姉妹、兄弟よ、まずかく疑うことを習え
12月に入り窓に結露が見られるようになった。紅葉した木々を見ても単純に美しいとは思えない。放射能が心配なのだ。ビルばかりのこんな都会にいても、季節の変化を自然の中に感じて生活していたのだなと、しんみり思う。この自然から生活の糧を得ていた人々にとって、原発事故がもたらした放射能の被害は本当に死活問題である。事故から九か月、年の瀬を迎える師走になっても福島原発事故は収束しない。被災された多くの人々は先の生活が見えない中、不安をかかえて寒い季節を迎えている。
「国益」の名の下で繰り返される戦争だが、ルーズベルトの原爆製造計画「マンハッタン計画」により原爆という核兵器をどこの国より先に手にいれたアメリカの政策は、今なお途切れることなく続いている。今年はサンフランシスコ講和条約、日米安保条約が締結されてから60年目の年である。今では当時のアメリカの公文書が公開され、私たちは様々な書籍によりそれらを目にすることができるようになった。開示された膨大な資料は、第二次世界大戦が「民主主義対ファシズム」の戦争という図式では整理できないことを私たちに教えてくれる。「正義のための戦争」などないのだということを教えてくれる。
米国の原爆投下、空襲も含めた無差別殺傷、天皇を大元帥とする日本の侵略責任、両者ともに戦争犯罪に向き合うことをしない。互いの利害が一致した日米の支配者は「正義」と「国益」を叫び、現在も罪を犯し続けている。
核兵器を製造する「マンハッタン計画」は「核の平和利用」=潜在的核武装戦略と名前を変える。アメリカによって形成されたといっていい親米保守政権は、国策として原発を推進していく。そして起きたのが福島原発事故である。
第二次世界大戦の帰趨と福島原発事故が全くおなじ線上に位置するものであることを開示された資料は示す。そしてそこに、どの政治家よりも手腕に長けた「戦略家」天皇ヒロヒトの姿があぶりだされる。この戦後体制の作られ方を今一度確認しなければならないと実感する。天皇制は飾りではない。この国は恐ろしいほどに天皇に支配された国家である。
天皇を頂点とした、保守的政治家、財閥関係者、大蔵省幹部、外交官からなる戦前から継続する戦後体制において、今回の原発事故が起きたのだということを忘れてはならないだろう。
あの敗戦から私たちは何を学び、そして何を学ばなかったのか。「国体護持のために私たちの命は使われる」一人一人の命など、支配者にとって捨ててもいいものなのだ。
今回の原発事故後の対応もまた、そのことを教えてくれる。放射能はすべての人に、平等には降り注がない。原発労働者、福島に住んでいる人、東京にいる者、皇族、天皇。避けられる者と避けられない者。受ける被曝線量は違う。
「反原発」ということは、「国のために犠牲となる命」が必要だと考えている者たちとの闘いだ。アメリカは日本軍のプロパガンダ活動に従事していた人間を動員して、占領期には労働組合潰しを行った。運動を潰すときには必ず右翼を使って警察が介入したことを忘れてはならない。
加害を認めない支配者たちは過ちを繰り返す。原発推進派の巻き返しも活発だ。国内にとどまらず、原発輸出にも熱心である。日米の「トモダチ作戦」は核戦争の訓練として格好の場を提供したであろう。アメリカの新自由主義は軍事経済と一体化し、命を使い捨てていく。沖縄の基地、日の丸・君が代、靖国、原発、TPPは一本の線上にあるのだ。
サンフランシスコ講和条約から60年の今年も残すところわずかとなった。戦争責任に向き合わない支配者によってつくられた体制は強化されている。この間の「大阪維新の会」の選挙圧勝や、戦争責任に関わる一連の裁判の敗訴にもそれは見ることができる。「がくろう神奈川」組合員の逮捕もそうであろう。反天連の会場問題もその現れだ。一〇〇年前の山川菊栄の言葉「姉妹よ、まずかく疑うことを習え」は今も生きている。
そして皇室の動きも活発である(談議参照)。が、抵抗する私たちの催しも盛りだくさんである。反天連も参加している福島原発事故緊急会議は12・11に経産省前から反原発行動を行う。12・14は韓国のハルモニたちの1000回水曜デモに連帯して外務省を人間の輪で囲む。そして皆さんお待ちかね、12・23反天連集会を千駄ヶ谷区民会館で行います。お待ちしています。
(鰐沢桃子)