2012/02/16

モンスター25号[反天ジャーナル]

生きてるうちが花なのか

森﨑東の映画「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」の上映と、その脚本家の話を聞く会があった。この間の反原発運動のなかで、あらためて注目され、各地で上映会が持たれているという。僕も公開翌年くらいには見ているのだが、細かいところはすっかり忘れていた。とりわけ、被曝労働者の現実が、これほど細かく描かれていたのかと。もちろんそれは、観る側の関心の強度というものにかかわっているわけである。

実は、「新宿芸能社シリーズ」とか、「女は度胸」「男は愛嬌」とか、結構森﨑映画は好きなのだが、これらと同様に市井の(というよりは下層の)バイタリティに満ちた群像が魅力的。だが、忘れ難いのは美浜の娼婦、「アイちゃん」である。とくに彼女が夜中の海岸で、自分が生まれてからいまに至るまで出会った人たちの名前を、一人ひとり数え上げていくシーン。映像は原発内部の労働者のリアルな姿(樋口健二さんが紹介するような)に切り替わり、それに名前を呼び出す声が重なっていく。名前の最初には、筑豊出身の子ども時代の彼女を抱っこしてくれたらしい、朝鮮人や沖縄人を多く含む炭鉱の人びとの名前がある。また、沖縄出身の主人公は、各地の言葉が交じり合った「方言」を使う。これらの「声」に、生の流動とその起点とを想った。
【北】