2013/12/11

カーニバル9号[主張]


安倍独裁政権との対決を! 12・23反天連集会にも集まろう

 「特定秘密保護法案」が参議院で可決・成立して一夜明けたいま、この原稿を書いている。絶えず胸にざわめいてくるものがあるのを、押さえることができない。

 きのう(一二月六日)、日比谷野外音楽堂で行われた集会には一万五〇〇〇もの人が集まり、参議院会館前や国会正門前も何万という人で埋め尽くされた。多様な団体から反対声明が相次いで出され、世論調査でも五〇%が反対、パブコメや公聴会でも反対論あるいは慎重論が圧倒的多数、国連の機関からも憂慮が示されるという現実のなかで、なんとしても今国会で同法案を成立させようと、政府与党は多くの反対言論を嘲笑うかのように強行採決を繰り返した。われわれは、同法案の可決・成立を怒りをもって弾劾する。


 法案に対する批判の声は日を追って高まっていた。国会周辺での抗議行動への参加者が増大し、四日の国会議事堂包囲の「ヒューマンチェーン」は、平日の昼間にもかかわらず、六〇〇〇人以上が集まり成功させた。法案の問題点も早くからさまざまに指摘されていたが、何よりも安倍政権の強硬ぶり、そして法案の本質がどこにあるかを鮮明に示した石破の、ブログでのあの発言が人びとの怒りに火をつけた。


 石破の発言は、たんに自分が嫌いな反対派のデモをテロになぞらえて否定しただけではない。「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要」という「テロ」の定義からして、明確に「デモはテロである」と言ったのである。


 「安全保障にかかわる機密情報を漏らした公務員らへの罰則を強化」することを目的とするもの、などと説明されるこの法案が、実際には「国民」の「知る権利」を求める行為さえ違法なものとして処罰される恐れがあり、その政治的な行動を萎縮させることになるとマスコミも報じている。その通りだと思う。そのことを通して、警察主導の民衆への日常的な監視・弾圧は恣意的なレッテル貼りで正当化され、突出した行政権力による、フリーハンドの言論弾圧の根拠が与えられる。


 しかし、安倍や石破たちの、これに関してはまったく「ぶれない」強圧的な姿勢の根拠は何なのだろうか。おそらく、改憲まで射程に入れた彼らなりの国家の全面再編のプログラムにおいて、今回の法案が一つのメルクマールとなると彼らが充分に自覚していることを示しているだろう。また、いかに強硬な態度で政治を進めようとも、のど元を過ぎれば終息すると高をくくっているのかもしれない。あるいは、次から次へと攻撃を強硬に繰り出すことで、運動側の疲弊を狙っているのではないかとさえ疑わせる。


 どこかで歯止めをかけなければならない。この意味において、秘密保護法に関してもこれまでのさまざまな攻撃に対してと同じように、ひとつひとつの日常的な抵抗によって、その実質化を食い止め、廃案をめざす闘いが重ねられることになるだろう。「ファシズム」という語を安易に使いたくはないが、クーデター的な手法を重ね、ポピュリズムにも依拠しながら行政権力を突出させていく安倍の政治と対決する運動=抵抗線の形成がなされなければならない。ともに闘いを持続していこう。


 そして、反天皇制運動の課題としては、この安倍の政治と象徴天皇制との関わりを問題にしていかなければならないだろう。


 極右的な安倍政権の体質に対して、現天皇・皇后の「リベラルさ」を称揚し、これに「期待」するかの議論が後を絶たない。しかし、前提としてふまえられなければならないことは、天皇制とは憲法で規定された国家の機関として存在するものであるということである。したがってそれは「政治に関わらない」という建前にもかかわらず、大文字の「政治」に深く関わる存在なのであって、私たちはそのことをまさに問題とし続けてきたのだ。現天皇・皇后の「リベラルさ」の称揚とは、天皇制の強化にしかつながらないのである。


 安倍政権がねらう改憲では、天皇の元首化が明記されている。これはいわば、これまで「解釈」で元首化してきた天皇の「明文」元首化とでも言うべきものだろう。そこでは、天皇が関わる「政治」の再確定がなされることになるはずだ。すなわち、安倍政権が進めている全社会的な改変のなかで、象徴天皇制もまた変容せざるを得ない。


 私たちは一二月二三日の「天皇誕生日」を、天皇制の問題を考える日として位置づけ、毎年集会をもってきた。今年は、まさにこういったテーマ─安倍政権と「象徴天皇制の変容」─を、さまざまな角度から具体的に議論できる場にしていきたいと考えている。


 神戸大学教員で、家族論やフェミニズムを研究している青山薫さん、歴史研究者の伊藤晃さん、そして反天連の天野恵一の発言を受けて、全体で討議していきたい。多くの皆さんの参加を訴えます。   (北野誉)