2012/12/04

モンスター35号 [主張]

天皇制はどこに向かうのか? 12·23反天連集会へ!


 ここにきて、いわゆる「政局」が大きく動いている。少なくとも、「第3極」と呼ばれる勢力のなかに、原発の是非をめぐる対立点が浮上し、「リベラル」的なものと「保守」的なものとの政治姿勢の差が際だってきたことはよいことだ、と素直に思う。改憲をはじめ、右翼的政治を競い合う安倍自民党と石原・橋下維新ばかりがクローズアップされ、そして世論調査などでは、彼らへの圧倒的な支持ばかりが伝えられていたからだ。
 今年の4月に発表された自民党の改憲案は、2005年に発表した草案を「サンフランシスコ講和条約」60年にあたって改訂したものだ。自衛隊の「国防軍」への改称、集団的自衛権行使の容認、天皇を「日本国の元首」と位置づけ、日の丸や君が代の尊重を義務づけるもの。改憲案をまとめた憲法改正推進本部の最高顧問の一人が安倍だった。いずれにせよ、今後、改憲問題は政治的争点のひとつに再浮上していくことになるだろう。そしてそれは、私たちにとっては、明仁天皇の「Xデー」過程と並行することにより、象徴天皇制の再編=再定義をめぐる政治的な攻防とならざるを得ないはずである。
 11月17日、天皇明仁は糸満で開かれる「全国豊かな海づくり大会」出席のために沖縄へと出発した。沖縄現地では、天皇来沖に反対する連続アクションが準備され、私たちも現地の反対行動に呼応し、この日、銀座で集会とデモを行い、抗議の声をあげていった。この大会それ自体が沖縄「本土復帰」40年記念行事のひとつであると同時に、オスプレイ配備や辺野古・高江などの基地建設をはじめ、強化される日米による安保=基地の押しつけへの怒りが強まる沖縄の感情を「慰撫」する役割が期待されていたはずである。しかし、現在の天皇制が、そういった役割を十全に果たし得るものであるかどうかは、また疑問ではある。もちろん、慰撫などできるものではない。今回もまたそうであったように、現在における天皇制のふるまいは、きわめて名目的・儀礼的なものにとどまっている。テレビで「海づくり大会」の中継を見て感じたのは、迎える方も迎えられる方も、あまりにも白々しいという感覚だった。儀礼とはそもそもそういうものだと言えばそのとおりだし、私たちもまた、そういう「名目的統合」が果たす役割を問題にしてきたつもりである。それでも明仁天皇は、沖縄に対する「思い」を常日頃強調している「実績」もあり、その儀礼にある種の「内実」を盛り込むポーズを示すことだけはできた。しかし徳仁の代になると、それは文字通りの無内容しか示し得ないのではないか。それがむしろ、国家の儀礼装置として存在する天皇制の「純化」となるともいえるのかもしれない。このあたりの議論は、3年という反天連のこの期の終わりを迎えるにあたって、私たちなりの総括と展望を提示していく上で、必要な作業であると考えている。
 さて、私たちはいま、恒例の12·23集会の準備に入っている。今年のテーマは、「戦後象徴天皇制国家の正体」。ちょっと気づかれにくいが、最近ベストセラーとなったらしい孫崎享の『戦後史の正体』のもじりである。もちろん、私たちは孫崎の本が評価されるべきであるなどという立場にはいない。だが、この本がベストセラーになるということについてだけは、考慮してみる価値はあるだろう。戦後日本における「アメリカの影」、もっと言えば、戦後日本国家そのものが「アメリカ製」であることに、すでに多くの人が気づいているのだ。もちろん、政権政党の「対米従属」と「自立派」を機械的(恣意的?)にふりわけて、後者を宣揚することが、私たちの目的ではない。私たちは、戦後日本国家がそのように作られたことによって、象徴天皇制や戦後保守政治もまた「アメリカ製」であり、その「出自」を隠蔽するものとしてナショナリズムや国家主義も煽られてきたともいえる構造全体を問題にしたいのである。そうした戦後を積極的につくりだし、戦後象徴天皇制を自ら作り出したのが裕仁であり、そしてそれを「大衆社会」的に展開したのが明仁であったとすれば、そうした戦後的な枠組みはそのままで、天皇制を今後どのように使っていくのかは、天皇制を国家の機関として保ち続けようとする為政者にとっては、あいかわらず課題としてあるはずである。
 当日は、日本キリスト教会館で、発言者としてピープルズ・プラン研究所の武藤一羊さん、青山学院大学教員(日本文学)の佐藤泉さんをお迎えし、反天連の天野恵一も加えて議論していく予定である。来年も忙しくなりそうである。今年の締めくくりの集会に、ぜひ。  (北野誉)