核と被ばくをなくす世界社会フォーラム2016へ─稲垣豊

太田昌国のふたたび夢は夜ひらく〈70〉 ◉ 国際政治のリアリズム─表面的な対立と裏面での結託─太田昌国

野次馬日誌

集会の「真相」◉山さん、プレセンテ! 「山谷」制作上映委員会/ 高浜原発再稼働許すな!1・24全国集会/高浜原発再稼働やめろ! 関電本社に700

反天日誌
集会情報



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2016/01/12

安倍戦争国家と天皇制を問う 2.11反「紀元節」行動に参加を!



安倍戦争国家と天皇制を問う 2.11反「紀元節」行動 集会とデモ

▼講師   須永守(近現代史研究)
「戦争国家と天皇の『慰霊』」

日時 2016年2月11日(木)
13時15分開場 *集会後デモ


場所 神宮前穏田区民会館1F
地下鉄明治神宮前駅/JR原宿駅下車

▼敗戦70年目の2015年は、日本国家が、アメリカ主導の戦争にいつでも、どこでも参加しうる戦争体制に、公然と踏み込んだ年となった。自衛隊が具体的な戦闘行動に参加し、殺し殺される関係へと入っていく危機は、かつてなく高まっている。さらに安倍は、2016年の参院選での「勝利」をバネに、改憲攻撃をさらに強めようとしている。憲法を無視し、現実的にそれを破壊しながら、他方で憲法それ自体をも変えていこうというのだ。
▼この1月26日には、明仁天皇夫婦が、フィリピンを「公式訪問」する予定だ。マニラで歓迎式典やアキノ大統領との会見、晩餐会に出席し、日本政府が1973年にラグナ州に建てた「比島戦没者の碑」を訪れるという。日本の侵略戦争の結果、アジア太平洋戦争を通じてフィリピンではきわめて大量の死者が生み出された。圧倒的多数の民間人を含む、フィリピンの死者は111万人にのぼる。日本人死者も、地域別では最多の約51万8000人だ。兵士の多くが餓死であるという。
▼戦争・戦後責任を一貫して果たさ戦後国家の象徴こそ天皇制である。決して責任者を名指ししない国家による死者の「慰霊・追悼」においては、死者は国家がひきおこした戦争の被害者であるというより、なによりもまず、いまの「平和」をもたらした「尊い犠牲」となる。こうして国家責任が問われることはなくなる。そして新たな戦争の死者も、「平和」のための死、国家のための死の賛美という点では、同様の位置づけをされることになるだろう。天皇を中心としてなされる、国家による「慰霊・追悼」を決して許さない。
▼安倍政権による「戦後」総括と戦争政策、改憲攻撃と対決し、その中における天皇制の役割を批判しぬく反天皇制運動をつくっていこう。2016年の反天皇制運動の展開の第一波として準備される、2・11反「紀元節」行動の集会とデモへ参加を ! 


 安倍戦争国家と天皇制を問う 2・11反「紀元節」行動実行委員会      http://211k.blogspot.jp/

振替●00110-3-4429[ゴメンだ ! 共同行動]



【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村
反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター
連帯社/労働運動活動者評議会

カーニバル34号[主張]


     今年も、安倍政権とアキヒト天皇制を問う!


 昨年末の12月28日、日韓両政府はソウルで開催された外相会談において、日本軍「慰安婦」問題の「最終的かつ不可逆的な解決」で合意した。
 被害当事者や日本軍「慰安婦」問題に取り組んできた人びとの粘り強い運動が、日韓両政府を追い込んでいたことは明らかである。しかし、当事者や支援者が鋭く指摘するように、それは、米国の圧力のもとで日韓政府がおこなった、被害者不在の政治的妥協に他ならなかった。安倍政権は、このことをもってすでに「慰安婦問題」は解決、解消したかのようにふるまっている。そのうえで「軍の関与」や「日本政府は責任を痛感している」が、それは法的責任を認めたものではない、とか、ソウルの日本大使館前の「少女像」(平和の碑)の撤去が、元「慰安婦」を支援する財団への10億円支出の前提条件だとか、居直った言説を繰り返している。日本はここまで譲歩したのであり、今後「慰安婦」問題を蒸し返すことは許さないという、逆転した居丈高な姿勢である。
 反天連でもこのことを論議したが、「慰安婦」問題そのものをなきものにしようとしてきた安倍政権が、口先だけであっても「軍の関与」「責任を痛感」と言わざるを得なかったのは「靖国参拝の断念」や「安倍談話」に続く、ある種の「蹉跌」をも意味しているのではないか、それをどう考えるべきかという話になった。
 安倍個人の政治的資質が、大東亜戦争=解放戦争史観、「自主憲法制定」など、伝統的保守、右翼天皇主義的なそれであることは明らかだ。昨年10月に発足した第三次安倍改造内閣は、安倍を含む20人の閣僚のうち、公明党の閣僚を除く全員が、「日本会議国会議員懇談会」「神道政治連盟国会議員懇談会」「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の三つの議員連盟のいずれかに所属してきた「靖国」派の政治家で占められている(安倍ほか八人はそのすべてに所属)。しかし、そうした右翼政治が貫徹できているとは決していえない。もちろんそこには、右翼主義を全面化することへのアメリカの強い警戒と批判が作用している。しかし、80年代以降の日本の政治過程が、安倍政権に与えている歴史的規定性というものを考える必要がある
 中野晃一は、この30年ほどの政治状況の右傾化を、「新自由主義」と「国家主義」が、矛盾しつつも補完しあって成立する「新右派連合」の推移から読み解いている(『右傾化する日本政治』岩波新書)。とくに2000年以降、「新右派連合」が政治過程で勝利を収めるなかで、それ自体の変容を生み出した。歴史修正主義的な国家主義が力を持ち、行政府への権力集中が進んだ。「政治の自由化」から「反自由の政治」への転換である。
 似たような議論は、すでに渡辺治などによってもなされていた(『〈大国〉への執念』大月書店)。そこでは安倍政権は「グローバル競争大国派と復古的大国への郷愁の狭間で股割き状態に陥っている」矛盾する二つの顔を持ちながら、戦後保守支配層の成し遂げられなかった要求を果たす政権として期待され、登場したものであることが指摘されている。
 これらの分析は、私たちが目の前にしている安倍政権の暴走ぶりを、たんに安倍個人の政治的な資質としてのみ理解すべきではないことを教えている。同時に、折に触れて突出する安倍の国家主義的・復古主義的な姿勢は、全体としての政治・言論状況を「右」に牽引し続けていることは軽視できない。こうした議論を参考にしつつ私たちが考えるべきことは、もちろんそうした安倍政権と象徴天皇制との関係である。
 国家の機関である天皇制も当然、こうした政治過程に規定され動いている。私たちがこの間直面してきたのは、暴走する安倍「壊憲」政権に対して、「護憲・リベラル」なアキヒト天皇制を対置し、後者を賛美し期待すらする言説の広がりであった。だが、仮に天皇個人が安倍個人を嫌っていたとしても、時の政権と天皇制とは、そもそも対立するようなものとしてはありえない。憲法上の地位と歴史的にもつその権威をもって、ときの政権に正統性を与え権威づける役割が天皇の政治上の地位である。
 天皇夫婦はこの1月26日から五日間の日程でフィリピンを訪問する。海外で最大の日本人の死者を出し、現地住民100万人以上を殺害したこの地で「慰霊」するというが、いうまでもなくフィリピンは、対中国戦略上重要な国でもある。そのフィリピンへのこの時期の「親善訪問」が持つ政治的な意味はあまりにも明らかだろう。
 そういった意味において、日本共産党が今回の国会開会式に出席し、礼までしてみせたことは問題である。本号の「動物談義」でこのテーマで話しているのでこれ以上はふれないが、天皇制が現実の政治に果たしている役割をきわめて狭く解釈することで過小評価するばかりか、護憲を言いつつ国事行為にない天皇儀礼の容認=憲法上の逸脱行為さえも現実に容認した愚行だ。現在の運動状況において、小さくない影響力を持つ共産党だからこそ、その行為は、運動における天皇制論議をいっそう解体させてしまうことにしかならない。
 昨年に引き続き私たちは、安倍戦争国家と象徴天皇制とを問う行動を続けていきたい。今年もさまざまなご協力を、よろしくお願いします。

(北野誉)

反天皇制運動カーニバル 34号[通巻377号]


反天連機関紙 反天皇制運動カーニバル34号 [通巻377号]
2016年1月12日発行

     

主張 ◉今年も、安倍政権とアキヒト天皇制を問う!
 
動物(あにまる) 談義◉ 〝共産党ころんだ!?〟の巻

 
状況批評 ◉ 天皇のフィリピン訪問は、大東亜共栄圏の夢を再現するか ─伊藤晃

 
反天ジャーナル

 
書評 ◉ 関千枝子『ヒロシマの少年少女たち─原爆、靖国、朝鮮半島出身者』─弁護士・Y

 
太田昌国のふたたび夢は夜ひらく〈69〉 ◉ 朝鮮の「水爆実験」と「慰安婦」問題での日韓政府間合意─太田昌国

 
皇室情報の〈35〉 ◉ 安倍政権と安倍「談話」再論─神道主義右翼還元主義批判の落し穴─天野恵一

 
野次馬日誌

 
集会の「真相」◉反天連12・23集会/12・23大分集会/12・27辺野古に行くな!第四機動隊抗議アクション

 
反天日誌
集会情報
神田川

 


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2016/01/07

2016 2・11反「紀元節」行動への参加・賛同の呼びかけ


 敗戦70年目の2015年は、日本国家が、アメリカ主導の戦争にいつでも、どこでも参加しうる戦争体制に、公然と踏み込んだ年となった。強行的に成立させられてしまった安保関連法案は、2016年3月29日に施行される。自衛隊が具体的な戦闘行動に参加し、殺し殺される関係へと入っていく危機は、かつてなく高まっている。さらに安倍は、「憲法改正をはじめ、占領時代につくられたさまざまな仕組みを変えていくことが(自民党)立党の原点だ」と述べ、2016年の参院選での「勝利」をバネに、改憲攻撃をさらに強めようとしている。憲法を無視し、現実的にそれを破壊しながら、他方で憲法それ自体をも変えていこうというのだ。

 戦後日本の「国体」といえる安保体制と象徴天皇制こそ、「占領」下で日米が合作してつくりだしたものにほかならない。しかし、安倍にとってはそれは否定されるべきものではない。いわゆる「戦後的価値」、平和主義や基本的人権を国家に「優先」させる思想こそ、安倍自民党が否定しようとしているものである。それらは、「私が責任者」と豪語する安倍の、国家主義的・強権的な政治手法と根本的に対立する。2015年秋に、国会前で叫ばれていたのは、こうした強権政治への否認であったはずである。

 他方、この1月26日には、明仁天皇夫婦が、フィリピンを「公式訪問」する予定だ。マニラで歓迎式典やアキノ大統領との会見、晩餐会に出席し、日本政府が1973年にラグナ州に建てた「比島戦没者の碑」を訪れるという。日本の侵略戦争の結果、アジア太平洋戦争を通じてフィリピンではきわめて大量の死者が生み出された。圧倒的多数の民間人を含む、フィリピンの死者は111万人にのぼる。日本人死者も、地域別では最多の約51万8千人だ。兵士の多くが餓死であるという。

 昨年四月、天皇は「激戦地」パラオを訪問し、死者の「慰霊・追悼」をおこなった。それは、「戦争という悲劇の死者に思いをはせ、戦争の悲惨さを心に刻む天皇」といった文脈で描き出された。だが、この多数の死者を生み出した戦争、その戦争をひきおこした近代天皇制国家の責任は、決して問われることはなかった。

 今回のフィリピン訪問においても、同じような語りが繰り返されるに違いない。占領下の天皇制は、戦後の象徴天皇制に衣替えし、戦争責任を回避しえた。戦争・戦後責任を一貫して果たさ戦後国家の象徴こそ天皇制である。決して責任者を名指ししない国家による死者の「慰霊・追悼」においては、死者は国家がひきおこした戦争の被害者であるというより、なによりもまず、いまの「平和」をもたらした「尊い犠牲」となる。それは国民こぞって追悼しなければならない。こうして国家責任が問われることはなくなる。そして新たな戦争の死者も、「平和」のための死、国家のための死の賛美という点では、同様の位置づけをされることになるだろう。天皇を中心としてなされる、国家による「慰霊・追悼」を決して許さない。

 この間、安倍の強権政治と比較して、天皇の「護憲・平和主義」が肯定的に言及されることが多い。しかし、天皇の役割とは、つねに、現実が生み出す社会的な亀裂を、観念的に糊塗し「修復」する機能を、国家の装置として果すことである。安倍政権による「戦後」総括と戦争政策、改憲攻撃と対決し、その中における天皇制の役割を批判しぬく反天皇制運動をつくっていこう。2016年の反天皇制運動の展開の第一波として準備される、2・11反「紀元節」行動への、多くの方の参加・賛同を訴える。

 http://211k.blogspot.jp/