2014/09/10

カーニバル18号[主張]

  「天皇制と民主主義」公に議論できる場をつくり出したい!


 九月三日、第二次安倍改造内閣が発足した。主要閣僚六人を留任させ、新たに加わったメンバーも「戦後レジームからの脱却」をめざす安倍と信条を同じくする者たちだ。大半が日本会議のメンバーである。
  虚しくなるばかりの言葉を連ねるだけではなく、平和主義や人権についてその原理を語り、高尚な原稿を書きたいのだが、いかんせん今の私の力量ではそれは望めない。この歴史修正主義者たちのことを直接取り上げるしかない。
 新たな政調会長となった稲田朋美は、毎年足しげく靖国神社を参拝している。河野談話に対して、「虚偽で自分の国の名誉が失墜している。名誉回復のために政府も与党も、言論人もマスコミもがんばっていく必要がある」「私たちの先人(が作った国=筆者)が、犯罪国家であると流布されている現状は変えていく」と述べる。その主張は、白昼堂々ヘイトスピーチを繰り返し「殺せ!殺せ!」と私たちのデモの沿道で連呼する在特会とまったく同質のものである。
 敗戦から六九年たった現在、私たちはこのような信条を持つ政権と対峙している。帝国主義を肯定するような言説が当たり前のような空気は息苦しく、窒息しそうである。それにしても、敗戦を経験し、六〇年代の運動、福島原発事故と、何度も転換する機会があったにも関わらず、途切れることなく継承される国家体制を問うことをしない不気味さ。それはいったいどういうことなのだろうか?
 それでも、原発再稼働をはじめ、秘密保護法、集団的自衛権公使に反対する民意が半数を超えていることは、かすかな希望といえよう。
  しかし、「デモはテロ」と発言した石破が地方創生相。ヘイトスピーチと民主主義の正当な手段としての抗議行動をまったく同列視し、国会周辺デモを規制すると発言した後、さすがに訂正した高市は総務相。こういう二人が入閣する内閣とは、民意に耳を傾ける姿勢など微塵もないということである。麻生も以前「ナチスをまねて」と発言したが、未だに留任している。
 「切れ目のない安全保障法制の整備を加速させる」そのための内閣、「実行、実現内閣」と安倍は名づけたというが、民意の表明を規制の対象としか見ることができず、独断でやりたいようにやるその手法を「独裁」と呼ぶのではないのか。「積極的平和主義」という言葉にしても、本来は、戦争だけではなく差別や貧困のない社会をめざした考えを指すという。言葉に対して真逆な解釈を平気で行うこの男の図々しさ、そして、それが許されるほどこの社会は病んでいる。 沖縄辺野古への基地移設準備は暴力的に進められている。川内原発再稼働の新規制審査も、火山学者の見解やパブコメに寄せられた多くの人々の意見をまったく無視した形で、合格の判断が下されようとしている。これほど危険な地盤の上に建つ原発を再稼働するなど信じがたいことだ。この暴挙を絶対に許すわけにはいかない。
  このような極右安倍政権の対極として、「民主主義者」として天皇夫婦を讃える言論が頻繁に聞かれるようになった。天皇制を議論する自由は公にはない。反天皇を唱える者は常に暴力に脅かされる。不自由を強いられる。私たちはその体験を通して問うのである。暴力と一体の制度が果たして「民主的」といえるのか。その制度を体現する天皇個人とは?
  私は議論したい。様々な意見を出し合って思考したい。けれども、この国ではそれは許されない。民主主義を良しとし、天皇夫婦がそれを体現しているとするなら、まず民主主義の原理から考えることが、言論者としての責任だと思う。天皇を個人として讃美することは、結局のところ天皇制の強化に向かう。極右政権批判が天皇讃美に直結することの大きな問題性。そこに生じる矛盾を突く言葉を、私たちは作り出したいと思う。そうでなければ、あまりにも貧しく悲しいこの国の戦後民主主義の帰結である。
  「戦争のできる国」の姿が具体性を帯びてきた今年、「安倍戦争国家の『追悼』を許さない!8・15反『靖国』行動」には、二五〇人もの仲間が集会に集まってくれた(集会報告参照)。その後のデモに対する右翼の暴力は凄まじいものであった。それに対して、私たちは弁護士も交えて反撃の準備を進めている。
 「天皇制と暴力は一体のものであることを、言葉をもって明らかにするぞ!」と「殺せ 殺せ!」の罵声を浴びながら固く心に誓ったあの日。暑い夏が終わろうとしている。しかし!運動は続くのだぞ。                   (鰐沢桃子)