反天皇制運動連絡会 編
『天皇の被災地「巡幸」──何やっテンノー!?』
鰐沢桃子(反天皇制運動連絡会)
大晦日に紅白歌合戦を初めから観てしまった。この歌番組は1945年敗戦の年の大晦日に、「紅白音楽試合」というタイトルでラジオで放送されたのが始まりということだ。当初、GHQが「合戦」という言葉に難色をしめし「試合」になったらしい。1951年にタイトルを現在の「紅白歌合戦」に改め、1953年にはテレビで実験放送されて、昨年で62回になるという。
占領期である。明けて1946年に昭和天皇ヒロヒトの「戦後巡幸」がスタートする。沖縄だけを残し1954年の北海道を最後に全国「巡幸」を終える。「大日本帝国」の大元帥ヒロヒトは不安だったに違いない。しかし心配をよそに各地で大歓迎され「国民」の天皇へと変貌していく。そしてそれを引き継いだアキヒト、ミチコによって、災害地へ出向き復興状況の視察を行う形へと移っていく。膝をつき被災者を励ます平成流を確立し「国民とともにある天皇」を演出していく。
震災後、天皇アキヒトは国民向けにビデオメッセージを流し、天皇、皇族は被災地・被災者の「慰問」を精力的に行った。反天連では天皇、皇族のこの動きを平成の「玉音放送」「巡幸」と位置付けて、政治的な意味を検証するために2011年7月11日に小集会を行い、「モンスター」19号でもその報告をしている。このパンフはその時の三人の講師の発言をまとめたものである。
反天連の天野恵一は「棄民政策」に焦点を当てて、戦争から原発事故にいたる天皇制の役割を鋭く指摘する。旧「満州」において、軍人たちが日本人移民を棄てて逃げてしまったこと。餓死地獄の中でのたれ死んだ「捨て駒」にすぎない兵隊たちの話などが、現在のフクシマへの政策と重なる。若い人たち、天皇制をこれから学ぶ人たちにこの具体的な話はわかりやすいと思う。天皇の役割はそういうことか、とうなずける。
伊藤晃さんは、「戦後巡幸」を経て「国民」の天皇へ変貌する動きを近代史研究家の視点から整理され話されている。ジュンコウを「巡行」と書く伊藤さんのこだわり。天皇の口調の変化が国民の一致を説く思想の進化へと繋がっていくということ。天皇主権でもなく、人民主権でもない「国民主権」が誕生し、国民という資格によって、権利は国から与えられるものであるという思想と並存することになる、と考えを述べるが、従順すぎる今の日本人を見るとき、とても合点がゆく話である。
作家の彦坂諦さんは、「とにかく素朴に単純に考える。こんかいわたしがわたしに課した課題です」と前置きされ、「天皇はなぜいなくならないのか?」という端的な問いから話を展開された。天皇を追い出せないわけを、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」の部分から説かれた。人間は自由の重みに耐えられないという話から、「奇妙な逆転」を起こさせるものとしての天皇制を語られる。
2012年1月1日、私は教会で礼拝に参列し、パンと葡萄酒を食して一年をスタートさせた。キリスト者の私には「大審問官」の言葉は核心的な問いである。素朴で単純なことが一番難しい。このパンフは議論の入口である。
私は最初に紅白歌合戦の話をした。「明日を歌う」をテーマに復興を前面に出し「国民」が一体となって被災した東北の方々を応援するという、この間繰り返されたナショナリズムが充満するものであった。韓国のグループも三組出演し、公にしないけれど、在日の歌手もいる。けれども使われる言葉は「国民」のみ。この状況では不自然とも思えるほど「原発」という言葉を聞くことはない。福島出身の歌い手は苦しそうだ。何ひとつ解決していないのに、すべてが解決され新たな年を迎えるという雰囲気だ。「東北を思う」という言葉が、これほど現実とかけ離れた状況もないほど偽善的な内容であった。私たち自身の力では容易に廃止することのできない天皇制を、そこに見ている気分にさせられた。途中でテレビを消さなかったのは、この救いがたいものから目を逸らせてはいけないと思ったからだ(レディ・ガガは歌唱力あるな〜、なんて楽しんだけれど)。
このパンフは初心者にもとても解りやすく、読みやすいものである。そして天皇制についてこだわってこられた方々にとっては、ここから議論を展開させたくなるはず。ぜひお買い求めのうえ反天連の討論に参加してください。「何やっテンノー!?」という声を響かせましょう。
(頒価:400円)