2014/04/08

カーニバル13号[主張]


    社会全体の軍事化のなかで沖縄と天皇制の現在を考える

 いわゆる「パンとサーカス」政策を現代日本ふうに置き換えてみたら、「ラーメンとアニメ」ということになるのだろうか。ありえたかもしれない職人的な修練や技巧というやつをセントラルキッチンと広告戦略で無化した勘違いグルメや、単純なマトリクスを用いる類型化でつくられた目が大きく幼児的な2Dキャラクターが展開する、性と暴力をテーマや暗喩としたストーリー。「クール・ジャパン」と銘打ったグローバリズムにメディアや文化が蔽われてしまって久しい。
 唱和されてきた「輸出立国ニッポン」なるものがすでにバブルの幻影でしかないということが、最近のいくつもの経済指標から露わになりつつある。「ハイテク」だの「金融工学」だのという新技術やビジネスも、すっかりその「魔術」性を喪失しつつある。にもかかわらず、日本国内では「復興」事業や二〇年東京オリンピックを名目とする「開発」が急速に進められている。税制や予算は、消費税の趨勢にも明らかなように、分配にではなく露骨な収奪に、そして貪欲な「資本のための資本」を維持拡大する方向に、さらに向けられている。
 「武器輸出三原則」には法の裏打ちもなく、これまでもかなりの程度になし崩しとなっていた。しかし、これが明確に安倍内閣において「防衛装備移転三原則」として否定されようとする意味は、きわめて大きい。官僚や大企業は「消費財」や「生産財」の製造や輸出による「経済成長」には、もはや「限界」を感じていると思われ、この限界を補う「新事業」として、今後は「国家の特定秘密の保護」をたてにしながら「軍需産業」の育成を進めていくことができるだろう。
 もちろん、これが平坦な道で進むはずはない。かつて自動車や家電製品、電子部品やロボットなどを、技術者が現場のニーズに応じて開発し提供していた方法と、軍需産業とは大きく異なる。何よりも、日本のような国家の軍需産業は、アメリカの軍備、それをまかなう軍需産業のスタンダードによりそい、これをすべて受け入れることとして「振興」されなければならないのだ。
 福島原発の「事故」は、原子力産業がすなわち「核開発」産業であり、世界的な軍事と核管理体制の動向のうちにあることに、あらためて焦点を当てるものとしてもあった。「監視社会」化と「国境防衛」を名目とする国家の軍事化、排外主義がますます蛮声を響かせる社会のなかで、これらがどのように展開していくかについて、私たちはより厳しい危機感を持って対応していく必要がある。
 私たちはいま、「反安保実行委員会」と「四・二九 反『昭和の日』行動実行委員会」の共同で、四月二七・二九日の「沖縄・安保・天皇制を問う」連続行動を準備中だ。昨年四月二八日に安倍政権によって実施された「主権回復の日」は、今年は天皇が出席する政府式典としては実施されない。しかし、沖縄・辺野古への米軍の新基地建設は、仲井眞知事の安倍政権への屈服により大きく進められようとしている。また、「尖閣」を名目とした自衛隊の沖縄の先島諸島への配備もまた同様だ。サンフランシスコ講和条約と日米安保条約、そして天皇制によって形成された日本国家の「戦後」は、沖縄の軍事化とともにあったわけであり、いままさにそれが新たな形で繰り返されているのだ。
 この時期、オバマ大統領の「国賓」としての来日は、これを東アジアの政治情勢の中で、安定的に位置づけるためにこそある。
 天皇明仁や美智子は、こうした政治状況に対して微妙なかじ取りでふるまっているかに見える。しかし、昭和天皇裕仁の「轍」をいかに「じょうずに」踏むかということこそ、彼ら自身が望むものでもあろう。こうしたさまざまな問題を、この連続行動の中で、より明確にしていきたいと考えている。多くの人々の参加を呼びかける。
(蝙蝠)