2013/02/12

【反天連声明】 国家による原発責任回避のための儀式 天皇出席の3.11「東日本大震災追悼式」に反対する


2013年2月5日           
                                     反天皇制運動連絡会

 1月22日、政府は、東日本大震災から2年の3月11日に、東京国立劇場で安倍首相を実行委員長として政府主催の追悼式を行う閣議決定し、古谷国家公安委員長を責任者とする「追悼式準備室」が内閣府大臣官房に設置された。昨年同様、天皇・皇后の「臨席」のもとでそれは行なわれるという。
 昨年の「追悼式」には1200人が参加し、「地震発生時刻の午後2時46分に1分間の黙祷」「野田佳彦首相の式辞や、天皇陛下のお言葉、岩手、宮城、福島3県から招かれた遺族代表のあいさつ」などが行なわれた。
 この国家式典について、私たちは1年前、次のような批判の声明を出した。
 「筆舌に尽くしがたい惨事が東北を中心とする人びとを襲った。れまでの生活は一瞬にして破壊され、たくさんの命が失われた。れを目の当たりにした人びとにとって、また、そういった人びとに直接繋がる人びとにとって、この日が特別の意味をもつことは当然であり、失われた命に思いを寄せ、その死を悼むことはあたりまえの感情である。だからこそ私たちは、国家がその感情をすくい取り、さまざまな人の持つ多様な思いを暴力的に集約し、ある種の政治へと方向づけしていこうとするこの『追悼式』を、けっして許すことはできない。」
 「自然災害はおさまれば確かに暮らしは再建され『復興』に向かうはずだ。しかし、原発事故という大災害は、いまだに進行している事態であり、それは決して旧に復することのできない深い傷を刻み続けている。……私たちは、この現在進行中の事態を隠蔽していくためにこそ、この『追悼式』がおこなわれようとしているのだと断ぜざるをえない。」
 「私たちは例年、8月15日に天皇出席のもとで行なわれる『全国戦没者追悼式』に反対する行動に取り組んでいる。それは、戦争の死者を生み出した責任主体に他ならぬ日本国家が、その死者を『戦後日本の繁栄』をもたらした存在として顕彰することによって意味づける儀式である。そこに決定的に欠落しているのは、その死をもたらした戦争に対する反省の意識だ。国家がなすべきことは、戦争の死者を褒め称えることではない。国家による被害者にたいして責任を認めて、謝罪と補償(恩給ではなく)を行うことである。
 この8.15と同様の政治が、3.11においても起動させられていくに違いない。8.15において隠蔽されるのが国家の戦争責任であるとすれば、3.11において隠蔽されるのは国家の『原発責任』である。」
 「国家が『追悼』する対象は、個々の固有の名を持った死者ではありえない。儀礼的な空間の中で、人びとが持っている具体的な死者との関係の固有性は消去され、集合的に追悼されるべき単一の死者=『犠牲者』なるものに統合されてしまうのだ。その抽象的な『犠牲者』に対して、地震発生の時刻に合せて、国家のタクトのもとで『国民的』規模で黙祷が行なわれる。それはそのとき、さまざまな場所で、自らの思いにおいて個別の死者を悼むであろうすべての人びとの行為をも、否応なく国家行事の側に呑み込み、その一部としてしまうのである。『国民的』であることの保証は、また『日本国民の統合の象徴』である天皇が式典に出席することによっても与えられる。指揮棒に従わない者は死者に唾する『非国民』となるかのように。
 昨年3月11日、福島現地や、もちろん東京でも大きなデモがあり、私たちも国会包囲の「ヒューマンチェーン」の一翼を担っていた。当日のテレビは、こうした行動の映像の一部を映しはした。だが、その映像の前後は、各地でおこなわれた追悼式や、2時46分に街頭で黙祷する人びとの姿で埋め尽くされた。そして、一連のニュースの要となっていたのが、この政府による追悼式典と、そこに病をおして出席し「おことば」を述べて見せた明仁天皇の姿だったのである。こうして、1年目の3・11は、なによりも「国民的」な追悼の日として描き出されたのだ。
 この日、天皇が述べた「おことば」には、「この震災のため原子力発電所の事故が発生したことにより、危険な区域に住む人々は住み慣れた、そして生活の場としていた地域から離れざるを得なくなりました。再びそこに安全に住むためには放射能の問題を克服しなければならないという困難な問題が起こっています」という一節があった。これは、「原発事故との闘いは続いています」とのひと言を除いて、放射能はもちろん原発事故についてふれず、もっぱら「復興を通じた日本の再生」ばかりを強調した、式典での野田首相の式辞に比べれば、当然の認識であり、踏み込んだ発言であったと言える。だが、この「再び安全に住むために放射能を克服する」というロジックこそが、高線量地域における「除染」を正当化する言説にもなってしまうのである。住み慣れた地域に帰り、かつての暮らしを取り戻したいという、被災者の切実な気持。それをも利用することによって、あたかも除染をしさえすれば、あらたに「避難指示解除準備区域」に線引きされなおした、かつての避難指示区域に戻って普通に生活できるかのようなキャンペーンが張られているのだ。そして天皇は昨年10月、30キロ圏内の福島県川内村を訪れ、除染の現場を視察して回った。マスクも付けず、ジャンパー姿で現場を歩いていた天皇の姿は、染をすれば安全だという政府の説明が正しいものであることを身もって示す、格好の宣伝材料になったはずである。
 原発の再稼働を当然のものとし、被災者の声を無視し、事故の責任を回避し、住民ではなくゼネコン主体の「復興」を進めようとする安倍政権の方向性は、ますますはっきりしてきている。住民に対する補償や避難の権利を認める方向にではなく、「除染利権」など大手資本を潤し、補償金を値切るための政策ばかりが進もうとしている。
 昨年の私たちの声明の結論部分はこうだ。
 「この『追悼式』は、人びとの悲しみや死者への思いを簒奪することを通じて、国家の責任を隠蔽し、『復興キャンペーン』へと人びとを動員する装置である。しかし国家がなすべきことはほかにある震災と原発事故の被災者の生存権を守り、被害を補償し、さらには一層の被害の拡大を防止するためにあらゆる手立てが尽くされなければならない。しかし、政府が行おうとしている方向性は逆だ。……それは、『復興』されようとしている社会が、3.11以前と同じ社会であること、そこにおいて利益を享受していた者たちの社会であることを物語る。この点で私たちは、国家による『追悼式』への抗議の声を、3.11というこの日においてこそ、反原発という課題に合流させていかなければならない。
 私たちは、これと同じ批判の言葉を、いま一度繰り返さなければならない。国家による、原発責任回避のための儀式を許すな!