2014/03/05
いま問う「靖国問題」 2・11反「紀元節」行動 集会基調
いま問う「靖国問題」 2・11反「紀元節」行動 集会基調 http://2014211.blogspot.jp/
はじめに
昨年一二月二六日、安倍首相は国内外の批判を無視し、靖国神社を参拝した。
靖国神社は、天皇のための死者、侵略戦争の戦死者を「英霊」として祀る神社であり、その歴史観は一連の日本の侵略戦争を「アジア解放戦争」「聖戦」として賛美するものだ。
一方で、安倍政権は「積極的平和主義」を唱えながら、米国とともに「戦争ができる国」づくりを猛スピードで進めている。戦争の歴史は「世界平和」を口実に繰り返されてきたのだ。また、「戦争をする国家」はその戦争による死者を意味づけし賛美していく。日本におけるその舞台は靖国神社である。
天皇神話に基づく「建国」を祝わせ、天皇のための戦死者を顕彰する靖国神社を戴く、戦後も断ち切られていない政治に「NO!」の声を突きつけることが、いまこそ切実に求められている。
天皇主義と国家主義を露骨に推進し、私たちの自由や生存権を踏みにじり、東アジアに緊張を創り出し、沖縄を新たな戦争の前線としてあらためて位置づけなおす安倍政権に、大きな抵抗の声をあげていくために、私たちは本日、〈いま問う「靖国問題」 2・11反「紀元節」行動〉を開催する。
1 「紀元節」と右派の動向
本日二月一一日が「建国記念の日」とされたのは、一九六六年からである(適用は六七年から)。紀元前六六〇年のこの日に、神武天皇が橿原宮で即位したという「建国神話」にもとづく、戦前・戦中の「紀元節」の復活にほかならなかった。それゆえにこの日は、天皇主義右派勢力にとって、最大の祝日であり続けている。
例年この日には、神社本庁や日本会議、神道政治連盟などが「賛助団体」として名を連ねる「日本の建国を祝う会」主催の「建国記念の日奉祝中央式典」が明治神宮会館で開かれ、青山通りから明治神宮にかけて、主催者発表で五〇〇〇名規模の奉祝パレードも行っている。また、別の右派グループである「紀元節奉祝式典実行委員会」も、星稜会館で「紀元節奉祝式典」を開催している。
一方、政府後援の式典やイベントは、自民党政権時代の二〇〇六年以降、中断されたままだ。
一九八五年、中曽根政権のもとで結成された「建国記念の日を祝う会」によって、政府が後援し首相参列のもとで記念式典が開催された。この「祝う会」は八六年に財団化して「国民の祝日を祝う会」に改組されたが、やがて、政府後援の式典からは首相の参列がなくなり、規模も縮小され、やがて会自体が解散するに至った。
八六年の改組にあたっては、「神武天皇建国の意義」を除くなどの方向性が打ち出されたことに不満を抱いたグループが脱退し、独自の式典を開催するようになった。それが今年も記念式典をおこなう「日本の建国を祝う会」である。これら一連の経緯の背景には、中曽根政権の国家主義・復古主義に対する内外からの批判の高まり、八〇年代以降のグローバル化など、大きく変貌する情勢に対して、権力側にとって、「建国記念の日」をたんなる復古主義で位置づけて祝うことが、必ずしも積極的な意味合いを持たなくなっていたということがあるだろう。しかし、安倍政権の再登場は、この「建国記念の日」についても、新たな意味付けが付与される可能性を高いものとしている。二〇一二年の自民党の選挙公約において、「竹島の日」(二月二二日)、「主権回復の日」(四月二八日)と並んで、「建国記念の日」に政府主催の式典を開催すると明記されていたことを忘れてはならない。
昨年の「日本の建国を祝う会」による2・11の式典には、下村博文文科相、高市早苗自民党政調会長なども出席し、安倍自民党総裁の祝辞が代読されている。そこでは「政府主催の奉祝式典を実施する、その環境づくりを進めていく」などの発言が相次いでいる。今年の2・11には政府主催の式典は実現しなかったが、「建国記念の日」をめぐっても、安倍政権による攻撃は強まっていくだろうことは間違いない。
こうした、政府与党のトップが右派勢力によって占められているという状況が、民間右翼に力を与え、またネット言論も含めた右翼勢力の動きが、安倍政権の政治的資源となっているという状況がある。とりわけ、在特会をはじめとする「行動する保守」勢力は、昨年、新大久保や鶴橋をはじめとして、各地で醜悪なヘイトクライムをまきおこした。デモや宣伝などで彼らが垂れ流す差別煽動それ自体が犯罪である。しかし、それらの言説を批判するポーズをとってみせる右翼政治家たちの主張が、本質において在特会などと大きく異なるものではないのだ。それはこの社会を広く蔽っている。
しかし、在特会を始めとするレイシストの行動に対しては、彼らを社会的に包囲していく動きがこの間大きく作り出されつつある。朝鮮学校へのヘイトスピーチ街宣にたいしても京都地裁が人種差別撤廃条約に言及した判決を出した。
こうしたさまざまな声に連なりつつ、われわれも社会的に構造化されてしまった差別・排外主義に抗する質を持った、反天皇制運動の大衆化をめざしていこう。
2 「なぜ靖国問題?」の解決を
靖国神社は、一九四五年八月一五日の敗戦以降、その存在のあり方も含め、国内外で問題とされ続けてきた。その一方で、天皇を含め、国会議員、閣僚、首相らは、敗戦直後から断続あるいは集中的に参拝を続けてきた。軍国主義のイデオロギー装置として連合国側から危険視され、その解体さえありえた占領期を一民間宗教法人とすることで生き延び、その裏では国家が関与した明確な政教分離違反の「合祀」を継続し、植民地主義・軍国主義的なイデオロギーも保持したまま、靖国神社は現在にいたっている。国外からの抗議や国内における訴訟など、具体的な問題が出ても、「靖国」は「靖国」のまま残り続けているのだ。この「靖国」の戦後史は厳しく問い直されなければならない。このような戦後史を許し続けてきた日本社会の問題として、それはいま切実なものとしてある。
A級戦犯合祀などが主な理由で大きな外交問題となった一九八五年の中曽根康弘元首相の参拝以来、首相の公式参拝は一旦途絶え、二〇〇一年、小泉政権で復活した。同時にそれは、外交問題、あるいは外交問題に起因する政治問題として、頻繁にメディアの俎上にあがることとなった。六年続いた小泉参拝もやはり外交問題が大きな理由で小泉政権とともに終止符が打たれ、首相参拝は再度六年間の空白を要した。しかし、その間も閣僚や国会議員参拝は途切れることなく続いている。昨年も、「春季・秋季例大祭」(四月・一〇月)、「終戦記念日」(八月)における国会議員・閣僚の大量参拝、首相安倍の「真榊」「玉ぐし料」奉納など、安倍政権は国内外に緊張の波をたて続けてきた。そして、一二月、安倍は靖国を参拝した。メディアは「日韓関係はもちろん、対米関係の冷却化を招いた」と断定・批判した。
安倍の靖国参拝に対し、国外からはもちろん、国内でも大きな批判の声があがった。韓国・中国との首脳会談の準備に奔走してきた外務省をはじめ、自民党内部にさえ批判は渦巻いたという。また、昨年一〇月初めに2+2で来日したジョン・ケリー米国務長官とチャック・ヘーゲル米国防長官は「靖国」ではなく千鳥ヶ淵戦没者墓苑で献花し、靖国否定を態度で示した。参拝直前まで米国や自民党内部からは「やめろ」のサインが出し続けられていたのだ。それを振り切った参拝は、安倍のこれまでの傲慢で挑発的な外交のひとつの典型であり、それは、安倍政権が推し進める戦争国家と対応し、そのことで想定される死者の顕彰・追悼は、ほかのどこでもなく「靖国」でやる、という意思の表明でもある。
「靖国」参拝で外交問題が生じるのはあたりまえであるが、外交問題が生じるから問題なのではない。政教分離規定では完全に違憲であり、それ以前に、かつての植民地主義・軍国主義への無反省が靖国神社を今なお存続させているのであり、存在そのものが問題であるのだ。また、そのような神社への首相や閣僚・国会議員らの参拝は、この国が靖国思想を肯定し、国家のための死者に感謝し、その死を顕彰し、かつ新たな死の想定を暗黙に了承させる行為としてある。それは戦争をする国家のやることだ。中曽根は「国のために命を捧げた人に国が感謝と哀悼の意を捧げないようでは、これから先、誰が国のために命を捧げるというのか」と語ったではないか。
しかし、この「靖国」問題はいま、外交問題、あるいはそれを起因とする政財界の不利益に繋がる結果の政治問題としてのみ、新聞・TV等のマスメディアによって語られる。そしてそれがそのまま世論につながるという事態が延々と続いているのだ。「靖国」問題とは歴史認識の問題であり、戦争と平和、民主主義に関わる問題である。その解決は、「靖国」と靖国的なものを残し続けてきた日本社会の課題である。私たちは諦めることなく訴えていきたい。
3 日米安保の強化・沖縄の前線基地化
辺野古新基地建設をとめよう
安倍政権は、中国や朝鮮の軍事的脅威やアルジェリア人質事件のような「国際テロ」から国家と企業を守るとして一挙に改憲の先取り=「戦争できる国」へと国家体制の大転換をすすめている。昨年末、「国家安全保障会議(日本版NSC)設置法」と「特定秘密保護法」を強行採決し、年末には対中国戦争を想定した、国家安全保障戦略、新防衛大綱、中期防衛力整備計画を閣議決定した。島しょ「防衛」を名目に「防衛」の重心を北方から南西諸島に移し、「沖縄の基地負担軽減」と言いながら、沖縄・琉球諸島全域を軍事基地としようとしている。与那国島に自衛隊の沿岸監視部隊を配備し、移動式警戒管制レーダーを南西諸島の島しょ部に配備、那覇基地に早期警戒機の飛行隊新設配備と戦闘機部隊を一個飛行隊から二個飛行隊に増勢する。「平成二六年度」防衛予算も二年連続増加であり、陸上自衛隊員の定数をはじめてふやした。
安倍政権の領土ナショナリズムを煽る好戦的施策は、中国や韓国、朝鮮から避難を浴び、軍事的、政治的緊張を激化させている。同盟国米国からも安倍首相の靖国参拝や「従軍慰安婦問題」では非難されている。米政府は中国の防空識別圏への対応でも民間航空会社が中国政府へ飛行計画提出を容認するなど安倍政権と一線を画しており、歴史認識などでは安倍政権の国際的な孤立も深まっている。
安倍政権がすすめる戦争国家化は、日米安保体制のさらなる強化をもたらす。それは沖縄を一層、日米の軍事基地・出撃基地とすることであり、沖縄に再度の「犠牲」を強いることである。安倍政権は、そのためにあらゆる手段を使って沖縄民衆の反戦反基地の闘いを叩き潰し、辺野古新基地建設を強行しようとしている。
安倍政権は、昨年末から仲井真沖縄県知事の公有水面埋め立て承認、そして一月一九日の名護市長選で辺野古新基地建設推進派の末松候補を当選させるために権力や金などあらゆるものを総動員して沖縄に襲いかかった。まず沖縄選出の自民党国会議員団を「離党勧告や除名処分」の恫喝をもって普天間基地の「県外移設」から「辺野古容認」へ転向させた。石破自民党幹事長がその国会議員五人を従えての「記者会見の光景は、歴史の歯車が1879(明治12)年の琉球処分まで後戻りしたような印象を抱かせた」(沖縄タイムス)と沖縄メディアをして言わしめた。その後自民党沖縄県連を屈服させ、一二月二七日の仲井真県知事の公有水面埋め立て承認を引き出した。続く名護市長選では、石破自民党幹事長は末松候補への選挙応援で「五〇〇億円の名護振興基金」を打ち上げ、沖縄は「金さえ出せば基地を容認する」という態度を露骨にしめした。この沖縄差別に貫かれた安倍政権・石破幹事長の行動は、二〇一一年、当時の米国務省日本部長ケビン・メアによる「沖縄は日本政府にたいするごまかしとゆすりの名人」という発言と同一の、沖縄民衆に対する侮辱以外の何ものでもない。この間の安倍政権の沖縄に屈服を強いる態度は植民地宗主国としてのふるまい以外の何ものでもない。
沖縄の民衆は、仲井真県知事の埋め立て承認に対して県庁包囲・県庁ロビー座り込みなどで抗議し、仲井真県知事の辞任・「承認取り消し」を要求して闘いを開始している。政府の総力がかかる名護市長選挙で辺野古新基地建設反対の現職稲嶺進さんを当選させた。名護市議会を含め県内一〇の議会が安倍政権や仲井真県知事への抗議や埋め立て承認撤回を要求する決議を可決しており、今年一月に辺野古埋立承認取消訴訟を那覇地方裁判所に提訴し、全面的な対決に入った。
安倍政権・沖縄防衛局は、市長選の二日後には辺野古基地建設に向けた施設設計・調査などの入札公告を行い、「市長権限を制限するため是正措置や行政代執行などを検討」など強権で基地建設をすすめる姿勢を明らかにしている。
そうした中で問われているのは私たちヤマトの民衆の運動である。日米による沖縄軍事基地化の元凶は天皇ヒロヒトが自らと天皇制の延命のために沖縄を米軍に提供した「天皇メッセージ」と日米安保締結にある。近代天皇制国家成立以降一貫して日本人民が克服できずにきた沖縄、アイヌ民族、中国、朝鮮への差別・排外主義と、天皇制との闘い抜きに安倍政権の戦争国家化、沖縄の軍事基地化を止めることはできない。今春以降具体的になる辺野古新基地建設を阻止し、戦争国家の完成とも言える国家安全保障基本法阻止の闘いをつくりだそう。
4 安倍自民党政権に対決する
幅広い取り組みを作り出そう
第一次安倍政権において成立させられた現行教育基本法は、「伝統と文化を尊重し」「我が国と郷土を愛する」ことを「教育の目標」の一つにすえた。教育においてもっとも重要であるべき個人の尊厳は、「公共の精神」に制約されるものとされた。
この現行の教育基本法の制定時には、安倍らの愚劣な国家主義や精神主義に基づいた「教育」のために学校や職員を変えようとしていることに対して、多くの批判がなされた。しかし、教育基本法改定から六年を経て、日の丸・君が代の強制や、教員の「再教育」などをはじめ、すでにかなりの変化が教育現場にもたらされている。そして、これらに加え、第一次政権下で安倍の首相の座とともに頓挫した「教育再生会議」が、第二次政権においては「教育再生実行会議」として開始されている。
この「教育再生実行会議」は、「愛国心教育」や「徳育」を加えた国家主義的教育や、「道徳」の教科化などをもくろんでおり、「教育再生推進法案」なるものを制定しようとしている。この法案は、学習指導要領に基づく指導や教材使用の強制、教職員に対する人事管理、学校の統廃合などをはじめとして、国家による教育の全面的な支配を確立しようとするものだ。
教科書採択では、沖縄・八重山地区における教科書採択に見られるような、いわゆる「つくる会教科書」の強要や、「国旗・国歌の強制」に触れた教科書を排除しようとする教育委員会や右派議員の動きも、神奈川や大阪などをはじめとして活発になっている。また、君が代に不起立の教員に対し最高裁で減給処分が取り消されたにもかかわらず、都教委が同一の案件で戒告処分を出すなど、権力を濫用する悪質さもエスカレートしている。
安倍政権は昨年一二月に、国家の情報を隠蔽し報道や調査を罰する「特定秘密保護法」の制定を強行したが、治安法などの改悪の動向もこれにとどまるものではない。すでにネットワークを大幅に規制する盗聴法の拡大や、共謀罪の新設も予定されている。安倍版NSCの国家安全保障会議の創設に伴い、社会のあらゆる面で監視体制と情報統制の強化がもくろまれている。特定秘密保護法の廃止運動などをはじめ、持続的な闘いがより重要な課題となっている。
「二〇二〇年東京オリンピック」が決定されたことで、今後の社会・経済体制も、これに向けて短期間に激変させられるだろう。生活保護などの福祉行政が改悪され、「野宿者」排除など行政の警察化も強化されている。特定企業の思うままに労働者を使い捨てる「特区」の制定ももくろまれており、消費税の上昇を財源に、国家による生活環境の破壊と、権力にたかる少数の連中による「開発」「投資」の利権あさりが臆面なく広がりつつあるのだ。
三月一一日には、昨年に引き続き、天皇・皇后の出席で東日本大震災三周年の「追悼式典」も予定されている。核エネルギー開発を進めた国家や企業への批判は「追悼」儀式により蔽われ、原発の再稼働と「棄民政策」がますます強引に進められようとしている。
今年は、一〇月に長崎において国民体育大会が予定されており、全国豊かな海づくり大会は、今年は奈良県吉野郡において開催が予定される。全国植樹祭も六月に新潟で予定されている。天皇や皇后は老齢化し病気がちとなって、その「公務」の範囲を縮小しようとしているが、これらについては今後もなお出席を続けるという意向が示されている。私たちは各地の運動との結びつきを広げ、「天皇行事」への反対運動を模索していかなければならない。
今年もまた、本日の反「紀元節」の闘いに始まり、サンフランシスコ条約と日米安保が発効した四月二八日と「昭和の日」の四月二九日を貫く闘いへと向かう。幅広い人々の取組みとつながりながら、運動を広げてゆこう。