2016/02/08

カーニバル35号[主張]

天皇の「お言葉」は安倍政権に利するのみ、騙されるな!

 1月26日から30日、天皇・皇后はフィリピンを訪問した。「国交正常化60周年の親善行事」参加と「太平洋戦争の激戦地への慰霊」の旅だ。新聞は各紙とも連日大きく紙面を割き、天皇たちがどこに行き誰と会い何を語ったかを細かく伝えてきた。それを見るかぎり、今回こそは象徴アキヒト天皇の最後の仕事、「慰霊・追悼」と「おことば」政治の総仕上げだったかと思わせられるものがあった。
 天皇は26日の出発前の言葉で、日本が引き起こした戦争のことについて以下のように述べた。
 「フィリピンでは、先の戦争において、フィリピン人、米国人、日本人の多くの命が失われました。なかでもマニラ市街戦においては、厖大な数に及ぶ無辜のフィリピン市民が犠牲になりました。私どもはこのことを常に心に置き、このたびの訪問を果たしていきたいと思っています」
 先の戦争とは一体どういう戦争だったのか、その戦争に自分たち(天皇とその一族)はどう関係し、「命が失われた」人びとはどのように死んでいったのか、等々の肝心な部分はザックリとそぎ落とした、まったく意味のない「言葉」はこれまでと変わらない。そのうえで、その死者たちへの言及は、まずフィリピン人をあげ、米国人、日本人と続けた。新聞の見出しはそのままの順番で大書されていた。そして天皇夫婦は、まず27日、フィリピンの「無名戦士の墓」を訪れ、28日は留学や研修で日本に来たフィリピン人、在フィリピン日本人などと交流し、日本人の「比島戦没者の碑」に出向くのはその翌日の29日という行程だった。
 記事を読みながら加藤典洋の『敗戦後論』(1997年)を思い出した。大岡昇平の『レイテ戦記』を参照しつつ導き出した「三百万の自国の死者への追悼をつうじて二千万の死者への謝罪へといたる道が編み出されなければ、私たちにこの『ねじれ』から回復する方途はない」、という加藤の結論部分だ。私たちはもちろん、この倒錯した結論を批判的に読み続けてきた。そして今回の天皇の言動は、日本人の死者が先という加藤とは逆の順序であるが、だからといって安倍(政権)との比較で平和・リベラルの看板がもう一回り大きなものとなるのであろうか。
 27日の晩餐会で天皇は、「(先の大戦)においては、貴国の国内において日米両国間の熾烈な戦闘が行われ、このことにより貴国の多くの人が命を失い、傷つきました。このことは、私ども日本人が決して忘れてはならないこと」と述べている。「日米両国間の戦闘」とは、やや踏み込んだ内容ではないかと思うが、それはさておき、本紙前号の伊藤論文ですでに指摘されたとおり、「責任」という言葉は一言もなく謝罪もない。これが賞讃されるのだから日本社会のズレ方は半端ではない。
 アキヒトは、先代天皇が「先の大戦」の最高責任者としての責任をとらなかったがゆえに存在する日本の最高権威者であり、「内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行う」(憲法七条)者である(「左の国事」に「皇室外交」は含まれていない)。天皇は、安倍とどのように比較されようとも安倍の政策のために動き、その逆はありえないのだ。その安倍が実際にフィリピン政府に要請していることは、中国・「南シナ海」を睨んだ軍事協力や人材を含む経済協力等であり、それは戦争と格差社会をさらに進める政策でしかない。天皇の「この度の訪問が、両国の相互理解と友好関係の更なる増進に資するよう深く願っております」という晩餐会での言葉は、この安倍の政策のためにあると読むべきなのだ。
 一方安倍は昨年末、元「日本軍慰安婦」問題で日韓「合意」を取りつけた。当事者抜きの解決とはほど遠い「合意」として批判の声があがっているが、少なくとも日本社会ではおおむね「まあまあの出来」として評価され、安倍の人気も上がった。人気を落としたのは極右陣営の方であろう。先日の国会中継では、日本のこころを大切にする党の中山恭子が、「日本軍・日本の名誉が傷つけられた。強制はなかった、慰安婦はいなかったと言ってくれ」と要請し、安倍が宥めるに等しい答弁をする場面に出くわし驚いた。
 安倍はいま、天皇のソフト路線で実利をとる政治に歩み寄っているのだろうか。しかし天皇と内閣は一体の関係にあり、天皇はこの国の政治のあり方の一つである。その天皇らに過度な期待を持つ「日本人」の意識が変わることなくこの社会は変わりようもないのだ。天皇のフィリピン訪問中、安倍靖国参拝に異議申し立てする大阪の訴訟は敗訴判決が出た。実利は、とるべきところでは容赦なくとられるのだ。
 私たちは数日後には2・11反「紀元節」行動を迎える。天皇神話の建国記念日が法律で定められているこの国のあり方を少しずつでも変えていくしかない。ともに!             (桜井大子)