2014/07/08

カーニバル16号[主張]

 安倍戦争国家の「追悼」を許さない!討論集会へ!


 六月二六日、天皇・皇后が沖縄入りした。この訪問は、今年が「対馬丸事件」から七〇年ということで、天皇夫婦の強い希望であったと報道された。天皇らは、沖縄平和祈念堂、国立沖縄戦没者墓苑を訪問し、翌日、「対馬丸犠牲者」の慰霊碑へ供花、その後「対馬丸記念館」で生存者や遺族と懇談した。
 一九四四年、国体護持のための「沖縄戦」が本格化するなか、「皇軍」の食糧確保と足手まとい排除を目的とする約一〇万人の疎開計画が立てられ、半強制の海を渡る疎開が展開された。その過程で米潜水艦によって撃沈され、一五〇〇名が死亡した「対馬丸事件」。天皇夫婦はその事件の責任を負う立場から謝罪し許しを請うためにではなく、当然のように、この事件の「犠牲者」の慰霊と、生存者や遺族との懇談を行った。この懇談に参加を呼びかけられた、当時引率役で乗船していた元教員は、「遺族に申し訳ない」と不参加であった。そこには、同様に「犠牲者」でありながら、引率者・教員という立場の責任を感じる人の痛みがある。その元教員から手作りのレース三枚が送られ、それらは天皇の行く先々、供花台や部屋に「敷かれた」という。その部屋で、天皇は「私と同じ年ですね。どうぞお元気で」、皇后は「奇跡のように生き残ってくださって」、などと生存者に声をかけ、「懇談」した。倒錯した責任感や倫理観のようなものが倒錯したまま表現されるこの状況に、胸が悪くなる。「対馬丸事件」問題については、私たちも参加する8・15反「靖国」行動実行委主催の集会で、講師の石原昌家さんから詳しい話を聞くことができた(集会報告参照)。
 その沖縄では、オスプレイ強制配備、辺野古や高江への新基地建設、与那国島への自衛隊配備などが、人々の大きな反対の声が響く中で強行され、更なる軍事化が進められている。沖縄を訪問し、「戦争犠牲者」の慰霊、被害者への慰撫を繰り返す天皇と、沖縄を米国の自由にさせ、戦場にすることに何の躊躇もなさげにみえる安倍は、矛盾するようでいて、表裏かもしれないが実は一体のものとしてある。天皇の強い希望があろうがなかろうが、今回の天皇の沖縄訪問は安倍政権の政策の一環である。それが象徴天皇制という国家のしくみであり、からくりなのだ。時の政権と天皇が織りなす、矛盾と一体化のこのだまし絵は、何度もその絵柄を変えつつ、繰り返し人々に見せてきたものだ。同じからくりに半世紀以上も騙され続ける社会であっていいわけがない。このからくりを暴き倒すための知恵を出し合い、何とか楽しい行動につなげていかねば、思う。
 似て非なる問題として、六月一八日都議会において塩村文夏都議が受けた「自分が産んでから」等のセクハラ野次について、一点だけ書いておきたい。
 野次に対する批判のなかに、議会の「品格」ということばを何度か目にした。「品格」の専売特許は天皇一族であるが、その天皇一族と天皇制こそが、この野次を正当化しこのような思考と発言が「普通」に出てくる環境をつくりだしているのではないか。たとえば皇太子妃雅子は、一族から、日本中から、同じハラスメントを受けてきたし、それはいまだに正当化されたままではないのか。世襲制という政治システムがそれを正当化しているのだ。「子どもを産むこと」を要請するこの「品格」に欠けたシステムが、皇族に「品格」を維持するための費用を支払う倒錯。安倍と天皇のだまし絵ではないが、これは、この社会が気づかねばならない、根本的なところで騙され続けている問題の一つなのだ。
 さて、安倍政権は七月一日、「集団的自衛権」の行使を合憲と読み直す閣議決定を下した。閣議決定で、憲法を実質変えていくという暴挙に対して、「『これは総理の悲願だから』。首相官邸の高官や自民党幹部から連日こんな言葉を聞く」と、新聞は書いている。憲法は安倍の「悲願」などで簡単にいじられるようなものではない、が、以前なら冗談にもならないようなことが現実のこととなっている。この社会の「常識」をかなりずれてしまっているのだ。
 私たちはこのような状況下で8・15行動を迎えるため、8・15行動実行委とともに、六月二八日、前述した集会を開催し、七月二一日には、「安倍戦争国家の『追悼』を許さない!討論集会」を準備している(チラシ参照)。国家が天皇とともに「戦死者」を追悼することの意味を、これまで8・15に行動を作ってきた人たちとともに討論したいと考えている。これは、例年の私たちの8・15行動を豊かなものとするための議論となるはずである。多くの方に参加を呼びかけたい。 
(桜井大子)