2016/03/24

安倍政権下の日米安保体制と天皇制を問う4・28─29連続行動への参加・賛同を


安倍政権下の日米安保体制と天皇制を問う4・28─29連続行動への参加・賛同

  昨年九月に「戦争」法を強引に成立させ、安倍政権は戦争遂行国家の完成に向けてひた走っている。それは法整備に続き、自衛隊の強化(五兆円という軍拡予算を見よ!)と武力行使を伴う海外派兵の拡大へと向かっている。それはもちろん、米軍と一体となっての、世界中での軍事力行使への道である。そしてその負担は、沖縄にのしかかる。
 来年度の防衛予算では、南西諸島など島嶼防衛の強化を謳い、垂直離着陸輸送機V22オスプレイ四機(四四七億円、一機約一〇〇億円、ちなみに米軍は約半額の一機五〇億から六〇億円で購入しているという)や水陸両用車「AAV7」一一両(七八億円)の導入費、鹿児島・奄美大島と沖縄・宮古島への部隊配備費(一九五億円)が計上された。与那国島には、航空機や艦艇の動向を探り、中国軍の通信を傍受する沿岸監視隊の駐屯地建設が進められており、宮古島には、地対空・地対艦ミサイル部隊、警備中隊など七〇〇人の陸自部隊を配備する計画が進行中である。昨年一一月には、陸上自衛隊による、南西防衛を目的にした初めての実動演習も九州・沖縄で行われた。
 そして辺野古。国と沖縄県との「和解」で一時「休戦」の模様だが、安倍政権は、「(普天間移設は)辺野古基地建設が唯一の解決策」との姿勢をまったく崩さず、沖縄県議会選挙(六月)や参議院選挙(七月)後には、またあらゆる強引な手法によって米軍海兵隊の新基地建設を強行してくるだろう。
 アイヌモシリ統合と並んで近代天皇制国家の出発点をなす「琉球処分」、沖縄差別・収奪政策、「皇民化」政策から沖縄戦、米軍支配と「本土」からの切り捨て、「復帰」による再統合と安保前線基地化といった歴史は、そのまま日本による沖縄支配の歴史であり、その一貫した持続であった。そして、北海道・沖縄に始まる植民地主義の拡大は、東アジアへと拡大し、アジア・太平洋戦争へと至る、植民地支配と侵略戦争に行きつき、アジア・太平洋と日本の民衆に大量の被害と死者を生み出すこととなった。
 米国の世界戦略の中で、こうした日本の植民地支配・侵略戦争の責任は曖昧にされ、その補償は不十分な形に切り縮められ、戦後国際社会に復帰することになる(サンフランシスコ講和条約)。同時に成立した日米安保条約(旧条約)は、天皇ヒロヒトが、自己保身と天皇制維持のために、沖縄を米国に「売り渡す」(天皇メッセージ)など積極的に推進した結果、生まれたものである。
 戦前・戦中にくわえて、戦後における天皇が沖縄に対して負う重大な責任は、アキヒト天皇が、沖縄への思いをことあるごとに口にし、「慰霊」を繰り返したとしても相殺されるものではまったくない。むしろそれは、日本国家(天皇制)の沖縄差別支配の歴史と現在を隠蔽し、日米の前線基地におかれる沖縄において噴出する人びとの怒りをなだめ再び「日本(ヤマト)」に包摂する政治的機能を果たそうとするものにほかならない。
 戦後日本の象徴天皇制国家は、「構造的沖縄差別」によってこそ「日米安保体制」を維持し続けてきたのである。
 「誤った戦前・戦中の日本のあり方」を総括して精算して再スタートするべきであった戦後の出発点(4・28)は、「誤った戦後国家」のスタートとなってしました。
 4・28(沖縄デー:誤った戦後のスタートから六四年目)と4・29(「昭和の日」:六九年前に沖縄を「売り渡した」天皇ヒロヒトの誕生日)の歴史を問う、反戦・反天皇制の連続行動を今年も作りだしていきたい。多くの人びとの参加と協力を!

安倍政権下の日米安保体制と天皇制を問う 4・28─4・29連続行動
         【呼びかけ団体】アジア連帯講座/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会
           反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」の強制反対の意思表示の会/労働運動活動者評議会

2016/03/23

【声明】2016.2.11反「紀元節」行動における機動隊の理不尽な規制とデモ妨害に抗議する


デモは権利だ! 恩恵ではない
2016年2.11反「紀元節」行動における機動隊の理不尽な規制とデモ妨害に抗議する


 私たち「安倍戦争国家と天皇制を問う2・11反『紀元節』行動」は、今年も渋谷で反天皇制・戦争国家体制に反対する集会とデモに取り組んだ。

 
 この日は、集会会場近辺で奉祝派のデモもあり、右翼街宣車も押しかけるかとも予想されたが、デモの出発地点から離れたところで、在特会系のグループが街宣し、また集会中に徒歩で数名の右翼が登場したほかは、右翼の妨害は例年よりもひどいものではなかった。

 
 一方、この日の警察・機動隊の不当な規制は、度を越えるものであった。何ら正当な理由も必要性もない規制が、出発前から解散地点まで一貫して加えられ続けた。それはまさに、規制のための規制、規制を自己目的化した規制というべきものであった。

 
 警察の指揮者だけでなく、多数の警察官が絶えず宣伝カーの窓ガラスを執拗にたたき続け、「早く行け」「警告」と急がせた。それは運転妨害になるほどだった。デモ隊と宣伝カーが離されないよう、車の横について歩いていた実行委のメンバーは、警官に囲まれ車から引き離された。その結果、宣伝カーとデモ隊との間にすき間ができると、こんどはそれを理由としてデモの参加者の体を押して、早く進めと繰り返す。この不当なやりかたに抗議した監視弁護士さえ、私服警官に囲まれて歩道に押し上げられてしまった。念のために言っておくが、デモ隊はことさらに遅れていたわけではなく、急がされる理由などなにもなかった。しきりに急かすだけの警察官は、「デモの解散時間を知っているのか」という抗議にたいして答えられず、さらには、間違ってデモの進行方向とは逆に誘導しようとする始末であった。

 
 デモ隊全体に対して、機動隊の並進規制や、後方や真横からの圧縮(押し込め)が間断なくなされた。何人もの参加者が突き飛ばされた。途中で具合が悪くなったり、倒れこんだ参加者も出た。これに抗議した実行委のメンバーに対しては、「こいつらを歩かせるように指示しろ」と言い、なおも抗議すると「逮捕するぞ、警告!何時何分……」などと恫喝した。「許可条件を守れ、デモ隊は三列」と警官は繰り返していたが、実は「許可条件」は四列なのである。さらに三列どころか、デモ隊列は二列、一列にさえ押し込められていたのだ。また、「デモは交通の迷惑になる(から規制されて当たり前)」と言い放つ警官もいた。デモは車道を歩くものであり、それが交通に一定の支障を来すのはあたりまえのことである。そのことを前提にして、デモという表現の自由が尊重すべきものとされるのだ。法を遵守しなければならない警察官が言ってよいことではない。

 
 「今回のデモ参加者で、警官に押されたりさわられたりしなかった人間はいなかったのではないか」という感想が聞かれたが、これは決して大げさな話ではない。

 
 とりわけ今回ひどかったのが、警察によるデモの参加者に対する暴言や、侮蔑的な態度である。いつもであれば、デモ隊への妨害は同じであっても、口先だけは「詰めて下さい」「早く進んで下さい」と、表面上「笑顔」さえつくる。しかし、今回は「前に詰めろ!」「お前ら早く進め!」である。表面的な「ていねいさ」さえかなぐり捨て、その言葉つきにふさわしい態度と顔つきは一貫していた。若い機動隊員の中には、薄ら笑いを浮かべつつ、高齢の参加者を「はい、がんばろう!」と言いながら何度も押している奴もいた。実に許しがたいことだ。

 
 こうしたことのすべてに、私たちは何度も抗議をしたが、責任者然とした警官は「デモの許可を出してやったのは警察なんだから、お前らは言うことを聞け」と公言した。デモは憲法に保障された思想・表現の自由、基本的人権に属するものである。公安条例自体が不当なものだが、東京都の場合デモは届け出制であって、基本的に受理しなければならないものなのである。たしかに「許可証」は警察署長の名前で出るが、実際に「許可」するのは東京都公安委員会である。「警察がデモを許可している」などというのは、二重三重に間違った寝言である。

 
 私たちのデモは、高齢者や「障害者」も参加する、非暴力の市民のデモである。デモにたいして卑劣な暴力を繰り返す街宣右翼などを理由に、警察は陰に陽に、デモへの介入を目論んできた。しかし、今回はそのような右翼は登場しなかった。そのようなかたちでのデモ規制をすることを通して、警察がデモを徹頭徹尾規制していく訓練がなされたのではないかと疑う。今回、警備責任者は、実行委のデモ指揮者さえ無視して、デモ全体を警察の統制の下に進行させようとしたのだ。これは、いつものデモとも、大きく異なるやり方である。おそらく下部の機動隊員は、ただこのデモを急がせろ、規制しろという命令だけを受けて、それを「忠実」に履行するよう徹底されていたのではないか。多くの批判があるように、憲法を蹂躙して恥じない現在の安倍政権の強権的な姿勢が、政権に批判的な言論・表現は規制されて当然という心性を、警察官たちにも与え続けているのではないのか。

 
 今回の警備がこのようなものであり、私たちがそのターゲットとされたことのほんとうの理由は、知るところではない。しかしはっきり言えることは、今回のデモ規制が、われわれの権利としてある表現行為を妨害し、われわれが、われわれのペースとスタイルで街頭の人びとに対して訴えていく権利を侵害したということである。いま、全国各地で、さまざまにおきている街頭での人びとの抵抗や自己表現が、警察権力による不当な介入や弾圧の対象となり、それにともなう人権侵害も目立っている。そこに見られるのは、法を恣意的に運用し、人びとの行動に分断線を引く権力の無法である。

 
 繰り返すが、デモの主体はデモの参加者であり、表現の権利と自由を一片の行政権力が侵すことは許されない。警視庁、機動隊、私服・公安、そして今回のデモに係わった所轄の警備警察官に対して強く抗議し、二度とこのような不当な規制をおこなわないことを強く訴える。

 2016年3月22日
安倍戦争国家と天皇制を問う2・11反「紀元節」行動

 http://211k.blogspot.jp/

2016/03/12

カーニバル36号 [主張]

 責任の所在を明確に! あきらめずに抗議の声を挙げ続けるぞ!

  二〇〇七年に、要介護4の認定を受けていた九一歳の認知症の男性が、徘徊中に線路内に入り電車にはねられて死亡した。介護をしていた要介護1の八五歳の妻が一瞬まどろんだ隙の出来事だったという。なんとも悲しい事故ではないか。けれどもJR東海がこの妻と息子に対して損害賠償を請求した。国家や大企業が弱者を踏みつけてきたことは、歴史の中で明らかなことであるが、寒々しい気持とともにこの裁判の行方が気になっていた。
 三月一日に最高裁は、JR東海の賠償請求を棄却して、家族が賠償責任を負わないとする良識的な判断を下した。
 この判決の前日の二月二九日に、福島原発事故において、東京電力の旧経営陣だった勝俣恒久元会長、武藤栄元副社長、武黒一郎元副社長が業務上過失致死罪で在宅のまま東京地検に強制起訴された。これほど甚大な被害をもたらした事故をおこしておきながら、誰も責任を問われなかったが、原発事故の刑事責任が裁判で問われることになった。事故の責任追及を求めてきた「福島原発告訴団」の武藤類子団長は「原発事故は収束していないし、被災者はまだ困難な状況にある。責任をうやむやにしてはいけない。反省しなければ、また事故が起きる」そして「裁判を通じ、原発政策の問題点も明らかになれば」とコメントしている。JR東海の最高裁判決と東電旧幹部の強制起訴は、どちらもあきらめずに闘った結果の勝利である。巨大な力に対抗し、様々な方法を模索し、あきらめずに粘り強く闘うことの必要性が改めてしめされたと思う。
 そして国家や大企業が負わなければならない責任を、個人の責任に転嫁し、それが当然のように操作されている現在の状況に抗議の声をあげなければと、私たちは励まされる。
 小泉政権下、新自由主義の名のもとに、「自己責任」が声高に叫ばれた。弱肉強食を良しとし福祉政策がカットされた。それを安倍政権が引き継ぎ、ますます露骨に弱者切り捨て政策を強行している。
 福島県では居住制限区域と避難指示解除準備区域の避難指示を一七年三月末までに解除。両区域の住民への月一〇万円の精神的損害賠償(慰謝料)の支払いを一八年三月末で一律終了。自主避難者に対する住宅無償提供の打ち切り等。高線量地域に強制帰還させようとしているとしか思えない政策を強行しようとしている。
 天皇夫婦が、復興視察に、福島と宮城県を訪れるというが、彼らの慰めで現状は変わらない。謝罪と補償がなされるべきである。
 福島の教訓は生かされず、安倍政権は「事故は起きるがもう安心だ」という神話を振りまき、川内原発、高浜原発と次々に原発を再稼働させている。原発は絶対に再稼働をさせてはいけない。それなのに、住民の避難計画は立てず、免震棟もつくらず、老朽化など様々な問題を残したまま、再稼働を急ぐ姿勢は信じ難いことである。目先の利益に目がくらみ、命をないがしろにすることに、抗議の声を挙げることは当然のことである。
 責任者が責任を取らないという一貫した無責任国家体制は安倍政権の原発再稼働を許している。ドイツも様々な問題があろう。けれども、福島原発事故後いち早く、脱原発に舵をきったこと(フランスから電力を買っているが)を思うと、やはり過去の戦争で犯した罪との向き合い方が違うのではと思うのだ。
 歴史認識歪曲の先頭をいく安倍は参院選で「改憲」をはっきりと明言している。池田浩士さんが、三〇年代ドイツと現代日本との類似を指摘されている。そして憲法一二条の「憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」という一文を重んじて、「趣旨とは、単に護憲を言い続けることではない。憲法に反した現実を覆すべく、市民が相互批判を交わしつつ、政治参加していくことではないか」(東京新聞)と述べていることは示唆的だ。
 最後にこの原稿を書いている最中に、「辺野古工事中断 再協議」のニュース。安倍政権が参院選の対策のために、民意に押され、政権内で想定されていなかった譲歩を迫られる結果になったという。これこそ、沖縄の人々の粘り強い闘いの勝利ではないか。ともかくも工事の中断は本当に凄いことだと思う。安倍の「和解」を通した新基地づくりへの引きずりこみ政策と闘う沖縄の運動に連帯していこう。
 反天連も粘り強く、諦めずに民意に響く言葉を模索する努力をしようと思う。天皇制は差別を前提とする制度なのだから。きっと届く!         (鰐沢桃子)

2016/03/11

反天皇制運動カーニバル 36号 [通巻379号]

反天皇制運動カーニバル
36号[通巻379号]
2016年3月8日発行

主張 ◯責任の所在を明確に! あきらめずに抗議の声を挙げ続けるぞ!

動物(あにまる) 談義◯ 「天皇制の行く末は?」の巻

状況批評 ◯ 都民の財産を守るべき責務を果たさない都知事とそれを批判しないマスコミ─最大約三四億円をドブに捨てた東京都─渥美昌純

反天ジャーナル

書評 ◯ 伊藤晃『『国民の天皇』論の系譜─象徴天皇制への道』─竹内民郎

太田昌国のふたたび夢は夜ひらく〈71〉 ◯ 「世界戦争」の現状をどう捉えるか─太田昌国

皇室情報の〈36〉 ◯ 〈アベ〉政治と象徴天皇の政治─〈相互補完的役割分担〉をめぐって─天野恵

野次馬日誌

集会の真相
 2・11反「紀元節」行動/「日の丸・君が代」の強制をはね返す神奈川集会とデモ/テロはなぜ起きつづけるのか?2・20つくば集会/女天研連続講座・ジェンダーと天皇制第1回「憲法と皇室典範」/戦争法の廃止と朝鮮半島の平和を求める日韓連帯集会

反天日誌

集会情報



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