2015/01/20

敗戦70年と象徴天皇制の70年を撃つ 2・11反「紀元節」行動 集会とデモへ!


▼講師   森正孝(映画「侵略」上映委員会)
◯安倍極右政権の歴史改ざん主義と中国脅威論
 
▼日時 2015年2月11日(水)
13時15分開場 *集会後デモ
 
▼場所 千駄ヶ谷区民会館2F
JR原宿駅/地下鉄北参道駅下車



▼ 12月の衆院選で「勝利」した安倍政権は、どのような無茶も「国民の信任」のもとで強行できると思い上がっているようだ。もはや法も人権も民主主義もない、傍若無人に戦争をする国づくりに突き進む姿しかみえない。
▼ 侵略戦争と植民地支配の歴史。戦前より一貫して利用し尽くすだけの支配的関係を強いてきた沖縄の基地問題。原爆被害をまんまと原発推進にすり替えた詐欺の政治。歴史に頬被りを決め、戦争を「平和」と言いくるめてきた日本政府は、米国との密約を重ねることで無反省・無責任な「敗戦処理」と「戦後復興」を果たした。
▼ その結果とも言える差別・排外主義、偏狭なナショナリズムに社会は席巻され、あらたな棄民政策による貧富の格差は拡大するばかり。憲法破壊と戦争国家のゴールがそこに見えている。
▼ そして天皇一族は、戦後的価値が一掃される中で不安定に陥る社会をまとめるべく、すべての矛盾を覆い隠す役割に、今年も忙しく動くことだろう。すでに3.11の東日本大震災追悼式や4月のパラオ慰霊訪問などが予定されている。
▼ 敗戦から70年の今年、放置され形を変えながら残り続けた問題の一つひとつをたぐり寄せ、現在の問題と繋げながら、日本社会と安倍政権にあらためて突き返していきたい。
▼ 敗戦70年最初の反天皇制行動、2.11反紀元節の集会とデモへ! 


敗戦70年と象徴天皇制の70年を撃つ 2・11反「紀元節」行動
【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/立川自衛隊監視テント村/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

2015/01/14

カーニバル22号[主張]

 
アキヒト・ミチコは「救済者」なのか?!
 

 昨年一二月二四日、戦後最低の投票率による選挙の結果、第三次安倍内閣が発足した。個別政策には軒並み反対意見が多数を占める。民意を反映するとはいえない選挙制度ではあるが、沖縄では自民党を全敗させた。しかし、比例区で復活し、沖縄では候補者全員が当選という事態となった。この選挙制度のあり方を大いに問題にすべきである。
 この選挙戦の前、安倍がTV出演した際、放映される「街の声」が偏っているとして自民党は「中立要請」の文書を出している。〇四年には自民党ポスターのパロディーを掲載するブログにその削除要請を出している。安倍はメディア戦略に突出して熱心である。NHK戦犯法廷の番組改ざんの張本人であるこの男は、秘密保護法を成立させ、ことごとく言論の自由を奪っている。今回フランスでの風刺週刊誌本社銃撃事件について「言論、報道の自由に対するテロだ。いかなる理由であれ、卑劣なテロは決して許すことができない。強く非難する」と述べている。これはブラックジョークなのか。以前、ある映画制作者から聞いたことがある。天皇を批判するような場面をつくれば、ホームの端は歩けないと。「帰れ!」と皇太子の車に呼びかけたら逮捕され、横断幕を掲げたことでストーカーまがいの尾行が始まる。「原発反対!」「基地反対!」「戦争反対!」と国策に反対の声を上げれば逮捕である。
 私たち反天連は、この問題も重視し、二三日の「天皇誕生日」に「12・23討論集会 敗戦70年『平成天皇制』を総括する」集会を行った(集会報告参照)。
 思い起こしてみよう。二〇一一年の3・11震災前、天皇制は非常に陰の薄いものになっていた。大学生はアンケートに「あってもなくてもいい」と回答し、女性週刊誌に何も掲載されない週もあったりと、かつてのような盛り上がりもなく露出度も非常に低くなっていた。しかし3・11震災後、彼らの巻き返しは凄まじく、天皇夫婦はじめ、IOC総会でスピーチした高円宮ヒサコ等々、皇族のメディア露出度には目を見張るものがある。
 天皇在位二〇年式典当日の東京新聞に、辺見庸は中野重治の『五勺の酒』を引用し「天皇の天皇制からの解放」を説いた。あれから七年、天皇夫婦は「平和を愛する民主主義者」として称讃され、まるで「極右政権」からの救済者のようになっている。主張欄でもそのつど取り上げてきたが、天皇夫婦の発言は「極右安倍政権」をあたかも牽制するかのような物言いである。昨年は、リベラルな言論人たちから「戦後民主主義を体現するのはアキヒト・ミチコ」と言わんばかりの讃美の声が、頻繁に聞かれる状況へと一気に変貌をとげた。
 こうした状況の中、私たちはどのように天皇制批判をしていくのか。運動のあり方が問われている。12・23集会は天皇制批判の視点、その方法を探る意味で充実した内容であったと思う。今後も継続してさまざまな形で議論の場を設けたいと考えている。「ヒロヒト天皇制(戦前・戦中・戦後)のイデオロギー」と「アキヒト・ミチコ天皇制のイデオロギー」の腑分けと整理。法的な天皇の位置づけの再確認も必要である。かつて天皇批判の言説として現れた神山茂夫や徳田球一らの議論と、それと対比される中野重治らの議論のような流れが、戦後の天皇制批判の中でどのような影響を与えてきたのか。そしてそれはアキヒト・ミチコの時代を論じる際に、どのように展開されているのか。戦後70年という時間は、天皇制とそれを体現する天皇の在り方をどう変容させているのか、検証が必要だと思う。そして、そこから説得力を持った反天皇制の論理を作りだしていかなければならないだろう。
 集団的自衛権、秘密保護法など軍事色がますます濃くなると同時に、大企業、富裕層を優遇する政策と貧困層を冷遇する政策がむき出しになった。
 沖縄の人々も、福島の原発事故による被災者たちも切り捨て、オリンピックに突き進む安倍政権。福祉を切り捨てる政策は、実際に窓口となる地方自治体を締め付ける。その中で、年末年始の野宿者への炊き出しをさせないために、渋谷区は宮下公園など三公園を閉鎖し、国立市はシェアハウス「事実婚」認定で児童手当等の打ち切りを行った。どれほど多くの人々が厳しい越年を強いられただろう。
 不条理な政策に人々はもっと怒りの声を挙げるべきである。天皇夫婦の慈愛などでごまかされてはいけない。声を挙げ抵抗する。今年もともに頑張りましょう。どうぞよろしくお願いします。反天連も参加する、2・11行動は始動している!
(鰐沢桃子)

反天皇制運動カーニバル22号 [通巻365号]

反天連機関紙 反天皇制運動カーニバル22号 [通巻365号]
2015年1月13日発行


主張  アキヒト・ミチコは「救済者」なのか?!

貝原浩のあの時・この時  「日本のめくらまし剤だねえ」

状況批評  一九六五年日韓国交正常化から、現在の日韓関係を展望する─吉澤文寿

反天ジャーナル

書評  彦坂諦『文学をとおして戦争と人間を考える』─野崎六助

太田昌国のふたたび夢は夜ひらく〈57 戦争」と「テロ」を差別化する論理が覆い隠す本質─太田昌国

ネットワーク   公安警察はストーカーをやめろ! 三鷹でも反撃開始 ─警察の人権侵害を許さない会・三鷹

野次馬日誌
集会の真相
集会情報
神田川


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2015/01/12

2015・2・11 反「紀元節」行動への参加賛同の呼びかけ



敗戦70年と象徴天皇制の70年を撃つ 2・11反「紀元節」行動への参加・賛同の呼びかけ

 二〇一五年、私たちは敗戦七〇年目の年を迎えようとしている。
 すでにマスメディアでは、戦後七〇年を意識したキャンペーンが始まっている。この一年、日本の戦後史とその評価をめぐって、さまざまな言論が登場するはずである。そこで、いわば戦後の「総括」の場がつくり出されることは明らかである。
 安倍首相は、七〇年目にあたって「安倍談話」を発表したい意向だと言われている。しかし安倍政権においても、右派が期待するような、「従軍慰安婦問題」や日本の侵略を認めた「河野談話」や「村山談話」などを否定する談話を出すことは、事実上不可能だろう。そうではなく、それらを「継承する」と言いながら、あたかも新たな談話を上書きすることで、実質的にそれらを骨抜きにする方向がめざされるのではないか。そしてそれが、植民地支配やアジア太平洋戦争に対する日本の責任に対する言及を欠き、自国中心主義的な「未来志向」を謳うものとなることも明らかだろう。
 一九九五年、敗戦五〇年目に出された「村山談話」や「国会決議」は、もとよりきわめて不十分なものでしかなく、それどころか「談話」について解説した村山首相は、「天皇に戦争責任はない」とわざわざ明言していたのだ。しかし、これに対して右派のバックラッシュが巻き起こった。そしてその先頭に立っていたひとりが、ほかならぬ安倍だったのである。
 七〇年目を区切りとして、さまざまな場面において、日本の戦後を向こう側から総括し、平和主義や基本的人権など「戦後的価値」を一挙的に清算し、国家主義・強権的方向で「戦争をする国家」への全面的転換を果そうとするのが、安倍の進める政治に他ならない。そしてその道が、今回の衆院選における「勝利」によって「国民の信任を得た」といういい方で、より加速されようとするだろう。
 他方、この四月には、明仁天皇夫婦が、パラオを「慰霊訪問」するという。かつて日本の「委任統治領」であった南洋群島のひとつであるこの地は、アジア太平洋戦争中、三か月にわたるペリリュー島の凄惨極まる消耗戦で、日米両軍に大量の死者を出した場所である。未収集の大量の遺骨も放置されたままというこの地での天皇の「慰霊」行為は、悲劇の戦場で「追悼」する天皇、「戦争の死者に思いをはせ、戦争の悲惨さを心に刻む天皇」といった文脈で描き出されることになるだろう。しかし、そこでは、その死者を生み出した戦争、その戦争をおこした近代天皇制国家の責任は、決して問われることはない。
 死者は国家がひきおこした戦争の被害者であるというより、なによりもまず、いまの「平和」をもたらした「尊い犠牲」なのだ、だから国民こぞって追悼しなければならない。天皇を先頭に作り出されるこうしたムードは、「お国のために尊い命を捧げた英霊」を、国が顕彰しなければならないという「靖国」の論理と、「国家による死者の利用」という点でつながるものである。それは、その地における具体的な死者と結びつけられるがゆえに、きわめて強固な政治力を発揮するだろう。
 明仁天皇は、即位以来、東南アジアや中国などへの「皇室外交」、沖縄や広島・長崎、東京下町、硫黄島、サイパンなど、戦争に関わる加害と被害の地を精力的に回り続けてきた。八・一五における「全国戦没者追悼式」も含めて、国家による「追悼」とそこでの天皇の行為は、つねに国家の戦争・戦後責任を解除し、問わなくさせるための儀式でしかなかった。さらに、「東日本大震災」以降、三・一一が、国家の原発推進政策と原発事故の責任を解除させるための天皇儀式の日ともなっている。
 新自由主義政策のもとで拡大する「格差」、大企業や富裕層への優遇と民衆生活の破壊は、この社会に深刻な亀裂を生みだしている。あらゆる分野での国家による「棄民」が進んでいる。こうした分解を観念的に包摂し、「日本」の「国民」として統合する役割は、やはり天皇に与えられているのだ。こうした点において、天皇と安倍政権の役割は「分担」されている。しかし同時に、われわれは、折りに触れて現われる天皇と安倍政権との「齟齬」についても注目していかなければならない。それは少なからぬ「リベラル派」のように、安倍政治を「牽制」するために天皇発言を持ち上げたいからではない。戦後象徴天皇制の現在と、その再編方向をめぐって現われている支配層内部の矛盾が、そこにあらわれているからにほかならない。現天皇によって、二五年以上にわたって重ねられてきたそうした役割を、敗戦七〇年と重ね合わせて、われわれの視点から総括し批判する運動をつくっていかなければならない。
 敗戦七〇年の反天皇制運動の第一波として、私たちは例年通り、二・一一反「紀元節」行動の準備を開始している。多くの方の参加・賛同を訴える。



敗戦70年と象徴天皇制の70年を撃つ 2・11反「紀元節」行動 http://2015211.blogspot.jp/

【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/立川自衛隊監視テント村/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会