9月11日、新宿で行われた「9.11原発やめろデモ!!!!!」に対して、警察権力は、これまで以上に敵意をむき出しにして臨んだ。主催者によれば、当初のデモ申請の出発地点とデモコースは一方的に変更させられ、デモ隊に対する過剰な警備体制が敷かれた。デモの隊列は圧縮され、押し込められ、参加者は暴力を振るわれたという。こうして自ら混乱をつくり出した警察は、デモ参加者を「公務執行妨害」などの名によってほしいままに逮捕し去ったのである。最終的な逮捕者は12人、まさに大量弾圧というべきである。
私たちの多くは、そのとき、都内で行われていた別の反原発アクションの場にいた。新宿の状況はそこにも刻々と伝えられた。膨れ上がっていく逮捕者の数に耳を疑い、怒りをかきたてられながら、このどす黒い警察権力の意思が、原発を推進し維持し続けようとする国家の意思とまっすぐつながっていることを、あらためて確認しないではいられなかった。
逮捕された人びとが「違法なデモをした」「暴行をふるった」などという許しがたいデマが、マスコミなどで垂れ流される。今回の弾圧が、反原発への弾圧であるばかりでなく、5.7や8.6などと同様、運動の広がりそれ自体に対する弾圧であることは、デモの参加者にこそはっきりと感じられていよう。なによりも、さまざまな人びとが、さまざまな方法で、自由に路上に繰り出していくことを圧殺しようというのが権力の意思だ。だから大量の逮捕者を生みだしたデモは、警察の暴力性ではなくデモの暴力性の証しとして描きだされる。そしてそのデモの参加者は「特殊な存在」であり、いわゆる「過激派」であるというかたちで、反原発運動のなかに分断の線が引かれる。
14日までに、逮捕者のうち7人まで釈放されたが、残りの5人に対しては不当にも10日間の勾留がつき、いまなお警察署に捕われたままだ。すでに救援会が立ち上がりさまざまな活動に取り組んでいる。私たちもまた、多くの人びととともに、新宿でおきた事態をはっきりと認識し、不当逮捕糾弾・即時釈放要求の声を上げていきたいと考える。
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そして私たちは、今回、差別排外主義「市民右翼」=在特会(在日特権を許さない市民の会)などの連中がその場に登場し、デモ隊を挑発し、警察に逮捕を要求したという事実に、強い怒りを禁じることができない。
3.11以後、「原発の火を消させない国民会議」なるものを立ち上げた彼らは、この日、歩行者天国がおこなわれていた新宿三丁目の交差点近くに陣取り、デモ参加者を「反日極左」と名指しつつ、「生きたまま原子炉にたたきこめ」などと連呼した。
なにより、そのような場所を、警察が在特会に確保させたということ自体が、彼らへの優遇ぶりを物語っているのである。もちろん、歩行者天国を理由に情宣を制限することは不当だ。しかしこれまで、多くの市民・社会運動は、それを理由に警察や地元商店会の執拗な介入を受け、情宣の妨害をされてきたのだ。それが、彼らに対してだけは黙認されたばかりか、柵の中とはいえ、特等席ともいうべきカウンターの場が用意されたのである。
あまりにも傍若無人に差別的な言辞を吐き続ける在特会メンバーに対し、抗議の声をデモ参加者が上げるのは当然である。しかし、抗議しようとしたデモ参加者は、「逮捕しろ」と叫ぶ在特会メンバーの声に煽られるようにして一斉に襲いかかった警察によって、道路に押し倒され逮捕された。在特会のメンバーは、「逮捕なんて生ぬるいことしてないで射殺しろ」と叫び、逮捕者と一緒にいて警察に拘束された女性の腹を蹴るなどの暴行まで加えている。だが、これにたいして警察は「おとがめなし」で、なんの対応もしていないのである。暴力を行使した側ではなく、それに対して抗議しようとした側が逮捕されたのだ。
警察は、在特会にデモ妨害の自由を与え、デモ隊を挑発させることでデモを弾圧するための道具に使ったことは明らかである。在特会はその与えられた条件を存分に享受して、デモへの薄汚い妨害を続けたのだ。
デモ隊のすぐ脇で自由に「カウンター」を展開する在特会と、警察に規制され圧縮されながら進むデモ隊の不自由さ。このきわめて非対称的な構造は、私たちにとっても既知のものである。私たちも参加して例年取り組まれている、8.15反「靖国」行動のデモも、彼ら在特会らの「カウンター」に見舞われ続けているが、今年もまた警察は、九段下交差点が見わたせるポイントに、わざわざ彼らのためのステージをしつらえてやり、彼らはそこから、差別排外主義と暴力的な言辞を思うがままにデモ隊に浴びせかけることができたのだ。
警察権力と在特会のデモ隊に対する悪意は、彼らが言うところの「過激派」や「反日極左」を、そのようなものとしてレッテルばりして、この社会から葬ってしまいたいという意思において通底している。異論や他者を暴力的に排除することを自己目的化しているのが排外主義者であるとすれば、警察権力は、排除と包摂の線を引きながら、自律的な行動を自らの制御しやすい枠内へと押し込めていこうと意識している。かかる整序への暴力、排除と包摂の位階的なシステムこそ、この社会を根本から侵しているものであって、それを私たちは天皇制社会と呼ぶ。
3.11以降の現実は、地域差別や「死に向かう」原発下請労働者などへの差別構造とそれを前提とする社会のうえに、原発という存在が立っていたことを明らかにした。差別構造総体に対する反対の声を! 自由な行動、表現の自由に対する警察権力の不当な弾圧と、排外主義者たちによるデモへの妨害と攻撃を許すな! 5人の仲間をすぐ返せ!
2011年9月16日
反天皇制運動連絡会
救援会のサイトはこちら→ http://911nonukyuen.tumblr.com/