アキヒト・ミチコは「救済者」なのか?!
昨年一二月二四日、戦後最低の投票率による選挙の結果、第三次安倍内閣が発足した。個別政策には軒並み反対意見が多数を占める。民意を反映するとはいえない選挙制度ではあるが、沖縄では自民党を全敗させた。しかし、比例区で復活し、沖縄では候補者全員が当選という事態となった。この選挙制度のあり方を大いに問題にすべきである。
この選挙戦の前、安倍がTV出演した際、放映される「街の声」が偏っているとして自民党は「中立要請」の文書を出している。〇四年には自民党ポスターのパロディーを掲載するブログにその削除要請を出している。安倍はメディア戦略に突出して熱心である。NHK戦犯法廷の番組改ざんの張本人であるこの男は、秘密保護法を成立させ、ことごとく言論の自由を奪っている。今回フランスでの風刺週刊誌本社銃撃事件について「言論、報道の自由に対するテロだ。いかなる理由であれ、卑劣なテロは決して許すことができない。強く非難する」と述べている。これはブラックジョークなのか。以前、ある映画制作者から聞いたことがある。天皇を批判するような場面をつくれば、ホームの端は歩けないと。「帰れ!」と皇太子の車に呼びかけたら逮捕され、横断幕を掲げたことでストーカーまがいの尾行が始まる。「原発反対!」「基地反対!」「戦争反対!」と国策に反対の声を上げれば逮捕である。
私たち反天連は、この問題も重視し、二三日の「天皇誕生日」に「12・23討論集会 敗戦70年『平成天皇制』を総括する」集会を行った(集会報告参照)。
思い起こしてみよう。二〇一一年の3・11震災前、天皇制は非常に陰の薄いものになっていた。大学生はアンケートに「あってもなくてもいい」と回答し、女性週刊誌に何も掲載されない週もあったりと、かつてのような盛り上がりもなく露出度も非常に低くなっていた。しかし3・11震災後、彼らの巻き返しは凄まじく、天皇夫婦はじめ、IOC総会でスピーチした高円宮ヒサコ等々、皇族のメディア露出度には目を見張るものがある。
天皇在位二〇年式典当日の東京新聞に、辺見庸は中野重治の『五勺の酒』を引用し「天皇の天皇制からの解放」を説いた。あれから七年、天皇夫婦は「平和を愛する民主主義者」として称讃され、まるで「極右政権」からの救済者のようになっている。主張欄でもそのつど取り上げてきたが、天皇夫婦の発言は「極右安倍政権」をあたかも牽制するかのような物言いである。昨年は、リベラルな言論人たちから「戦後民主主義を体現するのはアキヒト・ミチコ」と言わんばかりの讃美の声が、頻繁に聞かれる状況へと一気に変貌をとげた。
こうした状況の中、私たちはどのように天皇制批判をしていくのか。運動のあり方が問われている。12・23集会は天皇制批判の視点、その方法を探る意味で充実した内容であったと思う。今後も継続してさまざまな形で議論の場を設けたいと考えている。「ヒロヒト天皇制(戦前・戦中・戦後)のイデオロギー」と「アキヒト・ミチコ天皇制のイデオロギー」の腑分けと整理。法的な天皇の位置づけの再確認も必要である。かつて天皇批判の言説として現れた神山茂夫や徳田球一らの議論と、それと対比される中野重治らの議論のような流れが、戦後の天皇制批判の中でどのような影響を与えてきたのか。そしてそれはアキヒト・ミチコの時代を論じる際に、どのように展開されているのか。戦後70年という時間は、天皇制とそれを体現する天皇の在り方をどう変容させているのか、検証が必要だと思う。そして、そこから説得力を持った反天皇制の論理を作りだしていかなければならないだろう。
集団的自衛権、秘密保護法など軍事色がますます濃くなると同時に、大企業、富裕層を優遇する政策と貧困層を冷遇する政策がむき出しになった。
沖縄の人々も、福島の原発事故による被災者たちも切り捨て、オリンピックに突き進む安倍政権。福祉を切り捨てる政策は、実際に窓口となる地方自治体を締め付ける。その中で、年末年始の野宿者への炊き出しをさせないために、渋谷区は宮下公園など三公園を閉鎖し、国立市はシェアハウス「事実婚」認定で児童手当等の打ち切りを行った。どれほど多くの人々が厳しい越年を強いられただろう。
不条理な政策に人々はもっと怒りの声を挙げるべきである。天皇夫婦の慈愛などでごまかされてはいけない。声を挙げ抵抗する。今年もともに頑張りましょう。どうぞよろしくお願いします。反天連も参加する、2・11行動は始動している!
(鰐沢桃子)