安倍政権の戦争政策を許さず 8.15 反「靖国」行動をともにつくろう!
八月一五日の「全国戦没者追悼式」は、今年もまた天皇皇后が出席する国家儀礼として政府主催により開催される予定となっている。
国家による儀式、なかんずく「慰霊」や「追悼」の儀式は、政治や経済、軍事などの政策の具体的なありようや、誤った政策による害悪の大きさに比べると、その役割は小さいものとしばしば見做される。しかし、それが国家のイデオロギーのフレームを明確に指し示すものとして重視されるべきであることを、私たちはずっと主張してきた。
山田昭次さんの近著「全国戦没者追悼式批判〜軍事大国化への布石と遺族の苦悩」にも指摘されているが、昨年の安倍による「式辞」は、安倍の第一次政権時のものと比較してすら大きく異なるものだった。
このかんの首相の式辞には「アジアの諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」ことへの「反省」と「哀悼」、さらに「不戦の誓い」を意味する内容が必ず言及されており、それは、天皇の「お言葉」なる式辞が、ほぼ判で押されたように固定的なものとなっていることに対応するものでもあった。
ところが、昨年の安倍の「式辞」では、そのくだりがごっそりと削除された。これに代わり、この男の口から吐かれると虫唾が走るので、「美辞麗句」と形容するのもおぞましく感じる種類のコトバがずらずらと並べられ、わずか六百数十文字のうち、「御霊」という神道用語を用いたフレーズは、これまでの一個から四個へと大盛りになった。そして、昨年末には多くの人々や各国の厳しい批判をも顧みず、靖国神社への参拝を強行したのである。
これらはもちろん、安倍政権が現行憲法の全面的な改悪を意図し、国家秘密法などの制定や「集団的自衛権」行使に関する解釈改憲などの立憲主義の破壊、武器輸出や沖縄の軍事基地建設など、あらゆる面で軍事国家化の政策を推進していることに、完全に対応しているものであることは誰の目にも明白だ。
さらに、数々の経済政策や税制の改悪は、個々の経済政策のもたらす「効果」すらも相互に矛盾した支離滅裂な様相を示しており、企業活動の多くの側面におけるいっそうの「ブラック」化を進め、セーフティネットをずたずたにして、ひとの生存権をも否定しているものとなっている。
しかし、安倍政権やその周辺のグループによる教化宣伝・宣撫政策は、これらの事実や、政権に対する批判を圧殺する目的で、きわめておぞましいものとなっている。かつて「女性国際戦犯法廷」の番組への介入で味を占めた安倍らは、各メディアの首脳に対する接待や利益誘導、NHK会長人事のゴリ押しにはじまり、ネット企業やメディアへの統制を強化している。「国家秘密法」や「集団的自衛権」など大きい政治対立をはらんだ報道においては、つねに首相や閣僚の発言のみが長時間流されるという異常な事態が続くが、七月三日の「クローズアップ現代」などでは、番組放映後にも菅幹事長から直接的な圧力がなされたという。歴史認識などの面でも、日本会議や地方議員を通じ、極右を煽り立て自治体や学校に圧力をかけるなどして「改竄」や「自粛」をねらう、各地での妄動も数多く報告されている。
いま、イスラエルの右翼議員は「パレスチナの母親を皆殺しにせよ」と叫び、ガザでは連日にわたり正規軍による大虐殺がなされている。安倍政権の進める軍事政策は、疑いもなく、アメリカの「敵」を殺すと同時に、自衛隊の兵士の戦闘による死を予定するものとなった。その死者を「靖国」の「神」として「祀る」ことも安倍らはもくろんでいるだろう。私たちを含む実行委員会による、反「靖国」の闘いは、こうした状況下で、微力ながらもこれまで以上に大きい課題を担っていかなければならない。今年も警察や右翼による激しい攻撃が予想されるが、これに屈するわけにはいかない。安倍政権の戦争政策にわずかずつでも抵抗し、国家の暴力や欺瞞を打ち破る闘いをつくっていこう。
(蝙蝠)