今年も抵抗の声をあげるぞ! 2・11行動へ!
1月16日、「君が代」処分問題で最高裁が判決を出した。昨年も複数の訴訟に対する同時判決が言い渡されたが、今回も3件の同時判決言い渡しとなった。なんとも誠意のない話である。上告人は併せて171人。うち停職処分2人、減給処分が1人、あとの168人は戒告処分。減給1ヶ月の渡辺厚子さんと、停職1ヶ月の河原井純子さんは処分取り消し。そして停職3ヶ月の根津さんと戒告の168名に対しては上告を棄却。いわゆる「分断判決」だ。公表されている根津さんの言葉を少し紹介したい。
「積極的な妨害とはいえない不起立については救済の対象=減給以上の処分は違法、しかし、根津のように積極的に妨害、批判する者は許さない=停職処分は違法ではないとした判決でした。一方に救済する者を作り、そこを落としどころとして、しかも根津には止めを刺し、それを以って今後不起立をしようと思う教員に対する見せしめとする。裁判所はこうして、『君が代』裁判に幕を閉じようとしているように思う。終わった問題とすることで現場の教員たちの『君が代』強制に対する疑問や抵抗感を一掃し、闘いを潰す狙いがあったのではないか、と思います」。多くの人々の関心と注目をここで終わらせることなく、次につなげるための言論と行動の継続が求められていることをを痛感するのみ。ともに声をあげたい。
その2週間後の1月30日、土肥信雄元都立三鷹校長に対する敗訴判決が東京地裁で下された。学校運営を職員会議で決めるのは不適切との理由で職員会議での挙手や採決を禁じた都教委に対し、「民主主義的な議論を奪う」と校長会やメディアで繰り返し主張してきた土肥校長が、そのことを理由に退職前に受けた非常勤教員の採用に不合格となったというのが訴訟までの経緯らしい。詳細を知らないまでも、しかし判決のおかしさだけはよくわかる。都教委の通知に対し「挙手によって校長の決定権が拘束されていた一部の都立高校の状況を改善し、校長が権限を十分に行使できる環境を整えるためのもの」「教育への不当な支配にもあたらない」とし、そのような通知に異議申し立てする校長に対し「自分の考えに固執する姿勢からは職責を十分に果たせるとは考えられない」という理由で再雇用を拒む都教委の判断は不合理ではない、というのだ。
校長に絶大な権限を与えその校長を牛耳る、というこれまでの文科省や都教委の思惑をそのまま判決にしたような例だ。日本社会の歴史認識や価値観を育てる教育現場であるからこその締め付けなのだ。その下で闘いをいどむ教職員への連帯、民主主義を育ててはならぬという教育行政に介入しうる言論、どのような運動のあり方が可能なのか、引き続き問うていきたい。
自明のことだが、いまの日本社会を真っ黒にしているのはこの教育問題だけではない。すでに一年が経とうとする3・11で、潜在的にあった原発問題が抜き差しならないものとして大きく私たちの眼前にあり続けている。また、3・11以前からとり組まれていた諸課題の深刻さが、原発問題の大きさと緊急性によって、緩くなるはずもない。運動的にはかなり厳しい状態にありつづける。だが、これまで積み上げられてきたそれぞれの運動が、司法を動かし、行政の勢いをそぐ力としてあり続けていることも忘れてはなるまい。先の「君が代」処分の一部勝訴もその結果である。あきらめてはそこで終わりなのだ。
反天連はここ数年以上、戦後の国家再建に関わるところで学習会をつみあげてきた。そこで見えてきたことは、現在の原発問題・基地問題を筆頭に、米国と、戦前から力を蓄えてきた日本政財界の権力者たちが織りなす、妥協と相互依存と結託と密約などのもろもろである。そして、敗戦直後からの日本政府や右派・保守陣営の巻き返しのための執拗な活動の結果が現在の日本社会である。だが、どの局面においてもそれぞれに対抗言論、抵抗運動はあり続けたし、その結果の現在でもある。そして、この「未曾有」のこの局面においても、抵抗の人々は少なからずいるのだ。
私たちは例年どおり2・11反「紀元節」行動を実行委とともにとり組む(チラシ参照)。天皇制はかなりのピンチ状況にあるが、これまでもそうであったように粘り勝つつもりでいるらしい。私たちは「女性宮家」問題、政府主催による3・11式典等々、目前の課題に一つずつ取り組んでいくしかない。2・11を皮切りに今年も反天皇制の行動は街頭にも出て行く。多くの人々と問題意識を共有し、小異を捨てずに大同を模索する方向で頑張りたい。多くの方の参加を! ともに!
(桜井大子)