2013/08/14

カーニバル5号 [主張]

安倍改憲政権反対! 差別排外主義反対! 反弾圧と自由の声を!

 参院選の結果は、事前の評判通り、自民党圧勝・民主党大敗という結果となった。維新の議席が伸びなかった結果、維新と協力して96条の正面突破から改憲を推し進めていこうというプログラムが、一定の見直しを余儀なくされたことは間違いない。けれども、それは改憲攻撃が弱まったということではない。
 
 選挙後の記者会見で安倍は、96条の改正発議ができる条件を野党の協力を得て追求するとともに、まずは国民投票法の改正に取り組む考えを示した。また石破幹事長も、「党憲法改正草案への国民の理解を求めていくため、戦略的に対話集会のようなことをやっていく」と述べ、全国各地で対話集会を開く考えを表明している。さらに安倍は、集団的自衛権が違憲であるとする従来の政府見解の見直しを進め、新たに「国家安全保障基本法案」の策定をめざすことも明らかにした。これはいわば、九条に関しては「解釈改憲」でもいいから、とにかく実質化に向けて突き進むということだろう。もちろん、96条や立憲主義をめぐって、改憲派まで含めて自民党改憲案を批判する動きが強まっていたり、安保基本法については公明党との調整が必須であるとか、さまざまな困難も横たわっている。
 
 その安倍政権のもとで、8月15日に安倍の靖国参拝があるかどうかが注目された。安倍自身の参拝はどうやら見送られるようだが、閣僚や国会議員の参拝がまた行われそうだ。だが、あいかわらず靖国問題は、まるで「外交問題」だけであるかのように語られてしまっている。東アジアの国々のみならず、アメリカの政治支配グループにおいてさえ、安倍政権の歴史認識は大きな懸念材料である。靖国問題に関する権力者の判断が、「外交問題」にしかないことは明らかである。けれども私たちにとっては、その根本のところにある歴史認識の内容そのもの、植民地支配と侵略の責任、それを一貫して回避してきたことの責任こそが、問われるべき問題としてあり続けていることはいうまでもない。
 
 そういった中、麻生副総理による「ナチスに学んで改憲を」発言が飛び出した。歴史的事実の誤認を重ねた、保守派のお仲間達の会合という場所での軽口のような発言だったが、だからこそそこには、麻生の半ば無意識化された歴史意識が、正直に示されていたといわねばならない。
 
 この発言は瞬く間に世界に広がり、ロサンゼルスに本部を持つ反ホロコーストの人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」をはじめ、大きな批判を浴び、早々に「発言の撤回」に追い込まれた。しかしわれわれは、この麻生がその政治的なステップを確立する資源として引き継いでいる麻生財閥が、麻生炭鉱などでの過酷な朝鮮人強制労働によって富を蓄積してきた歴史を持つ企業であったことを忘れることはできない(「麻生炭鉱での朝鮮人強制労働」http://www16.ocn.ne.jp/~pacohama/kyosei/2asou.htmlなど参照)。麻生グループの企業責任は、戦後一貫して果されてはいない。さらに麻生太郎自身、総務大臣時代の2003年に「創氏改名は朝鮮人が望んだ」などとも発言している。
 
 こういった状況が続いているからこそ、われわれは、安倍改憲政権の歴史認識そのものを問題とせざるを得ない。私たちが参加する実行委は、今年も8・15反「靖国」集会とデモにおいてこのテーマに取り組んでいくが、同時に、この日本社会を広く覆っている差別排外主義に反対していくこと、そして右翼を口実として運動への弾圧、介入と分断を目論む警察権力を許さず、あたりまえの権利としてある言論・表現の自由を求めていく課題を持つ行動であることを痛感する。
 
 私たちの8・15のデモは、街宣右翼や在特会などレイシストによる激しい妨害と、激しい憎悪の中を進まなければならないものとなってしまっている。もちろん、それは新大久保や鶴橋などにおける、レイシストによる在日朝鮮人への差別煽動と同一視できるものではない。われわれはそこに暮らしているわけではないし、その日限りの攻撃を受けるだけなのだ。けれども、8・15のデモが「朝鮮人」、あるいは「朝鮮系反日日本人による極左デモ」として攻撃される限りで、8・15における排外主義右翼たちの側の攻撃性は、この社会のマイノリティに対してまっすぐに向けられているものと同質である。
 
 8・15の行動が、そのような意味合いをも帯びたものとなっているということの現実性をかみしめつつ、私たちは今年も反「靖国」行動に取り組んでいきたい。国家による「慰霊」反対、天皇制の戦争責任・植民地支配責任追及、そして安倍改憲政権のナショナリズムと差別排外主義に抗する行動を、ともに作り出していこう。
(北野誉)