原発ファシズム・天皇制
・まえがき(北野誉)
・原爆と原発、そして天皇
――象徴天皇制国家の〈原発責任〉 (天野恵一)
・原子力〝平和利用〟と永井隆(田浪亜央江)
・反原発運動を語る困難さについて(山口素明)
・質疑
まえがき
このパンフレットは、昨年12月23日に反天連主催でもたれた集会「原発ファシズム・天皇制」(千駄ヶ谷区民会館)の記録である。
この集会からでもすでに4か月になるが、3・11と、それに続く日々の記憶は生々しい。もちろん、首都圏に住む私たちにとっては、それは被災現地の苦難とは比べものにならないものである。だが、震災に続く原発事故がもたらした状況は、やはり私たちの生を一変させるほどの衝撃を持つものだったことは明らかである。
そのことを含めて、3・11以後を「戦後」と対比して語ることが多く見られた。12・23集会でも、そうであった。けれども、それはたんなる風景の類似性にとどまるものではない。そうした風景を作り出してしまった責任、つまりは、まさに戦後において問われなかった責任、あるいは連続してしまった社会的なシステムを今こそ問わなければならないという意志において、それは語られているのだ。
天皇一族は、いちはやく被災地を訪れ、被災者を「慰撫」して回った。それは、戦後「巡幸」がそうだったように、天皇制と民衆との関係性を、あらためて再確認し「復興」していく儀礼的な行為でもあった。そして、今年の3月11日、国家による震災の死者の「追悼式」における明仁天皇の「おことば」は、3月11日という日付を、反原発ではなく追悼一色に塗り込めてしまうための、きわめて強い政治性をさえ発揮している。
そして原発事故は、現在も続いている事態である。しかし「復興」を叫ぶ政府は、同時に原発再稼働に向けて前のめりになって進んでいる。彼らの言う「復興」とは、そういうものだ。「潜在的核保有」としての原発を推進した体制──山本義隆が言う、政・官・財一体となった"怪物的"権力によって、地元マスコミや学会から批判者を排除し、翼賛体制として成立したところの「原発ファシズム」──は、いまだ解体していない。
私たちは、そのような現在進行形の「戦後」を問題とすることにおいて、日本の戦後を作り出した天皇制の責任、そしてその戦後をつねに肯定する役割を果してきた天皇制の責任を問い続けねばならない。このパンフは、そうした角度から反原発運動に合流していきたいと考えている私たちの、活動の記録でもある。(北野誉)